#121 宮沢賢治と大谷翔平(10)
(続き)
キリスト教では、自分とは別に絶対的な神が存在し、人はその神を信仰することによって救われます。
一方、エマーソンの思想では、人間1人1人の中に、潜在的に神と同じような力が存在し、個々人がその力を信じ、その潜在能力を最大限に磨くことによって偉大な存在となり得る、としています。
このような、他力本願的ではなく、自力救済的な思想であるからこそ、絶対的なポジティブ思考や、自己啓発的な、自己を磨くことで自ら成功を獲得するという考え方と、相性の良さを持っています。
また、エマーソンの思想のルーツには東洋思想があると言われます。エマーソンは仏教にも興味を持ち、翻訳した法華経を自らの雑誌に紹介したという話を聞いた事もあります。
法華経は、宮沢賢治が亡くなるまで強く信仰していました。
全ての生あるものに仏性があるという思想は、仏教を始めとする東洋的な思想の特徴の1つでもあり、人間だけではなく、動物や植物などにも魂が存在するというアニミズム的な思想へもつながります。取るに足らないような個人の存在が、宇宙に満ちる偉大な力と同質である、という考えは、自己を極限の高みにまで高めていこうとする強力なモチベーションとなり得ます。
そして、宇宙全体に存在すると同時に、人間1人1人の中にも内在する、このような潜在的な力をイメージする際、ニューソート思想で使われる「エーテル」という言葉は、それらをイメージするのにふさわしい単語であるように思われます。
宮沢賢治の「春と修羅」などに登場するエーテルという言葉は、賢治がどんな意味で用いたかは正確にはわかりませんが、宇宙に満ちるエネルギーのようなイメージも含み、そのイメージは、ニューソートの思想やエマーソンの思想に登場する「宇宙に存在する見えない力」のイメージとも重なります。
(続く)
2024(令和6)年2月13日(火)
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