第75回:「喜び」とは夢中になって生きること
今回は、「喜び」とは夢中になって生きること、というテーマで書いていきます。
生きていて「嬉しい」、「楽しい」と感じる瞬間は、「我を忘れ」て何かに「夢中」になっている瞬間です。
このため、「嬉しい」「楽しい」「我を忘れる」「夢中」ということは、すべて同じ意味であり「喜び」の瞬間といっていいでしょう。
そこで日々の生活の中に、「嬉しい」「楽しい」「我を忘れる」「夢中」と感じる時間を多く取ることができるようになれば、人生そのものが「幸せ」に変わっていくものです。
もちろん、何に幸せを感じるのか、どんな形が幸せなのかは人それぞれで異なるものですが、「幸せ」という感情は同じものです。
さらに、この「幸せ」の感情は、我を忘れて何かに夢中になっているときだけでなく、それをする前後にも感じられることでもあるため、「WILLの喜び」と「DOの喜び」と「BEの喜び」の3つあると考えることができます。
「喜び」の3つの形態
「WILLの喜び」と「DOの喜び」と「BEの喜び」、この3つを常に持ち合わせて生きられるようになると、人は「幸せ」を感じられるようになるものであり、「幸せの理想の形」はこの3つの喜びの循環の中で生きることだといえます。
しかし、こういった循環の外にある「喜び」は、単一的なものであり一時的な「喜び」だったりします。
たとえば、辛い状況を乗り切ったときの「喜び」は「解放された」という喜びであり「DO」の部分に「喜び」がなかったりします。
私は、楽しさを感じられない仕事をしていたときに、よく職場の友人とお酒を飲みに行っていましたが、そういった場合のお酒の喜びは、「つまらなさ」からの解放の喜びだったりしました。
この「つまらなさからの解放」の「喜び」は数時間で終わるものであり、生活のほとんどを占める「DO」にも、その前後の「WILL」や「BE」にも「喜び」がありません。
なぜかというと職場に向かう朝はネガティブになっているし、生活全般においてネガティブさが強まっているので、「WILL」「DO」「BE」のすべてに「喜び」がないからです。
では、「WILL」「DO」「BE」のすべてに「喜び」を感じる状態はどういう状態かというと、たとえば大好きなアーティストのコンサートに行く日の朝から帰宅するまでを考えるとわかりやすかったりします。
大好きなアーティストのコンサートに行く日の朝は、目覚めたときからワクワクしていて、出かける準備をしているときから会場で幕が開くまでの「WILL」の状態でもワクワクした気持ちを感じているものだし、演奏が始まって夢中なって我を忘れて嬉しさや楽しさを感じている「DO」のときももちろんのこと、演奏が終わって帰宅したあとも「嬉しかった」「楽しかったという「BE」の「幸福感」に包まれていたりするものです。
こういった感じで、一日を「WILL」「DO」「BE」の「喜び」で過ごせるようになると「幸せ」を感じられるようになるものです。
では、この「WILL」「DO」「BE」の中で、一番何が重要かというと、もちろん「DO」であり、「DO」の部分を充実させることができると、前後の「WILL」と「BE」にも「喜び」が感じられるようになっていくものです。
人は活動により存在になる
昨日、「好き」を極めて生きてみるという記事を書き、その中で千賀一生さんの著書「タオの法則」の言葉を使わせて貰いましたが、今回もその四つを引用してみます。
この言葉を、先ほどの大好きなアーティストのコンサートに行く例にあてはめると、コンサートに行って楽しむという行動が「喜び」となって、その人の存在を表すことになります。
しかし、何もすることがなく退屈にしていると、その「退屈さ」がその人の存在になってしまします。
つまり、存在の意味は「活動」することによって決まるといっていいでしょう。またその活動も単にしていればいいというわけではなく、活動そのものを楽しめているかどうかも大切だったりします。
そして、活動そのものを心かから楽しめるようになったとき、幸せを感じられるようになるものです。
では、どうすれば「活動」そのものを楽しめるようになるのかというと、「好き」なことをするということになります。
