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第三話 「三つ子の魂百まで」

「三つ子の魂百まで」ということわざがある。

「幼少の頃に形成された性格や人格は、何歳になっても変わることがない」

という意味だが、言われてみれば確かにそうかもしれない。あの頃と今の自分を比較してみても、本質的な部分は変わっていないように思う。むしろ、年齢を重ねれば重ねる程、過去に戻っていくのかもしれない。

あまり良い性格が形成されたとは言えない幼少期だったが、二つだけ、今でも良い影響をもたらしてくれているエピソードが二つある。

その日私は、お風呂上がりにやたらはしゃいでいて、バスタオルを体にまといながら、石油ストーブの前で踊っていた。近くには母と兄がいて、踊っている私を笑いながら見ていた。幸せな家族の団らんがそこにあった。

と、次の瞬間、

バスタオルに足が取られて私はストーブに突っ込んでしまった。胸に火があたり、私は泣いたのか何が起きたのかわからず呆然としていたのかは覚えていないが、慌てた母と兄に助けられた。

数日後、私の胸には、しっかりとヤケドの跡が横に五㎝程刻まれていた。いまだに跡はうっすらと残っている。このキズを見るたび当時の映像を思い出す。ヤケドしたことなんて気にならなかった。それよりも、踊っている私を見て楽しんでくれていた母と兄の表情が忘れられなかった。

多分そこが原点だったと思う。人を楽しませる事に喜びを感じるようになったのは。

こんなこともあった。

その日は母の兄弟が家に遊びに来ていたようで、当時なぜか小学校に入る前から比較的簡単な漢字なら読むことが出来た私は、新聞だったかなにかの本に書いてある漢字を読んでみせ、親戚を驚かせていた。なぜ漢字が得意になっていたのかよくわからないが、おそらく教育テレビばかり見ていたからだろう。皮肉なことに、家で留守番をすることが多く、他にやることがなかったのだ。

この経験もおそらく私の原点だ。おかげで勉強が苦ではなくなった。

このように、小さい時に経験したほんの些細な出来事が、良くも悪くも、その後の人生に大きな影響を与える事は往々にしてある。私にとってこの二つの出来事は、良き財産となり、今も胸のキズと一緒に深く刻まれている。まさに「三つ子の魂百まで」である。とは言っても百歳まで生きるとは思えないが。まあここまで忘れずにきたのだから、一生残るのだろう。

もし小さいお子さんをお持ちの方がこれを読んでいるのであれば、ぜひ意識してみて欲しい。

「子供は、思っている以上に、あなたの表情、態度、言葉を吸収している」

私はこのことに、気付くのが遅すぎた。

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