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因幡の白兎、神となり社に鎮座するまでの物語 3 根の国にてスサノオノミコトと対面しオオモノヌシノカミへ遣いを頼まれた話

ヤツカミズオミツヌノミコトとお別れしてから歩き続け、まもなく教えられた洞窟に着きました。

ためらうことなく中へ入り、右側へ進み下りました。

やがて桃の香りがしてきました。

どうやら黄泉比良坂よもつひらさかに着いたようです。

下り坂の途中で、とてつもなく大きな岩が道の半分以上を塞いでいます。

「これが噂に聞いた、イザナギノミコトが脱出途中で塞いだ千引ちびきの岩なのか」

亡くなった妻のイザナミノミコトを追って黄泉の国へ来たものの、変わり果てた姿を見て驚き逃げたイザナギノミコト。

怒って追いかけてきたイザナミノミコトをこの岩で道を塞ぎ食い止め、あの世とこの世で夫婦げんかをなさったとか。

さすがはこの国土と神々をお産みになられたご夫婦神。

夫婦げんかもスケールが大きゅうございます。

長い年月と共に岩が少し削れ、普通の神々ならやっと、うさぎなら楽に通れるくらいの隙間ができております。

岩の横から細くなった道を通り抜け、また坂を下ってゆくとぱっと目の前が開けました。

野原やら森やら家やらがあり、少し暗い雰囲気ですが、中つ国(生者の世界)とさほど変わらない風景でございます。

「ここが根の堅州国か〜」

はるか彼方にドーンと立派な宮殿が見えます。

なるほど、あれがスサノオノミコトのお住まいですね。

はい、一目でわかります。

突然ぬっと誰かが前に立ったので、びっくりして飛び退すさりました。

現れたのはひどく醜い女です。

いつの間にか十名以上はいたと思いますが、醜い男女がわたくしを取り囲んで眺めています。

(はは〜、これが醜女しこめ醜鬼しゅうきなのか)

前に立った醜女が、両腕を胸の前で組んで叫びました。

「おい、ウサギ、てめえ、何者だ? 何しに来た?」

下品な女ですね〜。

むっとしましたが、わたくしは平和主義者なので穏やかに答えましたとも。

「わたくしは、シロナガミミノミコトと申します。オオクニヌシノミコトに紹介され、スサノオノミコトをお訪ねするところです」

「オオクニヌシノミコト〜? あのへたれんとこから?」

醜女がバカにしたように叫び、周りの連中もゲラゲラ笑います。

わたくしのことはともかく恩人までこのような言い方をされては、さすがに黙ってはおられません。

抗議しようとしましたが、それより早く誰かが背中のお弁当袋を引っ張りました。

「生意気に袋なんか背負いやがって。何が入ってんだ、ウサ公?」

わたくしは醜鬼から袋を引きはがして、睨み付けました。

「勝手に触るな! スセリビメからいただいたお弁当に……」

「スセリビメ!」

こちらが言い終わらないうちに、袋を掴んだ醜鬼が悲鳴を上げてふるえだし、醜女や他の連中も硬直しました。

呆気にとられているうちに、連中はささっとわたくしの前に二列に整列し、間に一本の道が出来ております。

「ささ、どうぞシロナガミミノミコト。スサノオノミコトの宮殿はあちらです」

一人の醜鬼が愛想良く言いました。

他の連中も引きつった顔に笑みを浮かべております。

何、この変わりよう?

オオクニヌシノミコトの名を聞いたらバカにしていたのに、スセリビメと聞いたらこの反応。

そんなに怖いの? 

……い、いいえ、違いますよね。

お父上がこの国の支配者だから、ですよね?

そうそう、皆、スサノオノミコトを怖れているのであって、決してスセリビメを……。

ああ、いや、ウサギごときが詮索することではありません。

気を取り直して醜女や醜鬼達が開けてくれた道を急いで通り抜け、まっすぐにスサノオノミコトの宮殿へ向かいました。

途中では誰にも会うことなく、無事に到着いたしました。

初めて見たときの衝撃は、今でもはっきりと覚えております。

オオクニヌシノミコトのお屋敷も立派でしたが、その比ではございません。

圧倒されて見上げておりますと、扉が開いたままの門の内側から声がしました。

「何かご用ですか? まだ生きているウサギ神のようですが?」

声の主は、きれいな侍女でした。

「わたくしは、シロナガミミノミコトと申します。出雲のオオクニヌシノミコトとスセリビメに紹介されまして、スサノオノミコトに〝神の心得〟を教えていただきたいと思いうかがいました」

