岩手の賢治?賢治の岩手?(4)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(18)】[#48]
宮沢賢治の世界は、現実に存在する「岩手」から、ややかけ離れているとは言っても、賢治作品には、岩手の自然や風土、人々も描かれています。ただ、これらも、賢治が持つ独特のフィルターを通して捉えられた「岩手」の姿で、一般の人が同じ景色を見たとしても、賢治のようにその景色を捉えることは難しい。岩手人の実感として、岩手の風土と宮沢賢治が今一つ結びつかず、賢治を「異次元の人」という感覚で見ているのではないでしょうか。
岩手以外の人達が「岩手出身の宮沢賢治ってすごいよね。」と言ったとしても、岩手の人達にはピンとこない、岩手から賢治が浮遊しているこのような状況は、岩手にとってもやや不幸な状態であるような気がします。
実際、「なぜ岩手から、宮沢賢治を生み出すことができたのか」という視点からの調査や研究を見る機会は少なく、それがまた、「オラが県の賢治」という意識や誇りが生まれづらい、という状況にもつながっているように見えるのです。
2022(令和4)年11月14日(月)
(続く)
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