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かもしれない運転(ショート)

 夫はかなりの心配性だ。
 車の運転をする前は必ず車の下や周囲を確認する。
 教習所では習ったけど、本当にそこまでする人いるだろうか。
「小さい子供がいるかもしれないし、猫とかがいるかもしれない。何かあったとき近くに目撃者になりそうな人がいるかもしれない。それはもしかすると退職した警察官とかかもしれない。そんな風に不安になるなら、きちんとするのが一番楽だよ。」
 私が呆れた顔で見ていると、夫は笑いながら言うのだ。
 
 夫は一事が万事これなので、生活自体は安定したものだが、物足りなさも感じてしまう。そんな中、ちょっとした火遊びのつもりの浮気が夫にばれた。
「ごめんなさい。一時の気の迷いだったの。」
 私が泣きながら謝ると彼は微笑んだ。
「大丈夫。僕が君を不安にさせたせいかもしれない。」
 ほっとすると同時に、思っていたとおりの反応をする夫に苦笑する気持ちにもなる。
「でも、彼が生きている限り、君はまた浮気をするかもしれない。」
 続いて出た言葉にはぎょっとした。まさかと思ったが、こういうときの彼は本気だ。
 しつこくなってきた浮気相手に疲れてもいた私は、夫に全面的に協力することにした。
「誰かに目撃されるかもしれないから、自宅には呼び出さない方が良いかもしれない。彼を呼び出すときはSNSで連絡を取るのではなく、口頭で約束を取り付けた方が良いかもしれない。殺人事件として捜査されるよりも、行方不明として扱われた方が良いかもしれない。」
 私は夫がぶつぶつ言うのに従った。翌日、いつものホテルで浮気相手と会い、夫に疑われているようだと伝えて連絡は取らないよう約束をした。浮気相手は不満そうにしていたが、その場で、来週の同じ時間に彼の家の近くに車で迎えに行く約束をした。
 
 その日は私が車を運転した。
 夫と一緒に車の下や周囲を確認した。こんなに本気で安全確認をしたのは初めてかもしれない。
「じゃあ行ってらっしゃい。また後で。」
 夫に見送られて車を発進させる。
 浮気相手を見付けて、さっと車に乗せた後、飲み物を勧める。
 睡眠薬入りだが、元気になる薬が入っていると説明したら喜んで飲んだ。
 少し車を走らせるとぐっすり眠り始めたので、夫の指示に従い高速に乗る。
 
 山の中に着くと、黒っぽい服で身を包んだ夫が待っていた。
「さあ、ここで始末してしまおう。」
 夫の指示に従い、浮気相手の眠る車の中で練炭を炊く。本当にこれで大丈夫なのか半信半疑だが、夫は「行方不明で捜査され、自殺で見付かるのが一番良いかもしれない。」と言う。夫が言うならそうなのだろう。
 浮気相手がこと切れるまでの間、夫の持って来てくれた食事をとる。この1週間、緊張でまともに食べてこれなかったのでとても美味しく感じる。
 そこで久々に夫とゆっくり話した。
「ごめんなさいね、本当に。こんなことになって。」
「いいんだよ。むしろ、こうなって良かったのかもしれない。」
 夫は優しく微笑むだけで、多くを語らなかった。
 話しているうちに私は眠くなってしまい、夫の肩にもたれて眠っていた。
 
 気が付くと、車の運転席にいた。
 状況がよく飲み込めず周りを確認すると、助手席には真っ白な顔になった浮気相手がいる。
 窓の外を見ると夫が車内を覗いていた。
「な、な。」
 言葉がうまく出てこない。身体全体が麻痺している感じだ。夫がゆっくり歩いているのを見て、初めて車が前に進んでいるのに気が付いた。ブレーキを踏もうとしても、どうしても力が入らない。
「途中で起きてしまうかもしれないとは心配してたんだ。」
 夫はいつもの調子で話し始めた。
「あの後、よく考えたんだ。浮気相手がいなくなっても、君は浮気をするかもしれない。自殺に見せかけて浮気相手を殺しても、警察は容易に君や僕にたどり着くかもしれない。警察に話を聞かれたら、君は僕のせいにして全て話してしまうかもしれない。」
 前方を見ると、車は真っ暗な闇の中に向かっていた。
「そんな風に不安になるなら、きちんとするのが一番楽だなって。」
 夫はいつもの笑顔でそう言うと立ち止まった。
 私と浮気相手の乗った車だけがゆっくりと進み続ける。
 この暗闇の先にあるのは何だろうか。思考がまとまらず、何も思い浮かばない。
 あ、崖になっているのかもしれないと思い付いたとき、車が大きく揺れ、多少の浮遊感を味わった後、ありとあらゆる隙間から水が入ってくるのが分かった。

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