さっきのこともありますので、念のためにスセリビメの名も出しておきました。

「それはそれは、ようこそおいでになられました。さあ、どうぞ」

侍女に丁重に案内されて、宮殿の中へ入りました。

迷子になりそうな広さでしたが、やがてたいそう凝った作りのお部屋へ通されます。

「こちらでお待ちください。今、お呼びしてまいります」

ちんまりと座ってお待ちしていたところ、すぐに強面こわもての大柄な男神が入ってこられました。

一目でこのお方がスサノオノミコトだとわかる、強い神気を放った大神様でいらっしゃいます。

深々と一礼しました。

スサノオノミコトがドスンと前にお座りになられた気配がします。

「顔を上げよ。おまえが、オオクニヌシノミコトのところから来たとか言うシロナガミミノミコトか?」

「はい」

わたくしは頭を上げ、脅えつつもスサノオノミコトを見上げました。

確かに恐ろしげな容貌のお方ですが、その目は意外にお優しくこちらを見ておいでです。

勇気を出して申し上げました。

「お初にお目にかかります。シロナガミミノミコトと申します。オオクニヌシノミコトから『お言葉通り、八十神やそかみを打ち負かし、国造りをしています』と、スセリビメから『二人で仲良く幸せにやっています』とお伝えくださいとのことです。そして、わたくしは〝神の心得〟を学んでくるようにとオオクニヌシノミコトに教えていただいて、こちらへうかがいました」

スサノオノミコトが、顔をしかめられました。

「スセリビメがそう言っていたのか? 本当にあの二人、仲良くやっているのか?」

「はい、仲睦まじくお暮らしのように見えましたが……」

「尻に敷かれているんじゃないか? そうだろう?」

驚きました。

ご存じだったのですね。

「はあ。それでもオオクニヌシノミコトはそれで満足しておいででしたし、よろしいのではないでしょうか」

スサノオノミコトは少し考えておいでのようでしたが、小さくため息をつかれました。

「かわいそうになあ、オオクニヌシノミコト……だから追いかけていって忠告したのに……」

「あ、あの〜、黄泉比良坂まで追いかけたのは、娘さんを取り戻すためではないのですか?」

怪訝なお顔になられたスサノオノミコトが、わたくしをまじまじとご覧になりました。

「取り戻すって、スセリビメを? どうして?」

「いや、どうしてって……お二人の結婚に反対だったんですよね? だからオオクニヌシノミコトを蛇やムカデや蜂の部屋に入れたり、野原に火を放って焼き殺そうとなさったのでは?」

素朴な疑問を発したところ、根の堅州国の支配者が頭を抱えてしまわれました。

「……と、スセリビメが言ったのか?」

「はい、オオクニヌシノミコトも……」

今度は盛大なため息が、部屋中に響き渡りました。

もちろん、わたくしではございません。

厳めしいお顔が、ひどく困った表情に変わられました。

「駄目だ、オオクニヌシノミコトめ、完全にスセリビメに騙されているな。あいつ、人がいいからなあ〜。スセリビメも頭の中で勝手に事実を書き換えて〝父に反対されても愛を貫いた私たち〟とか思っているんだろう」

「違うんですか?」

仰天して問いかけてしまいましたよ。

すると、スサノオノミコトは疲れたような表情になられました。

「全然、違う。第一、わしはあの二人の結婚を応援していた。スセリビメを嫁にしたいなどという物好きが、そうそう現れるわけなかろう。あいつの結婚は諦めていたんだが、オオクニヌシノミコトが求婚したと聞いて、わしは自分の部屋でバンザイを叫んだほどだぞ」

「ちょ、ちょっと待ってください! それでは、オオクニヌシノミコトを蛇やムカデと同室にしたのは?」

混乱しているウサギ神を可愛そうに思われたのか、スサノオノミコトは優しい口調になられました。

「最初から誤解を解いた方がよいな。まず、わしはスセリビメを熨斗のしを付けてでも嫁にやりたかった。根はいい女だが、あの嫉妬深さと気の強さで、この国でわし以上に怖れられている存在だった。本人は美形で稼ぎのある男と結婚して専業主婦を望んでいたが、どう考えても無理だと思ったよ。わしだけではなく、宮殿にいる者、いやこの国の住民全員がそう思っていたろうな。そこへ、ポッと中つ国(生者の国)からオオクニヌシノミコトがやってきてスセリビメと相思相愛になったと聞いて、そりゃあもうすぐにでも大宴会をしたいくらいの気分だったわ」

話が全然違うんですが……わたくしが聞いていた話は何だったんでしょうか?

「では、オオクニヌシノミコトの試練は?」

「ああ、それは事実だ。だがな、娘との結婚を反対したからではない。完璧にするためだ」

「……よく、わかりませんが……」

スサノオノミコトは真面目なお顔になられました。

「考えてみろ、シロナガミミノミコト。スセリビメは根の堅州国、すなわち死者の国の女だぞ。オオクニヌシノミコトは中つ国、つまり生者の国の男だ。死者の国の女と生者の国の男。結婚するなら、どこで暮らすべきだと思う? もしもスセリビメを連れて生者の国である中つ国へ戻ったとしたら、それはオオクニヌシノミコトにとって不吉な前兆となろう。そう考えると、この黄泉の国にいた方が安楽に暮らせる。そのためにはオオクニヌシノミコトを完全にこの国の住人、つまり死者にするしかないのだ。考えてもみよ、ここは死者の国だぞ。死んだからといって、ここ以外のどこへ行くんだ?」

