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「賢治と新渡戸の相似形」【宮沢賢治と新渡戸稲造(4)】[#5]

 ともに岩手に生まれ、同じ時代を生き、同じ年に亡くなった宮沢賢治と新渡戸稲造。
 新渡戸は賢治より30才以上も年長で、生前に受けていた評価も新渡戸の方が遥かに高い。その生涯を終えた1933(昭和8)年秋の時点では、二人の人生は全く異なったものに見えたのではないだろうか。
 しかし現在、その知名度は逆転し、死後100年近く経って改めてその生涯を振り返ると、何かよく似た生涯のように見える。
 先にも触れたが、二人は、他者に分け与えたエピソードで溢れている。特に、新渡戸の一高校長時代、賢治の花巻農学校時代には、生徒たちに対して、物質的なものから精神的なものまで様々なものを与えている。しかも、二人が分け与える程度は、度を越えているようにも見える。
 また、二人とも、時に健康まで害するまで徹底的に探究し、その中の大きなテーマの1つが宗教である。信仰や、信仰に対する深刻な迷いの変遷が、人生の中で大きな軸となり、生涯へ大きな影響を与え続ける。

2022(令和4)年9月27日(火)

(続く)

【写真は、北大農学部の夜】

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