#107 終わりに・・・賢治とエミリィは何をしようとしていたのか? その1【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その45】
(続き)
◯ 終わりに・・・賢治とエミリィは何をしようとしていたのか? その1
今回の文章を通じ、様々な疑問のヒントが見つかり始めたような気もします。まだ、まとまらない内容ですが、最後にメモしていきたいと思います。
まず、私が賢治とエミリィ・ディキンスンが似ているように感じたのはなぜか?について考えてみます。
一般的には、難解でありながら幅広い人気がある、という点が共通しています。エミリィの詩「I'm Nobody! Who are you?」は、アメリカの子どもにもよく知られた詩だそうですが、この部分を訳すると「わたしは誰でもないひと!あなたは誰?」という難解な日本語となります。詩全体も、やはり難解な意味に見えますが、英語を原文のままで読むと、意味を超え、言葉の持つ力が心地よく感じられ、この点も賢治と似ているように思えます。
二人の作品世界においては、神様や自然がテーマとなったものも多く、神秘的で霊的な現象がしばしば描かれることも共通しています。
二人が共通して、神様や自然などを通して描こうとしたテーマとは何なのでしょうか?
二人に影響を与えたと思われるエマーソンも含め、エマーソンから賢治にかけての時代には、それ以前の長い期間にわたって信じられてきた「神」や「仏」の形が大きく揺らいだと考えられます。ニーチェの「神は死んだ」という言葉に象徴されるように、爆発的に発達した科学や技術により、多くの人々が、人間を創造したとされる「神」のような絶対者を信じることが難しくなりました。
「『神は死んだ』後、人が頼りにすべきものは何か?」
このことがエマーソンの思想のテーマの一つに見えます。エマーソンはそれらを、「本来の」自己や自然に求め、「大霊(Over Soul)」という言葉で表現される存在を生み出します。「神」という、一面で非科学的なものが信じられなくなったとしても、依然として、科学では説明できない直感的な「何か」があるという事を多くの人は実感し、エマーソンや日蓮主義者達のような思想家・宗教家は瞑想や霊的な体験によって、それらを明らかにしようとします。一方、福来友吉のグループのような科学者は、科学でそれらの現象を明らかにしようとしました。
賢治やエミリィは、言葉や理論では説明できないものを詩や童話で表現しようとし、その試みが、言葉という論理的な道具を使いながらも、非論理的な直感から直感へと直接伝わる、独特の作品世界を生み出しているように思われます。賢治の紡いだ物語は一般的には童話として括られますが、童話というより寓話や神話のようで、エミリィの詩も神秘的な宗教性を纏っているように感じられます。
また、賢治にとって新渡戸のような世界的視野を持った国際人が身近だったのと同様、エミリィも作られた隠遁者的なイメージとは裏腹に、世界を股にかけるクラークやメイベルのような、当時の世界の先端の人々が暮らす街に住み、アマーストに居ながら最新の世界に触れられる環境にあったと思われます。また、エミリィも賢治同様、世界に手が届くだけの経済的な豊かさを持ち合わせていました。
エミリィと賢治の生涯には10年のすれ違いがあり、住んでいる場所も遠く離れたアメリカと日本でしたが、世界的に見ると、二人は「同時代の裕福な教養人」というカテゴリーに中にいました。
エミリィはアマーストの外で暮らすことを積極的には望みませんでしたが、それは賢治同様、都会で暮らす必然性が低かったのと同時に、同時代にニューイングランドで自然の中で生きたソローと同じように、あえて自然の中で暮らすことに価値を見出していた可能性もあります。ソローは日本にも影響を与え、賢治もまた、ソローから影響を受けた可能性があります。
エミリィは病気の影響によって苦しい晩年を過ごしましたが、加えて、人生の後半に巻き起こった南北戦争から受けた負の衝撃も大きかったと思われます。賢治や新渡戸に影響を及ぼした軍国主義の台頭と同様に、アメリカ人同士が殺し合う南北戦争がエミリィに与えたマイナスの影響は大きかったと思われます。
また、二人とも、一般的な意味での文学者になろうとした訳ではなく、少なくとも、時流に乗った流行作家になろうとした訳ではない点で似ています。なぜ作家を目指した訳でもなく、大量の文章を書き続けたのか?という点では、二人の時代に大きく揺らいだ「信仰」が鍵となります。
二人に影響を与えたエマーソンや、賢治に影響を与えたと思われる田中智学や内村鑑三。本文には登場しませんでしたが、少年~青年期の賢治に影響を与えたと思われる、暁烏敏や近角常観ら浄土真宗の指導者達も、ニーチェが言うところの「神は死んだ」後の、新しい「信仰」の形を求め続けていたように見えます。
明治期の浄土真宗の思想的な指導者であった清沢満之は、宗教を「哲学」と「信仰」とに分けて捉えます。宗教が持っている「論理的」いわば「哲学的」な側面と、「非論理的」いわば「信仰的」な側面の2つです。
ここでは仮に、清沢の「哲学」と「信仰」という考え方を借りたいと思います。
エミリィや賢治が生きた時代は、科学が急速に進化し、世界中が混ざり合いながら文化や思想も発展を続ける「論理的」で「科学的」な時代でありながら、一方で、論理的には説明できないことも多く残り、科学は全てを解決しませんでした。そして、「神は死んだ」後も、人々を救う「宗教的な何か」が必要とされ続けます。
賢治は、「農民芸術の興隆」で、
「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い」
と記しています。
清沢らは、スーパーエリートとして高度な学問を、広く国内外で学びながらも、最終的には「哲学」を捨て、「信仰」という非論理的な世界へと入っていったようにも見えます。
(続く)
2023(令和5)年11月24日(金)
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