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さまよう若き原敬(7)(終)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(12)】[#42]

〇 外交官として中国へ

 『官報』に関わる地方巡回の途中で、東京へ呼び戻された原敬は、中国の天津での外交官としての勤務を命じられます。これは、ベトナムをめぐるフランスと清(現在の中国)の対立が深刻化したことによるものです。フランス人神父との交流によってフランス語にも通じ、それ以前には漢文も学んでいた原にふさわしい仕事とも言え、今まで以上の好待遇で、エリート外交官として中国へ行くこととなります。

〇 薩摩の有力者の娘との結婚と「平民宰相・原敬」の始動

 中国での仕事が決まったタイミングで原は、薩摩出身の有力者を父に持つ中井貞子と結婚します。この時期、薩摩や長州など戊辰戦争の勝者側の有力者たちは、敗北した旧幕府軍側の優秀な若者達を抱え込み、自分達の勢力の拡大を行います。原と同じ岩手出身の斎藤実は薩摩にゆかりの妻を、後藤新平は熊本にゆかりの妻を迎えています。
 新政府の有力者の娘と結婚し、中国・天津へと旅立った27歳の原は「平民宰相」誕生に向けて大きく動き始め、62歳で総理大臣となるまで長い年月をかけ、一歩一歩着実に、階段を登っていったように見えます。

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 「原敬と岩手」「さまよう原敬」は、下記の【参考資料】に記載の、「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」 (清水 唯一朗 著)、「国萌ゆる 小説 原敬」(平谷 美樹 著)、「本懐・宰相原敬―原敬日記をひもとく」(木村 幸治 著)、「原敬と新渡戸稲造: 戊辰戦争敗北をバネにした男たち」 (佐藤 竜一 著)等を参考に、20代後半までの原敬について簡単にまとめまています。
 特に、後半になるに従い「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」 (清水 唯一朗 著)の内容が中心となったため、今回の記事を読んでいただき、原敬についてご興味を持っていただいた方は、「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」をお読みいただければ、その後の、東京駅で暗殺されるまでの原敬の生き方や業績についても、詳しく学ぶことができます。
 なお、明日は原敬が東京駅で亡くなった1921年11月4日から101年目となる命日です。

2022(令和4)年11月3日(木)

(了)

【参考資料】
「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」 清水 唯一朗 中央公論新社 2021年
「国萌ゆる 小説 原敬」平谷 美樹 実業之日本社 2021年
「本懐・宰相原敬―原敬日記をひもとく」木村 幸治 熊谷印刷出版部 2008年
「原敬と新渡戸稲造: 戊辰戦争敗北をバネにした男たち」 佐藤 竜一 現代書館 2016年

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