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なぜ賢治は岩手から生まれたのか?【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか?(1)】[#16]

 私にとって、「宮沢賢治」は「フシギ」な存在で、賢治に対するいくつの疑問があります。その1つは「なぜ宮沢賢治から岩手に生まれたのか?」というものです。
 「何を当たり前のことを」と言われそうなほど、「賢治」と「岩手」のイメージは、強く結びついています。そのイメージとは、「厳しく貧しい岩手の風土が生んだ農民作家・宮沢賢治」などと括られるイメージでしょうか。しかし、宗教、科学、文学等々、幅広い世界に興味が開かれた賢治と、貧困や災害に苦しむ「貧しい岩手」のイメージは結びつき難い面もあり、私にとっては「ある日、岩手の花巻の上空からお星さまが宮沢家に落下して賢治が生まれ、37年の短い生涯をかけ、ひたすら自己を深め続けた成果として優れた作品が生み出された」かのような、賢治がその時代の現実世界、そして岩手からも切り離されたような感覚がありました。
 今回は、「楢山佐渡」から連なる旧南部藩の人脈と、19世紀にアメリカの一地方であるアマーストという小さな町で、後世に残る詩を生み出した女性「エミリィ・ディキンスン」に触れながら、賢治を含めた、岩手そして花巻の人々がどんな時代の空気の中にいたのか、時代の風景を辿っていきたいと思います。
 賢治は19世紀末から20世紀初めの岩手だからこそ生まれたのかもしれない、と思ったりもしています。

2022(令和4)年10月8日(土)

(続く)

【写真は、宮沢賢治記念館】

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