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新渡戸稲造と宮沢賢治【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか?(4)】[#19]

 新渡戸稲造は盛岡生まれですが、その記念館は花巻の賢治記念館の近くに建っています。新渡戸家が花巻ゆかりの南部藩士であることがその理由で、新渡戸は原敬や佐藤昌介と同じく南部藩の藩校である作人館で学びます。その後、佐藤の縁で札幌農学校の二期生となり、佐藤とは終生兄弟のような関係であったと言われます。新渡戸も農学校でクリスチャンとなり、エスペラント語の普及にも取り組んでいました。賢治は盛岡中学1年(13歳)の1909(明治42)年に新渡戸の講演を聞いています。

2022(令和4)年10月11日(火)

(続く)

【写真は、北海道大学の新渡戸稲造像】

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