#192 西行の和歌即真言【宮沢賢治とシャーマンと山 その65】
(続き)
西行が残した言葉に「和歌即真言」という言葉がある。これは、日本で生まれた「やまとことば」で書かれた和歌は、仏教で言うところの真言、マントラと同一であるという意味だ。
「西行の風景」(桑子敏雄)によると、空海がもたらした真言密教では、真言(マントラ)は、やまとことば、つまり日本語ではなく、仏教で元々用いられていたサンスクリット語でなければならない、という考え方があり、やまとことばよりもサンスクリット語が重要視される、とのこと。
サンスクリット語は、思想を表現するための「深いことば」であり、日本語は思想を表現するのには適さない「浅いことば」に過ぎない、ということのようだ。
これに対し、西行は、日本語を使って表現される和歌を、サンスクリット語である真言と同等のものとする考え方を持っていた。
空海が開いた真言密教がサンスクリット語による真言を絶対視したのに対し、天台宗の開祖である最澄は、サンスクリット語と「やまとことば」をミックスした、次のような歌も残している。
「阿耨多羅
三藐三菩提の
仏たち
わが立つ仙に
冥加あらせたまえ」
「阿耨多羅(アノクタラ) 三藐三菩提(サンミャクサンボダイ)」の部分がサンスクリット語で、「最上の知恵を持つ」という意味だが、その仏たちに対し、自分が立っている道に恵をもたらして欲しいと祈りを現している。
この最澄の不思議な歌には、賢治の文語詩も思い出される。それは「祭日(二)」という詩で、真言(マントラ)と日本語が混在し、マントラ部分が分解され、再構築される、という不思議な構成となっている。
「アナロナビクナビ睡たく桐咲きて
峡に瘧のやまひつたはる
ナビクナビアリナリ赤き幡もちて
草の峠を越ゆる母たち
ナリトナリアナロ御堂のうすあかり
毘沙門像に味噌たてまつる
アナロナビクナビ踏まるゝ天の邪鬼
四方につゝどり鳴きどよむなり」
この詩のカタカナで書かれた部分が、法華経の中のサンスクリット語の「アリ」「ナリ」「トナリ」「アナロ」「ナビ」「クナビ」を再構成して詩に取り入れられている。不思議な詩でもあり、遠く千年以上前の、賢治が敬愛したという最澄が、似たような試みをしていることには、不思議な符合も覚える。
賢治もその作品において、言語を単に意味を表現する手段として用いるのではなく、その言葉の持つ音の響きや力などを重視して用いながら、組み合わせていたように見える。
このような賢治の試みが西行の「和歌即真言」という考え方や、最澄の歌における試みとどう関係しているかはわからないが、とても興味深い類似性にも見える。
最晩年の賢治は文語詩の創作に没頭し、その理由ははっきりわかっていないが、その試みと、西行や慈円、もしかすると最澄も、和歌によって日本語を「深いことば」にしようと試みたことと関係するのか?
興味深くもある。
【写真は、花巻市東和地域の毘沙門堂の「祭日〔二〕」解説板】
(続く)
2024(令和6)年10月23日(水)
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