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幸せになるコツ

前回、生活の動作の一つひとつを丁寧に行うことが「幸せの作り方」であるということを書いた。

しかし、よくよく考えてみると生活のすべてを丁寧に行っていたら、生活そのものが成り立たないのではないか、という思いがよぎった。

というのも、現代は時間に合わせて生活するのが当たり前になっているものであり、すべてのことを丁寧にやっていたら、生活そのものが成り立たなくなってしまう。

我々は時間を基準に生きていて、時間内にしなければならないことを終わらせることが目的となる場合が多い。

しかも、我々は幼少の頃から時間に合わせた生活をしていて、それが当たり前になっているし、当然、日々の生活は時間で区切られている。

また、世間的には時間通りにできることが優秀と評価されるため、時間を掛けて腰を据えてやるという機会が、圧倒的に少ないように感じる。

人は、何をやるにしても得意不得意があるものだし、得意なことは早く終えることができるものの、そうでないことは時間がかかってしまう。

そういった個人差がある中で、すべてを時間内に終わらせるということは、実は難易度の高いことを求められているといっていい。

たとえば、優秀さの定義が「教えられたことを時間以内に習得すること」、であるならば、それらのすべてを出来るような人は極わずかでしかない。

このため、それができる人とそうでない人が、ふるいにかけられてしまうのが、僕がこれまで体験してきた教育のシステムだったように思う。

また、こういった教育のシステムが、人を外向きにさせてしまうということもできる。

外向きとは、他者からの評価が高い人が優秀とされるということ。

そういった評価を幼い頃から受けていて、納得できる評価を得ることができなかったりすると、自分に対する信頼を持てなくなってしまうもの。

幼い頃より自分に対する自信をなくしてしまうと、それを回復するには時間がかかる一方で、そういった評価の中で、人生の大半を過ごすのが今の社会であり、失った自信を回復させる機会も少ない。

また時間内にできてしまう人であっても、必要以上にいろんなことを求められるため、自然と役割が増えていって疲弊していくケースも多い。

いずれにしても、時間という制限のある中でしなければならないことをこなしていくというスタンスで我々は生きているため、一つひとつを丁寧に行っていくということは、なかなかの困難なことなのではないかと思った。 

時間内に丁寧に行えるようになるには、訓練が必要になる。

何度も何度も繰り返していく中で、物事を習得できるようになっていくもの。

そういった中で、急げ急げで生活していると習得すべきことも習得できず、とりあえず終わらせることが目的となってしまう。

人を育てるということは、一つひとつを丁寧にできるようにすることだろう。

しかし、そういった育てる時間さえ、我々にはあまり与えられていないように思う。

新しい職場では、短時間で仕事ができるようになることを求めるし、求められる。

とにかく、限られた時間内で終わらせることが目的になることが多い。

もちろん、終わらせるだけでなく、ある程度の形に仕上げなければならない。

時間内にある程度できるようになること、それが今の社会の合格ラインと考えてもいいだろう。

僕が、人生の中で丁寧さを意識するようになったのは、ここ数年のことであり、それまでは仕事も勉強も終わらせることを目的に、ずっとやってきたように思う。

もちろん、終わらせることを目的としていた思いの裏側には、それを心から楽しめていなかったという理由もある。

幼い頃から外側を意識して生きていたこともあり、自分の満足よりも、そこそこの出来を提供することで善しとするという感じで、長い時間を過ごしてきたように思う。

僕は現在、時間に追われることがほとんどなく、丁寧さを心掛けて生活することができるため、心地よく生活できるようになっている。

では、なぜ今のような生活をしようと思ったかというと、外向きで生きるのに疲れてしまったからであり、まずは自分を満たすことを優先するようにしたから。

幸い、そういった転換ができる状態にあったから、まずは自分を満たすことに集中することができた。

自分を満たすには、しなければならないことを減らしていき、本当にしたいことだけをしていけばいい。

しかも、本当にしたいことであれば、それをできるだけ丁寧に行っていきたいと思うようになるもの。

なので、まずは自分が心からやりたいと思うことから、丁寧さを意識していくのが、幸せになるコツといってもいいかもしれない。

今の生活様式の中で、すべての物事を丁寧にするのは難易度が高いように思う。

一つひとつのことを丁寧に行っていると、時間が足りなくなってしまうから、まずは行為の中で不要な物を捨てていって、本当にしたいと思うことを残していかないと丁寧な生活を成り立たせるのは難しい。

そういった意味では、まずは行為の断捨離からはじめて自分が心からやりたいと思うことから、丁寧さを意識していくのが幸せになるコツといってもいいだろう。

不要な行為を捨ていき、その分を、自分の好きなことに充当し、それを丁寧にやっていくことで内的な満足を得られるようにしていく。

残念ながら、生きている中で丁寧にすることの重要性を教わる機会は、あまり多くない。

むしろ、時間内にできるようになることを求められることが多いし、いち早く目的を達成できることが、美徳とされているようにも思う。

その理由はというと、今の経済の仕組みが背景にあるだろう。

今の資本主義経済は、「早くたくさん」で成り立っている。

そして、そういった経済のシステムは、地に足がついていない感じがして空虚感さえ漂っているようにも思う。

ただ右の物を左に動かしているそういった感が否めない。

右の物を左に時間内に動かせる人が重用される。

一つひとつを腰を据えて取り組み、研磨していく。

本来は、そういった中に喜びが存在している。

そんな味わい深さを感じる時間が、社会としてあまりないように思う。

何のために生きるのか、なかなか掴みづらい世の中だからこそ、味わっている時間もあまりとれないのかもしれない。

歯車の一部になれば、とりあえず生きていけるようになる。

しかし、歯車の一部ではつまらない。

歯車の一部ということは、代替え可能ということ。

人は本来、唯一無二なのだ。

どんなことでも心を込めて丁寧にすることができるようになると、地に足を着けて生きていけるようになる。

そういった瞬間に、自分を感じることができるようになるだろう。

今この瞬間を、ちゃんと味わって生きていけるようになれば、生きていることを実感できるようになる。

「こなす生活」から脱することができるようになると、人は幸せを味わって生きていけるようになるだろう。

そうなるためにも、まずは自分が何に時間を掛けたいかを知って、それをしっかりと味わうようにできるようになれば、幸せを感じて生活できるようになる。

何のために生きるのか。

それを明確にして、それを実践していくことで丁寧な暮らしができるようになる。

幸せは、幸せと感じられることを多くすることで実感できるようになる。

自分にとっての幸せを知ることができなければ、幸せになることができない。

自分にとっての幸せとは何かを知ってはじめて、丁寧に生きていきたいと思えるようになるだろう。

そうなるためにも、まずは自分の好きなことから味わっていく。

それが、幸せの第一歩となることだろう。

ただ通過していくだけの日々を過ごしていてはもったいない。

丁寧さとは味わうことであり、一瞬一瞬を味わう時間を増やしていけば、幸せを実感できるようになる。

存在の価値を味わうことができるようになると、生き方を価値あるものに変えられるようになる。

まずは好きなことから丁寧に。

そこから徐々に幸せを味わい広げていくのが、無理のないやり方だと思う。




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