「殺戮オランウータンの不在証明、及び怪異殺しの鉄則第一条」第三話

其の参 怪異殺しの鉄則第一条

「はー、簡単な事件……いや事故であったとは言え、やはりしっかり組み立てて説明するというのは、くたびれるものだね! どうだい桃瀬くん、これから打ち上げと行こうじゃないか。依頼料も入ることだし……あ、でも私は奢らないからね。捜査資料をきちんと読んでおかなかったバツだ、自腹を切りたまえ」
「……前々から思っていたんですが、師匠に対する依頼ってどこから来てるんですか?」
 事件解決後の帰り道。僕の問いかけに、前を行く師匠は「ん~?」と返す。
「まあ、あちこちだよ、あちこち。私はこう見えて警察を始めとして色んな伝手があるからね。『変な事件なら藤間に投げとけ』って便利屋みたいに扱われているのさ。おかげで食い扶持には困らないんだが」
 しっかし妖怪だとか都市伝説だとかばっかり来るのは何とかならないかね? 私はもっと猫探しとかして平和に生きていたいよ、などと言う師匠に対し、「少し、質問いいですか」と声をかける。
 僕の声音に含まれる真剣さに気付いたのだろうか。師匠は仕事終わりの気の抜けた雰囲気をしまい、どこか剣呑な眼差しを僕に向ける。
 夕日に照らされた師匠の姿は、とても妖しく見えた。
「……何かな? 助手であるキミに免じて、質問を許そう」
「助手ではなく弟子ですが……では遠慮なく」
 僕は師匠の真似をして、ぴっ! と指を立てる。

「その①。先ほど美咲ちゃんに渡した音楽プレイヤーについて」
「ああ、あれかい。いい話だよね。私もあんな伯父が欲しかったな」
「あれ、クリスマスカラーってことでクリスマスから販売開始だったんですよ」
「らしいね。それが何か?」
「ええ」
 僕は頷く。
「クリスマス・イブじゃなくてクリスマスからの販売・・・・・・・・・・なんです」
「……」
 師匠は無言で続きを促す。
「本来はクリスマス・イブに販売したかったんでしょうけどね……なんだか手違いがあったとかどうとかで、一日販売を遅らせることにしたそうですよ。それを、なんで清一氏が持ってたんでしょうね」
「……清一氏は裕福な御仁だったらしいからね。何せ先祖も豪商だ。やり手のビジネスマンともなれば、コネで一日くらい早く入手することは訳ないんじゃないかな」
「その②」
 二本目の指を立てる。
「これ、先ほど師匠が落としたドン・キホーテのレシートなんですけど」
「おや。気が利くじゃないか。私のような自営業はとにかくレシートをとっておいておかないと経費で落とせなくて大変だからね。それを渡してくれたまえ」
 手を出す師匠に構わず、僕は二の矢を放つ。
「師匠はどうしてサンタ服なんて買っている・・・・・・・・・・・・んですか?」
「……おいおい、やめてくれないか。上司が可哀想なバイト君にささやかなサプライズクリスマスパーティーを開こうとしているのに、それを台無しにするのはさ」
「思えば、帰ってくるのが随分遅かったですよね。あれはサンタ服をいい感じに……あたかも数日前から屋外に落ちていたかのように、汚していたからなんじゃないですか?」
「買い物の長さなんて人それぞれだろう。それとも桃瀬くんはあれかな? 目的のものだけ買ってすぐ帰りたいというタイプなのだろうか。もっとウインドウショッピングを楽しんでもいいんじゃないかと私なんかは思うけどね。そんなんじゃ彼女とのデートの時に困っちゃうぞ」
「その③」
 師匠の持論を無視して、僕はゆっくりと指を立てた。そしてポケットからレシートのほかにもう一つ、拾っておいたものを取り出す。

現場にあったこの赤い毛は、一体何の毛ですか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「……へえ。そんなものをよく見つけたね。流石、捜査資料も読まずに現場を探していただけのことはあるよ」
「師匠」
 僕は唾を呑み込み、目の前の人物に問いただす。

「犯人は、やっぱり殺戮オランウータンなんじゃないですか?」

「……」
 藤間澪は、答えない。
「そういえば、師匠の言い回しはちょっと不思議でした。僕の『既に真相が分かっているんですね』という問いに肯定せず、ただ『全てのことに論理的な説明が付けられる』と言いましたよね」
 この事件に、怪異の出番などありはしない、と。
「あれはただ、『怪異の起こした事件に現実的な説明をこじつけられる』ってことだったんじゃないですか? 被害者遺族を納得させるだけの、都合のいい説明を……」

 日は、少しずつ傾いていた。赤々とした光の中に、黒々とした夜の気配が差し込まれていく。
 逢魔が時。
 人の時間と、人ならざるものの時間の境。

「思えば、師匠の説明は簡潔でした。論理的でシンプル。分かりやすい真相。でも、それだとおかしいんです」
 そう。本当に師匠の言った通り、単なる転落死が真相なのだとすれば。
「いくらなんでも、警察が気づくでしょう。……煙突に引っ掛かって減速したって言うんなら、死体に擦過傷だってあるはずです」
 エドガー・アラン・ポーの時代ならともかく、現代日本の警察はそこまで無能じゃない。

「……どうなんですか、師匠。この赤茶けた毛が、殺戮オランウータン実在の証拠なんじゃないですか」
 問いただす僕の言葉に、師匠はしばし考えるような素振りを見せて。
「それ──動物の毛だっけ? ちょっと詳しく見たいから、渡してもらっても?」
「あ、はい」
 そういって僕の手から袋に入った毛を奪うと、しばし矯めつ眇めつし。