言われてみれば、いちいちごもっともでございます。

「それではスサノオノミコトはオオクニヌシノミコトを死なせて完全にこちらの住人として、この国でスセリビメと所帯を持たせるためにいろいろな試練を?」

「そういうことだ。こいつを逃したら、二度とスセリビメを嫁にしたいという男が現れるとは思えなかったからな。わしは何としてでも、二人をがっちりくっつけようと決めておったのだ」

うわ〜、話が……話が違いすぎます〜。

「それをスセリビメはご存じなかったのですか? せっかくの父上の応援を、ことごとく駄目になさったのでしょう?」

わたくしの問いに、スサノオノミコトは苦いお顔になられました。

「知っていたよ。あいつにも言ったし、とにかくあの男を絶対に逃がすなとも念を押した」

「それなら、なぜ?」

「スセリビメはなあ、この国を出て中つ国へ行きたかったのさ。なにしろここは死者の国だ。いろいろな家庭の事情もあったが、それ以上にどうも陰気でならん。もっと華やかな世界へ行きたいと思っていたんだ。生者の国の男と惚れあって、千載一遇の機会と考えたんだな。いくらわしが『死の国の女が生者の国で共に暮らせば、あの男の運命に不吉な陰がさす。あの男が好きなら、あの男のためにここで暮らせ』と口を酸っぱくして説いても、どうしても言うことを聞かなんだ。わしはオオクニヌシノミコトを一目見て、ぼさっとしているように見えるが、どうしてどうしてなかなかの男だと見抜いたゆえ不幸にしたくはなかった。同時にスセリビメも何とかして嫁がせたかった。だからこそオオクニヌシノミコトを死者の国の住人として婚礼させ、あの男も幸せにしてやりたかったんだ」

思わず身を乗り出して聞き入っておりました。

この大神様のお言葉、偽りとは思えません。

いえ、すべて辻褄が合います。

こちらが真剣に聞いているためか、スサノオノミコトも熱心に続けられます。

「だが、ことごとく失敗した。最後にはわしを縛り付けて逃げ出しおった。わしは追いかけた。だが黄泉比良坂で、とうとう振り切られた。それゆえ忠告したのだ。『その太刀と弓矢で八十神を追い払い、中つ国を支配し、スセリビメを正妻とし、宮殿を造って住め。ただし死の国の女を妻とした以上、おまえは将来その支配権を奪われ、隠れ住むことになろう。その時は潔く諦めて引退しろ。それからスセリビメは嫉妬深いし気が強い。気を許すと尻に敷かれるから、しっかりおまえが主導権を握れ』とな」

「あの、『ただし……』から後の方は、うかがっておりませなんだ」

「途中でスセリビメが、オオクニヌシノミコトの耳を塞いでおったから聞こえていなかったのだろう。だが、スセリビメは知っているよ」

今度はわたくしが、ため息をついてしまいました。

世の中には知っていたからよかったこともありますが、知らずにいた方がよいこともあります。

今のお話、間違いなく後者かと存じます。

スサノオノミコトが、しんみりとされました。

「まあ、スセリビメが出て行きたかったのも無理はないのだ。気持ちはわかる。結婚してもこの国にいれば、わしの母上、あいつにとっては祖母がうるさかったろうからな」

「そういえば、あなたは『ははの国へ行く』とおっしゃって出雲を発ち、ここへおいでになられたのですよね? 肝心の母上、イザナミノミコト(伊弉冉尊)はどうされているのですか?」

「元気だよ」

大神様は苦笑されました。

「わしが来たら、それはそれは大喜びされた。わしも歓迎されていると思って嬉しかった。だが、わしの思う母子対面の喜びではなかったんだな。母上は『本当にいいところへ来てくれた。おまえにこの国の支配をまかせるから、がんばれ』とおっしゃって、そうそうに出立された」

「ええ〜! 根の堅州国を出て行かれたのですか?」

「いや、この国のどこかにいる。つうか、国中を飛び回っておいでだ」

またまたわけがわからず、おたおたしてしまいました。

スサノオノミコトは傍らに置かれていた一枚の紙を差し出されました。

そこには気の強そうな美しい女神様が、左手を腰に当て右手で空の彼方を指さしている絵が描かれております。

そして〝先祖神よ、子孫を鍛えよ!〟の文字が……。

「……あの〜、これはいったい……」

大神様は少し悲しげな表情になられました。

「シロナガミミノミコトよ、魂は生まれ変わる。生者の世界から見ると、魂は常世とこよの国から来て赤子として生まれ心身の成長と共に魂も成長し、やがて身体が老いて死ぬと成長した魂は常世の国へ帰る。つまり魂は幾度も人間の世界へ生まれ変わり修行をし魂を鍛え、より次元の高い存在へとなってゆくのだ。常世は根の堅州国の一部でもある。ろくに成長せぬ魂はこの国でも暗い地位の低い場所へ落ち、鍛え成長した魂は明るい高い場所へ行く。魂は人間となるだけではない、先祖神として子孫を見守るという修行をする場合もあるのだ。だが……最近、問題があってな」

