天が、人の上に人を造る時代に。
努力は報われるとは限らない。
自身の資質や環境や運に、結果は左右される。
塾講師という職は本当にそれを目の当たりにする。
でも、努力が報われる瞬間も、それ以上に目の当たりにする。
A君という生徒がある日、志望校合格の報告をしに来てくれた。
彼の授業がない日に、わざわざ私のもとに立ち寄って、直接喜びを伝えてくれたのだ。
彼は特別入試を受けたので、筆記試験の重みはわずかだ。
彼は彼の努力によって合格を勝ち取ったのであって、私の授業が及ぼした影響は、彼が思うほどには無い。
しかし、私はこのとき、5年間の塾講師生活で一番の笑顔だった。
A君の努力
A君は、私の担当している中学理科の授業の生徒だった。
彼は勉強が苦手なほうで、周囲と比べてやや成績がふるわない、率直にいえば、落ちこぼれだった。
そういう生徒は大抵「不真面目な自分」を演じることで自分のメンツを保とうとする。
しかし、A君はとても真面目だった。
授業に置いていかれることも多かったが、それでもA君は、「何とか食らい付いていくぞ」という姿勢で毎授業きいてくれていた。
聞いてはいるのだが、理解ができていなかった。
秋の終わりごろ、本格的に入試過去問の演習に入ると、A君の暗惨たる成績は点数として可視化されていった。
そしてA君は、ついに理科の一問一答に手を出した。
賛否両論あるだろうが、私は理科の一問一答アンチである。
理科は、暗記科目じゃない。
確かに一問一答を覚えれば、それに出てくる極簡単な問題には答えられるようにはなる。
しかし本質的な理解からは遠ざかり、むしろ入試で出てくるような高難易度の問題に対応するための思考力を奪ってしまう、と思う。
A君は努力家だが、私からは、その努力が空回りしているように見えた。
私の願い
先輩講師にA君のことを相談すると、こんな答えが返ってきた。
確かに、人には向き不向きがある。
高難易度の問題は解けないと割り切ってしまえば、一問一答も多少の点数稼ぎには役立てられる。
それで少しでも本人の自信につながるなら、それでいいのだろうか。
それとも、無理にでも「本質的な理解」へ目を向けさせるべきだろうか?
そこまで考えて、ふと心の中に違和感を覚えた。
A君は今、理科に苦しめられている。そんな時に私が無理やり苦しい方法をとったら、A君は理科が嫌いになる――
――気が付いた。
私が今まで勉強できたのは、理科が好きだったからだ。
そして、私はA君にも理科を好きになってほしい。
今は理科が苦手でも、問題が解けなくても構わない。
ただ、楽しんでくれればいい。
理科を身近に感じて、そして好きになってくれればいい。
それからは、常にこの気持ちを込めて授業をした。
A君が私の個別指導のクラスに編入した後は、A君に合わせて、理科をより身近に感じられるような解説を心掛けた。
A君は、私の根本的な願いを思い出させて、引き出してくれた生徒だ。
そんな彼が、わざわざ「理科の先生」に、満面の笑みで、お礼を言いに来てくれたとき
私の努力も、報われた気がした。
#はたらいて笑顔になれた瞬間
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