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原敬と岩手(1)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(1)】[#31]

〇 「原敬」の生まれた年

 原敬は、1856年に生まれました。1856年は、江戸幕府の徳川慶喜が大政奉還を行った1867年や、薩摩藩などの新政府軍と、旧幕府軍が戦った戊辰戦争があった1868年-1869年の約10年前で、この時代に生まれたことが、後の原敬の運命に大きな影響を与えます。

〇 「原敬」の生まれた場所

 原敬が生まれた場所は、東北にあった南部藩(現在の岩手県)の盛岡です。原敬の生家は、盛岡城などがあった盛岡の中心部から、北上川を越えた本宮という場所です。原敬が生まれた南部藩は、戊辰戦争の時には旧幕府軍側に属し、会津藩などと奥羽列藩同盟を組んでおり、戊辰戦争で敗れることとなりました。

〇 「原敬」の名前

 原敬は、子どもの頃は「健次郎」という名前です。原敬の両親がともに厄年のときの子どもで、厄年生まれの子どもは忌み嫌われる場合もありましたが、原の家族は迷信にとらわれず、健やかに育ってほしいとの希望を込め、「健次郎」の名をつけました。
 敬という名前は、15才で元服した時に、原敬が自分で名付けました。「原敬」の読み方は「はらたかし」ですが、「原敬日記」や「原敬記念館」の場合は「はらけい」と読みます。

2022(令和4)年10月23日(日)

(続く)

【写真は、原敬記念館前の「宝積」の碑】

【参考資料】
「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」 清水 唯一朗 中央公論新社 2021年
「国萌ゆる 小説 原敬」平谷 美樹 実業之日本社 2021年
「本懐・宰相原敬―原敬日記をひもとく」木村 幸治 熊谷印刷出版部 2008年
「原敬と新渡戸稲造: 戊辰戦争敗北をバネにした男たち」 佐藤 竜一 現代書館 2016年

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