「どのようなことでしょうか?」

スサノオノミコトはどんよりと暗い表情になられました。

「どうも今の人間どもは、目先の利益や楽しみばかり追い求め、不満があれば自分よりも弱い相手を踏みつけいたぶり、感謝するよりも嫉み、さらに貪り、陰では悪口の言いたい放題で、肝心の魂の修行を忘れておる。そのために死んだ後、暗い低い場所に泥のようにたまりうごめく魂が多くて困っているのだ。一応生まれ変わるが、さらに修行を怠り、どんどん下へ下へと落ちる魂が増えるばかりでのう。これは、わしが来る以前から問題になっておったそうだ。それゆえ支配者である母上が激怒され、祖先神として見守る者、これから人間界へ行こうとする魂を、事前に幾度も指導されておったのだとか。神々や少しでも良心がある魂は、元は天津神であり国生みをなされたイザナミノミコトのご指導を仰ぎたいと考え、講演会や勉強会への依頼が殺到していたらしい。だが母上はこの国の支配という仕事もあって、なかなか時間が取れぬ。いらいらしておられたところにわしがやってきたので、これ幸いと支配者の座を引き渡し、ご自分は講演会や勉強会の講師として国のあちこちを飛び回るようになったというわけさ」

「で、これが祖先神対象の講演会の広告でございますか?」

わたくしは、イザナミノミコトの絵をとっくりと眺めました。

「そうだよ。それは先週のやつだ。確か今週は生まれ変わる魂を集めて、勉強会として修行する心構えを説いておられるはずだが……知りたければ、予定表があるから持ってこさせるか?」

「いいえ、けっこうでございます」

わたくしは、急いで首を横に振りました。

スサノオノミコトが、うなずかれます。

「そうだな。おまえは中つ国の神だ。母上の講演会や勉強会には、行く必要もなかろう」

スサノオノミコトが、遠くを見るような眼差しになられました。

「母上はスセリビメを気に入っておられた。ご自分の助手として、講師にしたいとお考えだった。だがスセリビメは母上を、あいつから見れば祖母だが、反面教師にしていたんだ。『私は、お祖母様のような仕事中心の生き方はしたくない。いい男と結婚して専業主婦になりたい』と言っておったよ。母上は『結婚しても、仕事とは両立できてよ』と言っておられたが……。そうさなあ、スセリビメが唯一頭が上がらなかったのが、母上だったなあ」

あのスセリビメの上を行くお方がいらしたのですか……

知りたくなかったです。

わたくしが暗くなっているのに気づかれたのでしょう、スサノオノミコトが明るい口調になられました。

「おお、そうだ、話がすっかりそれてしまったな。おまえは〝神の心得〟を学びたいのだろう。いいだろう、教えてやろう」

ようやくここへ来た理由を思い出して、改めてスサノオノミコトを見上げたのでした。

スサノオノミコトは胸の前で逞しい両腕を組まれ、力強くおっしゃいました。

「気合いだ!」

「……はい?」

聞き間違いでしょうか?

ウサギの長い耳はどんなことでも正確にとらえるはず……。

「うむ。〝神の心得〟の第一は、気合いだな」

「あの……わたくし、ウサギのせいか意味がよく理解できないのですが……」

未熟な神の問いかけにもお怒りにならず、スサノオノミコトはにっこりとされ、ゆっくりと説いてくださいます。

「おまえは神になったばかりでピンとこないだろうが、神の命は長いものだ。生きている先に何があるか、どうなるか、人間以上にわからんものだ。その中で忘れてはならんことは、とにかくこれと決めたことを貫き通す気構え、必ず成就させるという〝気合い〟が一番なのだ」

気合い……考えてもみませんでした。

う〜む、神の心得とは、なんと深淵なものなのでしょう。

「なるほど。では、スサノオノミコトはどのように気合いを入れられて、大神様になられたのですか?」

感心しつつお尋ねすると、スサノオノミコトは胸を張ってお答えになられました。

「わしは最初から、『母に会いたい。母のいる根の国へ行きたい』と考えておった。だが父のイザナギノミコトは『海を治めよ』ととんちんかんなことを仰せだった。だから、わしは泣きわめいた。呆れ果てて父上は、ようやくわしを解放してくださった。それゆえ姉上に挨拶してから根の堅州国へ行こうとして立ち寄ったら、変な勘ぐりをされて一悶着あり、わしは高天原を追放された。でもまあ、これでようやくははの国へ行けると、せいせいして出雲へ降り立ち、しばらく暮らした」

「あの〜、目的地へまっすぐ行かれなかったのは、何か深いご事情でも?」

またまた素朴な疑問を発しましたところ、大神様は豪快に笑われました。

「いや〜、道を間違えた」

「はあ〜?」

驚いて頓狂な声を上げてしまいましたが、スサノオノミコトは相変わらず上機嫌でいらっしゃいます。

「高天原から出雲へ下りたが、初めて来たところゆえ途中でわからなくなった。困っていると川に箸が流れてきた。つまり上流に人がいるということだ。『よし、道を訊こう』と思って、川を遡って老夫婦とクシナダヒメに会い、成り行きで八岐大蛇やまたのおろちを退治したんだな」

「迷子になって道を教えてもらいに行ったら、結婚して八岐大蛇退治になっちゃったんですか?」

「そういうことだ」

いえ、あれって勇猛な神話だと思っていたのですが……大きな迷子の蛇退治だったんですか?