「えいっ」
 そしてそれを、思い切り放り投げた。

「なあああああああああああああああああああああああああああああ!?」
 驚愕する僕の目の前で、赤茶けた毛は冷たい冬の風に連れ攫われていく。
 もう、集めることは不可能だろう。
「あははははははははは!!!! それで桃瀬くん、なんの、実在の証拠が、なんだってえ!!??」
「しっ……師匠!? ちょっと師匠!?? 何してんです!?」
「あはははは!!!!」
 師匠は楽しそうに、それはもう心底楽しそうに、落陽を全身で浴びてくるくると回る。
 呆然とする僕の前で、ただただ愉快そうに笑っていた師匠は、やがて回転を止めて僕に向き直った。
 その背には、沈みゆく太陽が赤々と輝いて。
 顔は逆光で、真っ黒だ。

「ねえ、桃瀬くん。我が弟子を自称するキミ」
「……はい」
 普段と違う呼びかけに、僕は思わず居住まいを正す。
「師匠として、キミが言うところの”怪異殺し”に、一番重要なことを教えてあげよう」
 いわば怪異殺しの鉄則第一条さ。
 その言葉に、自然、僕の喉が鳴る。
「それは、一体……?」
「なに、とっても簡単なことだよ」

怪異がいるなんて認めてやらない・・・・・・・・・・・・・・・ことさ」
 昼と夜の境目に溶けてしまいそうな師匠の言葉は、何故だかやけに大きく僕の耳に響いた。

「認めて、やらない……?」
「そう。そもそも怪異ってのは疑問に対する答えとして生まれてくるのがほとんどだからね」
 藤間澪は滔々と語り上げる。
「冷たい風が吹くといつの間にか皮膚が切れてるのはなんでだろう? それはきっと、鎌鼬のせい。猫が年をとると立ち上がって油を舐めるのは? 年老いて猫又になったせい。山の中で、だるさと眩暈に襲われるのは? ああそれは多分、ひだる神のせいだね──」
 そういう風にして、『奴ら』は存在を承認されてきたんだよ。
 師匠の言葉に、どこか仄暗い感情が混ざる。暗闇に包まれゆく視界では、その感情が何色かは判別し難かった。
「……さて桃瀬くん、じゃあそんな怪異どもを殺してやるのに、一番いい方法はなんでしょうか?」
 その答えなら、既に分かっていた。
 つい先ほど、実地で見てきたばかりだ。
「……現実的な、科学的な、論理的な説明をつけてやること……」
「その通り。よく分かっているね」
 冷たい風が吹くといつの間にか皮膚が切れてるのは、単なるあかぎれ。猫が年をとると立ち上がって油を舐めるのは、油分を求めているから。山の中で、だるさと眩暈に襲われるのは? ああ、それは典型的な低血糖の症状ですね──。
 そうやって、現実的に。科学的に。論理的に。
 ずたずたに分解してやるのが一番良いのだと、『怪異殺し』はそういった。
 先ほど見え隠れした感情もどこかに消えてしまったかのような、無慈悲な声音で。

「だから、さ。あの事件だって単なる転落事故で。その真相は、警察から公式に発表されて。きっとネット上でもすぐ出回って、『殺戮オランウータンが起こした事件だー』なんて世迷言を言うやつはすぐにいなくなるよ。……私にはこう見えて色んな伝手があるからね」
 師匠は、笑った。……顔は見えないけど、多分。思いっきり、犬歯をむき出しにして。
「そもそも、殺戮オランウータンなんてものが本当に実在して。あっちらこちらで人を殺して回るようなら、キミだって困るだろう?」
「……それは、まあ、はい」
「だろう? だからこれでいい。今は平安時代じゃないんだ。刀なんて振り回す必要はない。ただ、突き付けてやればいいのさ」

 お前たちの居場所なんて、ここにはありはしないぞ、と。
 お前たちに奪える命なんて、一つもありはしないぞ、と──。

 そう告げる師匠の瞳は、酷く……酷く、冷たい輝きを孕んでいるように思えた。
 悪鬼羅刹を切り伏せる日本刀の如く、鋭い論理の輝きを。

 それは間違いなく、僕の憧れる『怪異殺し』の姿だった。

「……なーんてね」
 と。
 話し終え、お互いに一言も発せずだんまりしていた我々だったが、やがて冗談めかした言葉と共に師匠が肩を小突いてきた。
「以上、与太話終わり。面白かったかい?」
「……ええ、とても」
「そうかいそうかい。それなら熱く語ってみせた甲斐があったよ」
「師匠、演技の才能もあるんじゃないですか」
「こう見えて昔は役者を目指していたのさ……と言ったら信じてくれるかな?」
「ああ、刑事ドラマの死体役とか似合いそうですよね。平熱低そうだし」
「キミ、それはバイトが雇用主に言っていい言葉じゃないと思うよ」
 失礼なやつだなーなどと笑いつつ、師匠は大きく伸びをする。
「さて、さっき言った通り打ち上げと行こうか。何か食べたいものはあるかい?」
「寿司とかどうですか?」
「いいねえ。そうと決まれば早く向かおうじゃないか。もたもたしないでついてきたまえ」
「僕は師匠の分の荷物も持っているんですが……」
「それが助手の仕事だろう? 給料出してるんだから文句言わない!」

 僕たちは二人、言葉を交わしながら帰り道を行く。
 いつの間にか日は完全に沈み切っていて、真っ黒な夜の領域が世界を包んでいた。でも、僕たちに恐れなんて、ちっともありはしなかった。

 真っ白な科学の光が、僕たちの足元を煌々と照らしていた。

(了)

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