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番外:距離感

ロシアのウクライナ侵攻から約1ヶ月がたった。

両国の停戦協議はなかなか折り合いがつかず、その間にも人命が戦闘行為により失われている。

欧米諸国のロシアのウクライナ侵攻に対する批判の見方が、時間の経過とともに国家であるロシアに対するものから国家元首であるプーチン氏個人に向けられているようになった。

第二次世界大戦時のドイツの指導者ヒトラーが戦争の元凶であると名指しされていた時とのデジャブ感がある。

戦争や紛争時に使われるロジックである。
敵は国民ではない、指導者であるという印象を世界に植え付けるとともに、指導者を倒せば戦争は終わるとアピールする。

一方日本はどうか。
ウクライナ侵攻が生起してから、数々の制裁措置を実行している。
国家の意志として軍事侵攻に対する明確な批判のメッセージをロシアに送っているが、制裁内容は欧米諸国と足並みを揃えるものとなっており、手段が目的とすり変わっているように感じられる。

そもそも欧米諸国と日本のウクライナに対する地理的距離感と歴史感が異なることに起因しているものと考えられる。

日本人は戦後70年、戦争に対しての歴史的教育を避けてきた傾向にあると私は感じている。今回のウクライナの問題を国民がリアルとして想像できないと思慮する。

心理的距離もまた遠いのである。

日本にできることは欧米に追随することだけではないと思う。
戦争における原子力爆弾の被爆国として、また震災における原子力発電所のメルトダウンを経験した国として、独自にできることを考えていくことが、世界における日本の役割を光らせるのではないだろうか。

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