原敬と岩手(4)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(4)】[#34]
○ 原敬と作人館
原敬(健次郎)は、1870(明治3)年に盛岡にあった作人館に入学し学びます。作人館の同級生には、佐藤昌介、田中館愛橘(地球物理学者、東京帝国大学教授)、菊池武夫(中央大学創設者の1人)などがおり、先輩には、阿部浩(東京府知事)がいます。
佐藤昌介は、後に札幌農学校の1期生となりクラークから直接教えを受け、その後、札幌農学校の北海道帝国大学への昇格へ、総長などとして大きな貢献をします。晩年まで、現在の北海道大学のトップとして君臨し、文字通り「北大の父」と言える人物です。岩手出身の新渡戸稲造の兄貴分的な存在として新渡戸を支援し続け、新渡戸の葬儀委員長を務めたのも佐藤で、原敬の葬儀でも弔辞を読んでいます。原は、佐藤昌介や、廃校の危機を迎えた札幌農学校を支援しています。
作人館では、戊辰戦争での南部藩の敗北を学問ではらすよう教えられ、作人館出身の旧南部藩の若者たちは、その後の人生においてそれぞれに活躍していきます。
2022(令和4)年10月26日(水)
(続く)
【参考資料】
「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」 清水 唯一朗 中央公論新社 2021年
「国萌ゆる 小説 原敬」平谷 美樹 実業之日本社 2021年
「本懐・宰相原敬―原敬日記をひもとく」木村 幸治 熊谷印刷出版部 2008年
「原敬と新渡戸稲造: 戊辰戦争敗北をバネにした男たち」 佐藤 竜一 現代書館 2016年
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