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花巻・岩手にゆかりの人々と宮沢賢治【なぜ宮沢賢治は岩手から生まれたのか?(5)】[#20]

 内村鑑三は、新渡戸稲造と同じ札幌農学校二期生でクリスチャンです。農学校卒業後、宗教家・思想家などとして活躍した明治を代表する偉人ですが、花巻を何度か訪問し、先にも出てきた「雨ニモマケズ」のモデルとも言われる斎藤宗次郎や、賢治の担任だった照井真臣乳の師でもあります。
 賢治と内村が直接会ったという記録はありませんが、賢治は近所に多く住んでいたキリスト教信者を通じ内村の著書に触れていた可能性もあり、特に内村の弟子であった斎藤との交流を通じ、内村の思想に興味を持っていたことが推察されます。賢治の父の政次郎も斎藤と年齢が近く交流がありました。
 また、キリスト教伝道事業である救世軍の山室機恵子も賢治の近所であったと言われるなど、明治から大正にかけての花巻は、想像以上にキリスト教の空気が濃かったと思われます。賢治の妹の宮澤トシも、クリスチャンの広岡浅子(NHK朝のドラマ『あさが来た』の主人公のモデル)らが設立した、現在の日本女子大学に進学しています。
 同時期には、岩手出身の後藤新平や斎藤実(まこと)などが中央政界で活躍し、賢治が東京へ家出していた大正10年当時、後藤新平は東京市長でした。

2022(令和4)年10月12日(水)

(続く)

【写真は、宮沢賢治記念館の標識】

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