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子ども中心の学びをするために

先日、子ども中心の学びとは何か?について
わかりやすい例えを教わりました。

例えば、ディズニーランドに親子で行ったとします。

「あれを子どもに見せてやろう」
「ファストパスはこのタイミングで取ろう」
「あそこのレストランにあの時間で行ったらミッキーがいるだろう」

「子どもが喜ぶぞ」と親はウキウキして計画を立てています。

でも、入場ゲートに入った途端、こどもは近くの鳥に夢中になってしまう。

それを気がすむまで夢中にさせておくこと、
これが子ども中心の学びであると。


そんなのいいから、早くこっちきなさいと連れ回す。で、子供が泣く、
「あるある」だよなと思いますよね。

教育でも
「将来、これがやりたいと言った時に困らないように」
「選択肢を残してやりたい」

そんな言葉を子どもたちの保護者からよく聞きます。「子どものため」という抽象的な言葉ですが、もう一歩踏みこむのにいい例え話だと思っています。

この例え話、実は学校の先生たちと聞いていたのですが
「そしたら私たちは何をすればいいのかわからない」と困惑していました。

子どもたちにいいと思っていることを
先生が準備して、子どもたちにさせる。
やりたくなさそうでも、他に興味があってもいろいろな言葉や振る舞いを使ってさせる。そんなテクニックもあるんだろうなと。

私自身は、この例え話を聞いて
先生という職業について、前から抱いていた疑問がはっきりしました。
元々は、我々の社会にはなかった職業です。
生まれた村の歳上の人に、必要なことを教わるという程度のこと。
本が読みたかったり、商人の家に生まれれば、寺子屋にいき
「必要な」読み書き計算を習う。
わざわざ苦労して「学ばせる」必要はないわけです。

それを先生という「教える」職業を作ってしまって
「教えることがなくなったら」その仕事の意味がなくなってしまう。
だからあれもこれも「教える必要があるもの」として増えて、それをいろいろなテクニックで学ばせている。

日本は、20年くらい物が売れなくなっています。それは「ほしいものがない」人が増えているから。
物質的な豊かさがある程度、飽和状態になっているからだと思うのですが、その中で物を売るために「マーケティング」をしたり、不安を煽ったり、「限定商品です」と言ったり「今から30分以内にお申し込みの方に」と言ったりして無理矢理、ものを売っているわけですけど、それと似ているなと思います。


話がとっちらかってしまっていますが
とはいえ「教員」という仕事を否定しているわけではありません。
ダブルワークがいい形ではないかと思っています。そのくらいの片手間でやるほうが、子どもたち自身で学び合ったり責任感が出てくると思うんですよね。

こうしたダブルワークがいいだろうという仕事で同じく「先生」と呼ばれる仕事があるのですが、それは「地方議員」。
そうしている方もいるとは思いますが、職業としての政治家も必要ないと思っています。両者に共通するものはなんだろうなと考えています。

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