少々頭痛がしてきましたが、大神様はなおも続けられました。

「大蛇を退治し、クシナダヒメと結婚してしばらく出雲で暮らす羽目になったんだが、これもわしの希望というよりも周囲の願いでな。わしがいくら『もう大丈夫だ』と言っても、周辺住人全員が『そんなことはわかりません、八岐大蛇二号、三号がいるかもしれません。もうちょっといてください』と泣きつくんで、仕方なく滞在したんだ」

「ええ〜、八岐大蛇に家族や親戚がいたのですか? 八岐大蛇二号や三号は出たんですか?」

興味津々の質問に大神様は苦笑なさいました。

「出るわけなかろう。あんな化け物、そうそうおらんわ」

「ですよね」

「しばらく出雲で稲作や様々な技術を教え、和歌を詠んだりして暮らしていた。そのうちにもう大丈夫だと皆が納得してくれたので、ようやく根の堅州国へ来ることができたのだよ」

「そうして母君にお会いできたのですね」

そう言ってから、さきほどの広告に目をやりました。

スサノオノミコトも母君の絵に視線を向けられ、左手でこめかみのあたりを押さえられました。

「ああ……まあ、こういう展開になるとは思わなかったけどなあ」

確かに母上にお会いし親子の情を交わして……という流れにはなりませんでしたね、はい。

「それでも母君と同じ国にいらっしゃるのですから、初志は貫徹されたわけですし」

スサノオノミコトが、複雑な表情でいらっしゃいます。

「……もっとこう息子に会えて喜ぶ母という図を期待していたんだが……確かに喜んでくださったよ。でも、その喜びは『ようやく面倒な義務から解放されて、思いっきり好きな仕事に打ち込める』っていうもので……気合いを入れてここまで来たわしって何だったんだろうなあ」

いやいやいや、そんなことおっしゃらないでください。

わたくしのさっきの感動は、どうなるのですか?

「と、とにかく、気合いですね。はい、気合いを入れて頑張ります。ありがとうございます。これで因幡へ帰って、ウサギ神として励めます」

深々とお辞儀をしてから頭を上げると、スサノオノミコトが不思議そうにこちらを見ていらっしゃいます。

「そう言えば、おまえはどうしてオオクニヌシノミコトと知り合って、わしのところへ来たんだ?」

そうでした。

あまりにも衝撃的なお話が続き、わたくしの身の上話をしていませなんだ。

そこでワニザメに毛をむしられたことから始まって、オオクニヌシノミコトとの出会い、ヤカミヒメからのお誘いと修行命令、出雲へオオクニヌシノミコトをお訪ねした事情をかいつまんでお話ししました。

黙ってお聞きになっておられたスサノオノミコトが、大きなため息をつかれました。

「やっぱりスセリビメがやらかしたか。そのヤカミヒメという女神、可哀想なことをしてしまった。すまんと伝えてくれ」

「そのお言葉、ありがたくお受けして、ヤカミヒメにお伝えいたします」

器の大きな神様でいらっしゃいます。

一地方の女神様のことを案じて謝ってくださるなんて……やはり大神様は違いますね。

感動してしまいました。

そこでもう一つ思い出しました。

「こちらへ来る途中でヤツカミズオミツヌノミコト(八束水臣津野命)にお会いしまして、よろしくお伝えくださいとのことでした」

「ああ、あの国引きの神か。元気か?」

「はい、お元気そうでした」

「不思議だったんだが、あいつは出雲が細長くて狭いから他所の余った土地を引っ張ってきたんだろう? どうしてまた細長くくっつけたんだろうな? 会う機会が無くて尋ねられなかったのが残念なんだ」

「実はわたくしも同じことをお尋ねしました」

「おお! で、なんと答えた?」

わくわくしておられるスサノオノミコトに、苦笑いしつつ国引きの神とのやりとりをお話ししましたよ。

「なるほどな。ただものではないと思っていたが……」

「ヤツカミズオミツヌノミコトがですか?」

「いや、出雲という国がだ。ふむ、そんな理由でな~」

わたくしには「出雲だから~」という理由でどちらの大神様も納得なさっている方が不思議です、はい。

「いやあ積年の疑問が解決してすっきりしたわい。ところでオオクニヌシノミコトは〝神の心得〟を何も教えてくれなかったのか?」

「『なるようになる』とのことでした」

スサノオノミコトは真剣な面持ちになられました。

(なるほど、わしが見込んだ男だけのことはある。スセリビメは夫選びを間違えなかったようだ。それにその剣は……ふむ)

やや沈黙が続き目を細めて梨割剣なしわりのつるぎをご覧になっておいででしたが、諭すようにおっしゃいました。

「スセリビメからもらった弁当は、そのまま持って行くといい。生きているおまえには、この国の食べ物はやれんからな。うっかり食ったら、もう生者の国へは戻れん。オオクニヌシノミコトがおまえにその剣をやったのなら、わしも何か土産をやろう」

