外国語とキリスト教と岩手【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか?(6)】[#21]
原・佐藤・新渡戸・後藤・斎藤実といった岩手県人は、外国語の習得による国際的な活躍や、軍人としての活躍が特徴的で、その活躍の場も東京に留まらず海外や北海道・台湾などへと広がっています。外国語の習得には大きな努力が必要であり、軍人としての活躍には危険が伴います。新政府での地位が約束されていない旧南部藩・伊達藩であった岩手県人にとっては、それらの分野での挑戦は大きな賭けではなかったかと思われます。そして、後で述べる世界のグローバル化や帝国主義化の流れに乗ってその存在感を高め、賭けに勝った原を筆頭とする人々はかつての汚名を晴らし、国際人として日本の中枢へ駆けあがっていきました。
このように、戊辰戦争時の南部藩重臣たちの次世代の知識階級がキリスト教を受け入れ、外国語を習得しながら新しい時代の中で地位を高めていく姿は、岩手、そして花巻に住む人々にとって、東京も札幌も、そして世界も身近なものに感じさせ、賢治その例外ではなかったのではないでしょうか。
2022(令和4)年10月13日(木)
(続く)
【写真は、教会の十字架】
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