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さまよう若き原敬(2)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(7)】[#37]

○「平民」原敬の法学校入学

 フランス人神父のエヴラールと別れた後の原敬。実家にいた兄によって、家計にゆとりが出ていた原家は、原敬を再び学問の世界へと送り出すことができました。
 また、原はこの時期、実家の戸籍から離れ、原敬自身の戸籍を作ることとなります。その際、自らの戸籍を「平民」とすることを選び、後に「平民宰相」となるきっかけが生まれます。
 原敬が「平民」となった理由には諸説ありますが、いずれにしても、原敬は自分が平民である事に誇りを持っていたと思われ、そこからは、「新しい人」として「新しい時代」を切り開いていく決意のようなものも感じられます。
 そして、再び上京した原敬は、東京の塾で学問を再開した後、多数の志願者が受験する、難関の司法省法学校へトップクラスの成績で合格し、司法のエリートとしての道を邁進するかに見えました。

2022(令和4)年10月29日(土)

(続く)

【参考資料】
「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」 清水 唯一朗 中央公論新社 2021年
「国萌ゆる 小説 原敬」平谷 美樹 実業之日本社 2021年
「本懐・宰相原敬―原敬日記をひもとく」木村 幸治 熊谷印刷出版部 2008年
「原敬と新渡戸稲造: 戊辰戦争敗北をバネにした男たち」 佐藤 竜一 現代書館 2016年
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