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宮沢賢治と岩手【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか?(11)】[#29]

 これまで見てきたように、私が現代から漠然と眺めていた以上に、当時の岩手と世界の距離は近く、明治維新の苦難を乗り越えるべく、急速に距離を縮めていた世界を目指した岩手だからこそ賢治が生み出され、賢治もまた、狭くなった世界と密接につながりながら、作品を生み出したのかもしれません。原敬などの戊辰戦争後の岩手の苦難を知る世代の人々が、外交や軍といった分野で台頭したのに対し、その次の世代の賢治が、文化の分野で百年以上も輝く存在となったことは、苦難から始まった岩手の歴史が、先達の努力によって実りを迎えたようにも見えます。今では賢治の名が、原や佐藤以上に、岩手を代表する存在として人々に知られているという事に、文化の持つ大きな力を感じます。
 
 また、賢治が世界の作品や思想とどのようにつながったかが更に解き明かされることにより、賢治がそれらから吸収したものを、どのように自らの創作へ昇華したのかを垣間見ることができるとともに、賢治を育んだ岩手と世界の結びつきも知ることができるように思えます。私にとって今回の取組みは、賢治作品が持つ幅広く豊かな世界観に反して岩手が持つ「厳しく貧しく暗い」ネガティブなイメージを、改めて見つめ直すきっかけともなりました。

2022(令和4)年10月21日(金)

(続く)

【写真は、岩手の朝焼け】

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