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第72回:真の「喜び」は自分を全肯定すると生まれる

今回は、真の「喜び」は自分を全肯定すると生まれる、ということを書いていきます。

私たちは、日々の生活の中でたくさんの「喜び」を感じて生きていますが、部分部分では否定的な感情を持って生きていたりします。

では、この部分的な否定的な感情はどこから生まれてくるかというと、根っこの部分で自己否定に繋がっていたりすからだったりします。

しかし、こういった根っこの部分で自分自身を否定している意識を肯定していけるようになると、やがて自分自身を全面的に肯定できるようになって、「私」という存在そのものが「喜び」に変わっていくようになっていくものです。

「喜び」は「愛」より上位の感情

このサイトで私がよく紹介させて貰っているものに、「パワーか、フォース」かという本の「意識のマップ」があります。

私は最初、この「意識のマップ」を見て「喜び」の感情が「愛」より「上」にあることに驚きました。

なぜかというと、それまで私は「喜び」より「愛」が上位の感情だと思っていたからです。

「意識のマップ」のポジティブな意識

しかし、最近では「喜び」が「愛」より上位の感情であることを理解できるようになってきました。

その理由はというと、自分自身を心から愛することができるようになると、その先に真の「喜び」が生まれてくると分かってきたからです。

そして、真の「喜び」を得ることができると、その意識が深い「平和」を生み出し、さらにその「平和」の意識から生命としての深遠な「気づき」が生まれてくるようになるのだと思います。

また、この「意識のマップ」は、人が上位の意識を持てるようになるための筋道がちゃんと記されていて、この表の意味を理解すればするほど、その奥深さを実感したりします。

人が「喜び」や「愛」といったポジティブな意識を獲得するためには、前向きな気持になるのはもちろんのこと、この表の下段にある「勇気」から順に「中立」「意欲」「受容」「理性」「愛」とひとつづつ階段を昇っていく必要があったりします

では「勇気」から「喜び」までの意識の特徴を「パワーか、フォース」を参考に紹介していきます。

勇気‥‥新しいものを試みながら、人生の変化と挑戦に立ち向かう意欲を意味する。

中立‥‥人のエネルギーを消耗させる対立を超えた意識であり、自分の思い通りにならないことに対する恐れや苛立ちは、もはや経験しなくなる。

意欲‥‥人生に対する内面に打ち勝って、前向きに生き自己尊敬の気持ちが高くなる。

受容‥‥人生をあるがままに受け入れ、感情的な穏やかさを持ち、生命エネルギーと調和を持って生きる能力を持つ。

理性‥‥大きくて複雑な量のデータを扱うことができ、また迅速に正しい決定ができるようになる。

愛‥‥立場にとらわれず、区別もしないため他とひとつになることが可能。生きることの素晴らしさに焦点を合わせネガティブなものをリセットさせて溶かしてしまう。

喜び‥‥「愛」がますます無条件になるにつれて、内側から「喜び」が湧き出し、世界が創造の完全さと絶妙たる美しさで輝いて映り出し、すべてが完全に共時性を持って自然に起こり出す。

「勇気」から始まるこれらの7つの感情は自分の内面と向き合うことから始まる意識であり、主体の位置を外側から内側へと移す必要があります。

なぜかというと、「意識のマップ」の赤い線より下のネガティブな意識は、自分と他者を比較するなどの自他の関係で生まれる意識だからです。

*文字の色や赤い線は分かりやすいように私が加えたものです

しかし、「意識のマップ」の赤い線より上の感情は、そういった他者性を自分の中から取り出して、自分の思いに正直に従わせていくことで得られるものです。

このため最初の段階というべき「勇気」は、他者の視線や判断から離れ、自分の意思を尊重するところから得られる意識であり、まさに「勇気」を出して自分の思いを肯定する意識なのです。

そして人が「勇気」を持って自分の意思を尊重しながら行動できるようになると、自然と他者の思いも尊重できるようになっていくため、「中立」の意識も得られるようになっていきます。

また、人が「中立」の意識を獲得できると、他者に対しての恐れがなくなっていき、ますます自分の気持ちを肯定できるようになって「意欲」が湧いてくるようになっていきます。

