女性が楽しく生きていることを存分に表してくれている「裸一貫!つづ井さん」

自意識過剰病に疲れる

先日、女の先輩と「結婚願望なくても、子どもが欲しいという気持ちになること」について話し合った。いろんな理由が導き出されたけど、一つに、自分以外の何か別の「注力先」を求めているのでは、という話になった。

我々も女なので意識せずとも湧き出る「母性」が行き場を失っている…、という流れになりかけたけど、そうじゃなくて単純に、30を過ぎてよく感じるのが、自分のことばっかり考えてしまってしんどいのだ。(だから子どもが欲しいというのは、まったく育児を軽んじているわけではなく、ただ子どもが生まれたら否が応でも自分どころではなくなる、優先すべき他の対象ができること、その点のみについて言及しております。)

結婚や出産など、精神が安定しているときは我が道歩もうと思っていても、ふとした瞬間に焦りと不安の沼に引きずり込まれてしまう。というか自分から沼に足を突っ込んでいってしまう。仕事でも自分の過去の言動を思い起こしては、車の中でワーーーとかアカンアカンアカンとか叫んでる。ドラレコには車内の音声も記録されてるのでもし他人がチェックすることがあればだいぶ怖いと思う。

そんな、時間ができればいつだって自分のことを考えてしまう自分。考えたところで負の方向にしかいかないのに、考えずにはいられない症候群。

つづ井さんとの出会い

そんな病を抱えながら日々を送る中で、処方箋のような漫画に出会った。
文庫本エッセイ漫画『まるごと 腐女子のつづ井さん』(つづ井)。去年、『裸一貫!つづ井さん』を読んでいたので(一瞬つづ井さんが「地獄のミサワ」を思い出させてどうしようか迷ったけど)、これまでの作品をぎゅっとした文庫本だと知ってヤッターと即買いした。

もともとはツイッターで投稿されていたのが「腐女子のつづ井さん」として発行された。

タイトル通り、腐女子のつづ井さんの日常がつづられている。大変ありがたいことに、こちらでかなり読めてしまいます。

つづ井さんは人生を楽しんでいるし楽しもうとしている

つづ井さんは、推しの身長を壁にマステで印を付けて想像してはもだえたり、部活系の漫画のキャラたちに手作りのマネージャーの気持ちでお守りを作ったり、いつも推しのことを考えて全力でオタクライフを満喫している。

そして常にあらゆることに感謝している。電車の中で本(同人誌)を買い込みすぎて重くなったリュックを背負いながら、〝幸せの重み〟を感じ始めてから頭の中で、本から次第に「木に一手間加わって本になる…」と木を尊敬し、最後は「自然に生かされてる…」で終わる。宇宙にも感謝している。

たまにふと冷静になって悲しくなっていることもあるけど、とにかく自分よりも推しが全てで、我が子のように慈しむ

特に友人とのやり取りにしみじみする

これほどまでに情熱を注げる対象があって羨ましいが、最大限にいいなあと思うのは、友人との関係。マネージャーのお守りも、友人のオカザキさんと一緒に作っている。なんなら誘ったつづ井さんよりもオカザキさんのほうが、フェルトの色探しに店を3軒回るほどの本気度。そしてマネージャーの先輩後輩の設定で、受け取ってもらえるか心配したりしながら同じ次元に生きてる感を感じながら5時間かけて完成させる。

このオカザキさん。好きな小説が実写化された映画を見に行ったときのエピソードでは、男の友情を描いた原作が、主人公とヒロインの恋愛映画になっていたことへ憤りを通り越して、自分に問題があるかもしれないとつづ井さんに悩みを話す。商業映画として製作側は、「世間の多くの人が共感し喜ぶ要素」として「恋愛」を選んだはずなのに、そこに共感できない自分。

それに対してつづ井さんが掛ける言葉がいい。「恋愛モノはファンタジーやと思うことにした。妖精界や魔法界とか、自分とは全く違う世界での出来事やとして見るん」と。だから共感しなくても大丈夫だと。たしかに、身近なことだと思うから共感できない自分に負い目を感じることってあるなと、ものすごく納得した。最後のつづ井さんの「楽しくいこ」に励まされる

そんなオカザキさんとのエピソードで好きなやり取りをもう一つ。
並んで2人で漫画を読んでいる途中、「将来のことを考えなければこんなに楽しいことはない」というつづ井さんが以前発言した言葉をオカザキさんが思い出す。でもつづ井さんはオカザキさんが言ったような気がして、結局どっちが言った言葉なのか分からなくなってきて、正座して向かい合い直して考える。それでつづ井さんが立てた仮説が、2人は日頃からあまりにも言動や思考が重なり過ぎて、お互いどっちの言動だったか曖昧になることも多い。それは「アイクラウドみたいなもので脳内共有してるからではないか」と。たしかに、普段からものすごく互いの思考理解が早い。そして分かり合えることに互いに感謝しあっている。そこまでの理解者を得られた人生はさぞ豊かだろうと、良かったねえとしみじみする

クリスマスに友人4人が集まって、それぞれの架空の彼氏がくれた本格的なプレゼントを自分で準備してくるという、かなり高度な妄想力やプレゼン力を要するイベントなどを開催しているが、この偉業をともに成せる仲間がいるという奇跡。心から羨ましい。

オタクに疎い人(?)でも読みやすいし、オチがおもしろくてたまに声がもれてしまう。

ちなみに、文庫本はぎゅっとなっているのでエピソードが大量にあって、もう一回読もうと目次に戻ってタイトルで探すのやけど、章ごとにページ数打ってあるのにページ自体に数字打たれてない。こういうものなのかな。だいたい100ページがここくらいやから135ページはちょい先か、と勘で探し当てていくことになる。

女性が楽しく生きていることを存分に表してくれている

つづ井さんご本人がエッセイ漫画の連載を始めたときの思いを書かれているnoteを読んで、さらに好きになった。自虐はしない、女性が楽しく生きていることをただ書く、とおっしゃっているが、だから単なるオタクあるあるにとどまらず、広く受けるのだろうなと改めて思った。

特にこの一文(二文?)を心から支持。

私の絵日記は「アラサー」「オタク」「おひとりさま」などのうたい文句で紹介されることがどうしても多く、これらはまだまだマイナスなイメージとともに語られやすい言葉ですが、そこにカテゴライズされた私が「生きるの楽しいよ〜!」と言い続けることが大切なんだろうなあと最近は思います。そして、いつかカテゴライズされることすらなくなっていけばいいなあと思います。

その思いをタイトルにも反映してタイトルが「腐女子」→「裸一貫」に変更されてるし、2巻の巻頭のキャラ紹介も「オタク」→「凝り性な成人女性」になってる。

漫画の中でつづ井さんは推しについて語りたがっているが、私はつづ井さんについて誰かと語りたくて仕方がない。自意識過剰病から別の病になりそう。

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