スサノオノミコトが立ち上がられたので、わたくしはあわてました。

「そんな、めっそうもない」

「遠慮するな、来い」

いえ、その、オオクニヌシノミコトがくださった剣って、果物や野菜の皮むき用なんですけれど……。

スサノオノミコトまでがお気遣いくださるような、だいそれたものじゃないんですよ。

でも、そんなこと言えないし……。

ああ。

すたすたと出て行かれる大神様の後を、あわててついて行きました。

長い廊下をいくつも曲がりながら進んで、大きな宝物庫らしいお部屋に入りました。

武具や楽器、様々な珍しいものが並んでいて、見とれてしまいましたよ。

スサノオノミコトはまっすぐに棚へ近づかれ、一枚の薄い細長い布を手にされました。

「シロナガミミノミコト、こっちへ」

「は、はい」

大神様のところへ行くと、手にされた布を細く折りたたまれて、わたくしの耳の下、ちょうど額のあたりの位置でぐるりと何度か巻かれた後、正面でキュッと縛られました。

「これで、よし」

傍によく磨かれたウサギの身の丈よりも大きい金属の楯がありましたので、そこに姿を映してみました。

わたくし、鉢巻きをしております。

「それをやろう。持って行け。旅に役立つはずだ」

「ありがとうございます。これは、どのような布なのですか?」

期待を込めてうかがいました。

スサノオノミコトが選んで頭に巻き付けてくださった布です。

きっと、並外れた力があるのでしょう。

スサノオノミコトはにこにこしておっしゃいました。

「これから本格的に神としてやっていくんだ。だから気合いを入れるために鉢巻きを巻いてやった。どうだ、活が入ったろう!」

気合い……ですか?

つまり、その、この鉢巻きって、ただ気合いを入れるために巻いたんですか?

途方もない呪力を秘めているとかじゃないんですか?

必死に訴えるわたくしの目に、得意げと言いますか、満足げなスサノオノミコトのお顔が映りました。

「はい、気が引き締まります」

少し引きつった笑顔になりつつ同意しましたとも。

スサノオノミコトは大きくうなずかれておいででしたが、ふと思い出したようにおっしゃいました。

「そうだ、因幡へ帰る前に、遣いを頼まれてくれないか」

「どちらまで?」

すると大神様は意外な依頼をされました。

「三輪にいるオオモノヌシノカミ(大物主神)にふみを届けてほしい」

オオモノヌシノカミ……あれ、その神様って……。

「オオクニヌシノミコトと中つ国の国造りをなさっている神様ですよね? 出雲にいらっしゃるんじゃないんですか?」

スサノオノミコトはすでに筆と紙を手にされて、さらさらと書いていらっしゃいます。

「いや、あいつは手伝ってから奈良の三輪山に住んでいるんだ」

「そうでしたか。えっと、スサノオノミコトが文を出されたいということは、お知り合いなのですか?」

「いいや」

あっさり否定されて、スサノオノミコトは書き終えた文をたたまれました。

「一度も会ったことはない。だが、そいつの関係者がこの国へ次々にやって来ておるのだ。そして、その原因を作っているのが、あいつなんだ」

「あらま」

あのオオクニヌシノミコトと共同事業をされた神様ですよ。

まさか黄泉の国に関係者を送り込むなどとは、信じられません。

スサノオノミコトが文を差し出されました。

「つきあった女を何人も死なせては送り込んでいるのだ。どれもみな、まだ若くて美しい女ばかり。さすがにわしも娘を持つ身として、一言言わずにはおられん」

かなりむっとしておいでです。

怖いです、そのお顔。

わたくしは、急いで文を受け取りました。

「承知いたしました。三輪のオオモノヌシノカミにお届けすれば、よろしいのですね?」

「すまんな、シロナガミミノミコト。ここでは生者の国のように雉は来ないし、いつもは誰かを遣いに出すのだが、今、人手不足で使者を送れんのだ」

そう言われて気がついたのですが、この広い宮殿でほとんど使用人の姿が見えません。

「何か異変がございましたか?」

緊張してお尋ねしたところ、スサノオノミコトはまた左手でこめかみを押さえられました。

「来週、母上がこの宮殿で、常世の国中の祖先神を集め大決起集会を開かれるのだ。その準備で、召使いや侍女のほとんどが出払っておる。わしも受付係をおおせつかった。ついでに休憩時間に湯や果物の配膳もすることになろうな」