この自己肯定で生まれた「意欲」は、他者の間に友好的な関係を築かせるものであり、そういった関係性の中から「受容」の意識が生まれ、この「受容」の意識が、やがて「理性」の意識へと変化していきます。

「パワーかフォースか」の中では「理性」から「愛」の意識を獲得するには飛躍が必要だと書いいてありますが、その理由は、「理性」の位置は頭にあり「愛」はハートから発っせられるものだからです。

しかし、そういった壁を乗り越え、「理性」から「愛」の意識にたどり着くことができると、自分を受容するという内側の「愛」と他者とひとつになれるという外側の「愛」が一つになって大きな「喜び」の感情が湧き上がってくるものなのです。

こういった理由から、「喜び」という感情が「愛」より上位にあるといっていいでしょう。

「喜び」とは内と外、両方に否定がない状態

下の図は、内側の愛と外側の愛によって生まれる「喜び」の状態を私なりに図に表現してみたものです。

このように、自分の内側にも外側にも「愛」がある状態が、真の「喜び」の状態といっていいでしょう。

また、この真の「喜び」の状態には自分の内側にも外側にも「否定」の感情がない状態です。

では、このように内側と外側に否定のない状態を作るにはどのようにすればいいかというと、先ほど書いたように「勇気」を出して主体を自分に移していくことです。そして、主体を自分に移したなら、まずは自分自身を全部肯定することが大切です。

なぜかというと、自分の中に否定があると自分を愛せないからです。

ならば、どのように自分の中の否定をなくしていけばいいかというと、自分を否定している思いを肯定してしまうことです。そうすればシンプルに否定の意識を消すことができます。

どういうことかというと、自分がダメだと思う部分をそのまま丸ごと肯定してしまうことです。

たとえば、コンプレックスに感じているようなことがあったとしても、それを無理に愛そうとするのではなく、「それはそれでいいや」という感じで肯定し、それ以上、意識の焦点をそこに当てないようにして、あとは自分が好きなことや夢中になれることを楽しんでいけばよかったりします。

そして、普段から嬉しい気分や楽しい気分で過ごしていると、やがて自分がコンプレックスも感じなくなっていき、自分の中の否定が消えていくものです。

私の例でいうと、私は比較的人当たりがよいため、周りから頼られることも多く、仕事そのものは無難にこなすことができていました。しかし、そういった外側の自分でいるとストレスを感じることも多く、ある時、そんな自分に限界を感じました。

また、私はどちらかというと一人で黙々と作業をするのが好きだということは理解していたので、「勇気」を出して完全に一人で作業できる状態を作り、今は、毎日一人部屋に籠って文章を書いて過ごしています。

そんな今の状態が、これまでの人生の中で一番楽しく過ごすことができている状態だったりします。

もちろん、現在の私の今の「喜び」は、真の「喜び」には到達してはいません。しかし、不思議なもので、いずれ真の「喜び」に到達するだろうという自信があったりします。

では、この自信が何かというと、今の自分が以前私が求めていた未来の自分の像と一致しているからであり、その一致感が日々強まっていたりするからです。

この一致感は、今、自分という存在を全肯定に導いていて、私の近い未来に、上の図のように内と外で愛に満たされるという予感があります。

愛されていると思い込む

以前の記事で、保江邦夫さんの「愛されていると思い込む」ということについて書きましたが、この「愛されていると思い込む」ということは、実は凄いことなんじゃないか感じています。

なぜかというと「愛されていると完全に思い込む」ことができると、先ほどの図のように、自分の意識は外側も内側も「愛」で満たされるようになるのではないかと思うからです。

この「愛されていると思い込む」ということはどういうことかというと、この世界のすべてから「私」は愛されていると思い込むということです。

なので、しばらく、ひとつの実験として「愛されていると思い込む」ことをして、この図のように、私の身体の周りにピンクの愛の円で包まれるように挑戦してみたいと思います。

いずれにせよ、自分の内側と外側に否定がなくなって内と外の両側から「愛」の意識で満たされるようになると、真の「喜び」を得られるようになると思います。

こちらが保江邦夫さんの「愛されると思い込む」について書いた記事です。

といったわけで、今回は少し変な終わり方になってしまいましたが、真の「喜び」を体感できるように楽しみながら精進していきたいと思います。




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