Ⅲ考えていること①パーパス

職場では意識的に『パーパスを考えていこう』と声をかけている。
パーパス、最近日本(人事界隈)では『存在意義』として訳されて久しいものと思うけれど、今でも辞書だと『目的』くらいで出でくるのではないだろうか。
そもそも、日本語の目的っぽい言葉多すぎ問題も根深い問題だと思っていたり。
目標、目的、展望、使命…それら出てくると、大概英語になおして整理してみたり。
私の今の理解だと
ビジョン=展望(中長期的?)
ゴール=目標(定量的?)
ミッション=使命(短期的?長期的?)
目的はどれでも指せる?
くらいで思ってるけど、これだけでも幾ばくか議論できそう。言葉ってあいまい。
なので、コミュニケーションでこれらの言葉使っちゃうと、全然意思疎通測れない。
この前参加したセミナーだと『意図』を持つことが大事だ、なんて話を聞いちゃってパニック!

さてさて。なんでこのあたりの言葉をそもそも置くことが大事って言ってるんだっけなー、と思い直すと、ちょうど読み始めた『サピエンス全史』の言葉を借りると整理しやすいなと思った。

他の本でも見かけるけど、人間のルーツをたどると元々狩猟採集民族でさしあたって1万年前までそうだった。狩猟採集で生きていたことはまさに『その日その日』を生きていた。から、未来なんて考える必要がなかった。歴史が進んで、農耕し始めたあたりで、考える時間が生まれた。そこで未来を考える時間も生まれて、今に至ってる。
では、未来を考えてたら、その日暮らしと何が変わったのか?
未来という空想のストーリーを、一緒に信じられる人が増えると、ものすごいパワーを生み出すということ。
幸か不幸かの議論はおいておいたとして、ピラミッドの建築物を作ったり、果ては今ある人工物のすべて、政治経済の仕組みすべて、空想のストーリーから始まって今に至る。
空想なき行き当たりばったりでは、これらの産物は生まれないとするなら、創造する力ってすごい。
でも、みんな同じ空想を信じることはなかなかに難しい。宗教だって、思想だってバラバラ。

そもそも、未来を考えなくたって、生きることはできる。
未来を考えたからといって、それが幸せにつながるかは不明。
しかも、地球ができて40云億年ってこと思えば、つい最近まで未来なんて考えなかった人間に、誰かが考えた未来を信じるのではなく、自ら考えよというのはなかなかに酷な話であるよなーと思いながら、会社では『PDCAを回そう〜』と話す。

さて、大いなる脱線のもとに、元々述べてたパーパスに戻りたい。

とまぁ、みんな未来を考えるのは苦手だったり、そもそも未来を考えるための言葉がたくさんあったりするなかで、存在意義は過去も未来も考えてたりする。なんて、複雑な言葉!
でも、不思議なもので、単に未来を考えようとするよりは考えやすかったりする。
何者でありたいか、はなぜなぜ考えやすいテーマなのかもしれない。
でも、あんまり過去によりすぎると、フロイト的になりがちだなーとか(私はアドラーの方が好き)
でも、パーパスでいう存在意義は未来に向かってる言葉だなと思うので、嫌いじゃない。

そして、パーパスが1つになることはない。
存在意義なんて違ってしかるべき。100人100通りあるはず。それら自身のパーパスと集団のパーパス、組織のパーパスがいい感じに重ねれば、その重なった部分はみんなが信じるパーパス(空想のストーリー)になる、であれば、それはものすごいパワーを放てる!

なるほど、パーパスを考えよう、って理にかなってそう。って、改めて思った。

このあたりの説明をもっとスッキリ上手にできるようになりたい。


ただし、ものすごいパワーを放った結果が幸せに繋がっているかはまた別議論であって。

幸せ、ハピネス、ウェルビーイング…言葉の世界は混沌としておりますね。


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