スサノオノミコトを受付や配膳係にするとは、恐るべしイザナミノミコト。

会わなくてよかったです。

「おまえはいい時に来てくれた。来週ならばこうやってゆっくり語り合うことはできなかろうし、間違いなくおまえも果物配りをさせられただろうよ」

わたくしは、ほっとしながら文を懐へ入れました。

「さてと、奈良へ行く近道を教えてやろう」

「そのようなものがあるのですか?」

スサノオノミコトは、にっこりされました。

「根の堅州国と中つ国を結ぶ道は、出雲だけではなくあらゆる所にあるんだ」

すたすたと外へ出られましたので、急いでついて行きました。

広いお庭に出て、片隅にある大きな白いピカピカの庭石の側へ立たれます。

その石を軽く叩かれますと、石は簡単に転がり、ぽっかりと地面に大穴が開きました。

手招きされて、おそるおそる近づいてみました。

その穴には底知れぬ暗闇の中へ石段が続いていました。

「ここを下りていけば奈良に出る。そこからは三輪山が一目でわかるから、迷いようがない」

はい、かつて道に迷って八岐大蛇一号を退治された方がおっしゃるのですから、きっと行けるのでしょうが……。

「あの〜、わたくしは黄泉比良坂を下りてこちらへ参りました。さらに地下へ行って、中つ国の奈良があるのですか?」

するとスサノオノミコトがお笑いになられました。

「シロナガミミノミコト、根の堅州国は中つ国の下にあるとか上にあるとか、そういう位置関係では計りしれないのだ。存在そのものが、中つ国の感覚ではつかめん。だから、ある時は海の彼方であったり、ある時は地下にあったり、いろいろなのだよ。心配いらん。見ただけでは、さらに地下へ下りるように感じるだろうが、ちゃんと中つ国の三輪山近くへ行けるからな」

「なるほど、そういうところなのですか」

感心してしまいましたよ。

大神様が優しくおっしゃいました。

「さあ、気をつけて行け。立派な縁結びと皮膚疾患とフサフサの神になるんだぞ」

「ありがとうございます。ウサギ神として精進いたします」

わたくしは強面ながらお優しい大神様に深々と頭を下げ、石段を下りて行きました。

そして、また故郷へ帰ることなく、旅は続くことになったのです。




どんどん石段を下りて行くうちに前方が明るくなってきて、突然広い野原に出ました。

はるか彼方に強い神気を放つ山が見えます。

「はあ〜、中つ国へ戻ってきたんだ〜。あれが三輪山だな」

生者の世界へ戻ってきた嬉しさを噛みしめつつ、これから向かう山を見て深呼吸をいたしました。

「あ! また帰るのが遅くなるから、知らせないと……」

独り言が終わる前に、雉が出てきました。

さすがです。

すぐにヤカミヒメへのふみを書き、この地区担当の雉に託しました。

雉が飛び去った後、おいしそうな実をつけている杏の木を見つけました。

「そうだ、ここでお弁当にしようっと」

袋から乾飯かれいいを出して竹筒の水をかけ、ふやけるまでに杏をいくつか採り、梨割剣なしわりのつるぎで皮をむいてみました。

さすがは果物・野菜用にとくださった剣です。

スパスパとおもしろいようにむけます。

ところがうっかり手を滑らせても、わたくしの毛も皮膚も少しも傷つかないのです。

「そっか、果物は切れても、持ち主は傷つかないんだ。安全だからくださったのか」

オオクニヌシノミコトのお心遣いに感謝し、杏を食べながら風に吹かれているうちにほどよく乾飯も戻りましたので、おいしくいただきました。

食べながら、ふと頭をよぎったことがありました。

(オオモノヌシノカミって、どんな方なんだろう?)

もちろんお顔を知らなくても、三輪山へ行けば間違いなくお会いできるはずです。

ただ、交際していた女性達を死なせて次々に黄泉の国へ送り込んでいるという点が、とても気になりました。

ひょっとして、気短で乱暴で我がままで、気に入らないことがあったら相手の女性を殴ったりするような方なのでしょうか?

あるいは、じわじわと虐め殺すような陰湿な性格なのでしょうか?

そのようなお方のもとへうかがって、大丈夫でしょうか?

まさか、ウサギ鍋がお好きとか?

悪い方へと想像をたくましくしてしまいましたが、すぐに首を振ってそのような考えを頭から振り払いました。

だってオオクニヌシノミコトをお助けして、ご一緒に国造りをなさった大神様ですよ。

そんなひどいお方ではありますまい。

きっと身体が大きくて、お力が強くて、ちょっとしたはずみでうっかり死なせてしまったとか、そういうことなのでしょう。

胸がドキドキしましたが、自分をなだめる言い訳を必死に考えましたとも。

そして腹ごしらえを終え、勇気をふるって三輪山へ向かったのです。

まもなく山裾へ着きましたが、困ってしまいました。

「いったい、どこにお住まいなのだろう?」

鳥居はありますが、建物らしきものは全く見あたりません。

取り次いでくれる召使いや侍女もいません。

森閑とした山だけがそびえています。

きょろきょろしていますと、突然声がしました。

「誰だ? 神のようだが、なぜここへ?」

目の前に若い男神が立っていらっしゃいます。

近づく音も気配すらもわからなかったので、それは驚きましたとも。

「うわ〜……あ、あ、あ、あの〜……オオモノヌシノカミにお会いしたいのですが……」

切れ切れになりながらも必死で答えました。

すると、その神は確かめるようにお尋ねになりました。

「僕に用があって来たの? 君、誰?」

このお方が、オオモノヌシノカミ?

