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さまよう若き原敬(1)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(6)】[#36]

○  「クリスチャン」原敬

 盛岡を離れて上京したものの、南部藩ゆかりの共慣義塾などを退学した原敬は、海軍兵学寮の受験を不合格となった後、フランス人宣教師が運営する学校に入りました。学校では食費などが無料で、家や食事にも困窮した状況であった原が、教会を頼ったとも言われています。
 その翌年の1873年には、キリスト教は禁教ではなくなりましたが、逆に言えば、原が教会を頼った時、キリスト教はまだ禁教という時期でした。
 原はカトリックの洗礼を受けダビデと名乗り、エヴラール神父の下で布教に取り組み、新潟に滞在します。
 その後、盛岡へ帰省した原は、1875年に、北へ旅立つエヴラールと別れ、盛岡に滞在します。

2022(令和4)年10月28日(金)

(続く)

【参考資料】
「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」 清水 唯一朗 中央公論新社 2021年
「国萌ゆる 小説 原敬」平谷 美樹 実業之日本社 2021年
「本懐・宰相原敬―原敬日記をひもとく」木村 幸治 熊谷印刷出版部 2008年
「原敬と新渡戸稲造: 戊辰戦争敗北をバネにした男たち」 佐藤 竜一 現代書館 2016年
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