「DO」を意味する活動を「好きなこと」にすることができると、朝から楽しい気分で目覚めることができるし、それをしている最中はもちろんのこと、終えたあとでも満足感や達成感を味わえたりするものです。
つまり「DO」を「好きなこと」にすることができると「WILL」「DO」「BE」のすべてが「喜び」になって、一日を「喜び」の循環で過ごせるようになり幸せを感じられるようになっていきます。
そして、日々の生活を喜びの「WILL」「DO」「BE」の循環の中で過ごせるようになると、それが『高次の「好き」で生きる』ということになっていくのです。
さらに、人がこの高次の「好き」で生きられるようになると、やがて存在を掌握することができるようになっていきます。
先ほどの千賀さんの言葉の「活動により存在になる」という言葉の進化系が、「自身を極めた分だけ、人は存在を掌握する」ということになるといえます。
つまり、「DO」である活動を極めていくと、自分という存在を掌握できるようになっていくものなのです。
たとえば職人と呼ばれる人は、ひとつの技術を極めることで、自分の存在を掌握できるようになっているといえます。
また野球でいうならイチローさんも、自分を極めたことでイチローというブランドを作り上げ自身を掌握できるようになったといってもいいかもしれません。
さらに、現在進行形ですがMLBで活躍する大谷選手も、自分自身の特徴を掌握できているからこそ、投打にわたり結果を残すことができるようになっているといっていいでしょう。
そして、イチローさんと大谷選手に共通することは、二人とも野球という「好き」を、より高次の状態で行っていることです。
では、イチローさんや大谷選手のように、夢中になれることを見つけるにはどうすればいいかというと、肯定したいことに向かって行くことなのだと思います。
千賀さんは、この一文を次のように解説しています。
人は短所を正していくことよりも、長所を伸ばしていった方が、その成長の幅が大きいものです。さらにそういった長所を伸ばしていけばいくほど、それがその人の人生の「DO」というべき「活動」になっていき、その活動を極めていくことができたとき、人生そのものが「喜び」になって「幸せ」へと変化していくものです。
そのためにも、自分を肯定できるものを見つけていくことで、そこに夢中になれる「好き」を見つけることが大切なのだと思います。
「喜び」が人生の軸になり武器になる
これはYOASOBIの「群青」の歌詞の一部ですが、好きなことは何回も繰り返しできることです。
また、同じようなことでも繰り返ししていると、やがて精度が上がっていくものであり完成度も高くなっていくことでしょう。
そうやって同じことを楽しみながら繰り返しできるようになると、やがて自分を極めることができるようになっていきます。
もちろん、好きなことをしている最中に、苦労を感じることもありますが、そういった苦労も乗り越えることができると、その経験から個性が生まれ、その個性が特徴となって、今度はその特徴が自分の武器に変わっていくものです。
そして、様々な過程を経て得ることができた武器が、その人の人生の軸となって、人生そのものを「喜び」にしていきます。
人生の軸は、「喜び」の「WILL」「DO」「BE」の循環を造ることであり、この循環を造るためには、「嬉しい」「楽しい」と感じることを我を忘れ夢中になってすることが欠かせないといっていいでしょう。
そして、この「WILL」「DO」「BE」の循環の総体を「喜び」という武器に変え、人生の軸にして生きていくことができたとき「幸せ」を感じて生きることができるようになるでしょう。
そのためにも、千賀さんの言葉を借りるなら、徹底して自分を受容し、肯定出来ることを伸ばしていきながら、「好き」を見つけていくことができるようになると、やがて「幸せ」を感じて生きていけるようになると思います。
「喜び」とは夢中になって生きることです。人生を通じて夢中になれることを見つけることができると、人生が「喜び」となって毎日をワクワクした状態で過ごせるようになっていくものです。
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