見出し画像

さまよう若き原敬(6)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(11)】[#41]

〇 フランス語が、原敬をエリート官僚の道へ

 1882年の外務省入省で、それまでのキャリアの遅れを一気に取り戻した原敬ですが、これは、この当時の人事制度の自由度が高かったことによると言われています。そして、外務省にフランス語に通じた人材が求められたことが、原の外務省入省のきっかけであり、かつて、フランス人牧師と行動を共にしていた経験が活きたこととなります。
 当時の世界情勢において、ベトナムを巡るフランスと清(現在の中国)との対立により、外務省でのフランス語人材の必要性が高まりました。戊辰戦争敗北により南部藩のエリートとしての未来が閉ざされ、さまよい続けたようにも見える原敬の未来を大きく開いたのは、外国語の習得であったとも言えます。

〇「官報」創設メンバーとして

 1883年、原敬は、外務省を兼務しながら、太政官御用掛の勤務となりますが、これは、政府が自らの主張を伝えるための「官報」創設に関わるためです。原が以前、大阪で勤務していた「大東日報」も、政府が世論に対して働きかけることを目指した政府系新聞であり、「官報」も同様に、事実報道を主体としたメディアではあるものの、世論への働きかけを目指しています。
 ここでも、原の新聞社での経験が活きたと思われ、かつて「郵便報知新聞」にいた時と同様に、西日本を巡回します。地方巡回では、地方の責任者達からの情報収集を行いながら、政治や交通、産業について調べています。

2022(令和4)年11月2日(水)

(続く)

【参考資料】
「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」 清水 唯一朗 中央公論新社 2021年
「国萌ゆる 小説 原敬」平谷 美樹 実業之日本社 2021年
「本懐・宰相原敬―原敬日記をひもとく」木村 幸治 熊谷印刷出版部 2008年
「原敬と新渡戸稲造: 戊辰戦争敗北をバネにした男たち」 佐藤 竜一 現代書館 2016年

#宮沢賢治 #新渡戸稲造 #原敬 #佐藤昌介 #内村鑑三 #斎藤宗次郎 #後藤新平 #斎藤実 #ディキンスン #岩手 #花巻 #札幌 #北海道 #北大 #盛岡 #北海道大学 #札幌農学校

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?