想像とは、えらく違うんですが……。

オオクニヌシノミコトもいい男ですが、オオモノヌシノカミも中性的と言いますか、細身のそりゃあ美形でございます。

何とか息を整えて申し上げました。

「初めまして。わたくしはシロナガミミノミコトと申します。因幡に住むウサギ神でございます。本日は、根の堅州国のスサノオノミコトから文をお届けするよう依頼されまして、うかがいました」

オオモノヌシノカミが、じっとわたくしを見ていらっしゃいます。

ぞくりと背中を冷たいものが走りました。

怖いというならば、スサノオノミコトの方が怖いお顔ですし、身体も大きいので威圧感があります。

それに対してオオモノヌシノカミは細身で優しいきれいなお顔立ちなのに、妙な恐怖を感じます。

急いで文を出し、押し頂いてからオオモノヌシノカミに差し出しました。

「どうぞ。スサノオノミコトからの文です」

オオモノヌシノカミはお受け取りにならずに、わたくしを見ておいでです。

「君、黄泉の国の住人じゃないんだよね。因幡のウサギ神って言ってたけど、ひょっとしてオオクニヌシノミコトが助けた白ウサギ?」

「ご存じでしたか?」

驚きましたよ。

因幡の白兎のことは、奈良にまで広まっていたのですね。

オオモノヌシノカミが、顔をほころばせて手招きされました。

「こっちへおいで。ゆっくり話そう」

さっきまで感じていた恐怖はなぜか消えてしまい、わたくしはオオモノヌシノカミに続いて鳥居をくぐり山に入りました。

何と、目の前には大きなお屋敷があるではありませんか。

オオモノヌシノカミが、優しくおっしゃいました。

「お入り。僕一人だから、遠慮はいらない」

「は、はい」

文を手に持ったまま中へ入り、立派なお部屋でオオモノヌシノカミと向かい合って座りました。

「えっと、どうして生者の国のウサギ神が、スサノオノミコトのお遣いで来たの?」

にこにこしながら、オオモノヌシノカミがお尋ねになります。

そこで、オオクニヌシノミコトに助けられた後の異変から今日までの事情を、かいつまんでお話ししました。

黙って聞いておられたオオモノヌシノカミが、興味深そうにわたくしをご覧になっています。

「そりゃあ、ずいぶん変わった体験をしてきたね。それでスサノオノミコトの文を預かってきたってわけか。故郷へ帰る前に、遠回りをさせてしまってすまないね」

わたくしは、首を横に振りました。

「いいえ、わたくしのような者でもお役に立てて嬉しいです。さあ、どうぞ」

もう一度差し出しました。

今度はオオモノヌシノカミもすぐに受け取られ、押し頂いてから開いてお読みになります。

もうちっとも怖いとは思いません。

『さっきの恐怖は何だったんだろう?』などと暢気に考えていましたが、文を読み終えられたオオモノヌシノカミが困ったようなお顔を上げられました。

「あのさあ、スサノオノミコトがこの文を君に渡したとき……怒ってた?」

すぐに、あの怖いお顔を思い出して、コクコクとうなずきました。

「はあ〜……まずいな〜」

文を持った両手をだらりと下げ、ため息をついておられます。

「あの、お叱りなのですか?」

オオモノヌシノカミは、わたくしに暗い顔を向けられました。

「お叱りじゃなくて、脅しだよ、これ」

「え?」

驚きましたね。

そんな深刻な内容の文だったんですか?

それでも、すぐに気を取り直しました。

「スサノオノミコトは、理の通らないことや無茶なことをおっしゃるお方ではございません。それに、けっこうお優しい方でいらっしゃいます。きっと少し強くお諫めして、反省を促しておられるだけかと存じますが……」

慰めるように申し上げましたが、オオモノヌシノカミは沈鬱なお顔で文を畳んで傍らに置かれました。

「『女関係を謹んで、これ以上死者の国へ若い女を送り込むな。また誰かがおまえが原因でやってきたら、今度はわし自身でおまえを捕まえに行き、根の堅州国へ連行して、その道の熟練講師の手で神として再教育する』と書いてある。これって、お優しいのか? スサノオノミコトが、ご自分で捕まえに来るんだよ」

「うっ」

言葉に詰まりました。

オオモノヌシノカミはスサノオノミコトの襲来を恐れておいでのようですが、わたくしは〝その道の熟練講師〟の方が、恐ろしゅうございます。

ええ、どう考えてもあの女神様に鍛えられるんですよ。

そっちの方が、はるかに……。

オオモノヌシノカミが、不満そうな口ぶりになられました。

「ねえ、シロナガミミノミコト、あの女達のことだけれど、僕だけが悪いのかな? 向こうにも問題があると思うんだよね」

「はあ……詳しい事情を存じませんので、何とも……」

ええ、この優男やさおとこの神様がどういういきさつで女達の死と関係しているのか、全く知りませんし。


   つづく



次回はオオモノヌシノカミの恋バナと女達が死んだ理由が明らかに。

さらにこの国を揺るがす驚くべき一大事が勃発します。

国譲り編の始まりです。


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