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白兎神、大いなる陰謀に巻き込まれ日の本を救いし物語4 ついに謎の敵と遭遇し、さらに謎が深まりし話

きょろきょろとあちこちを確かめるように見ています。

もちろん問いかけられましても、わたくしにはわかりませんが……。

「違う場所に来てしまったのですか?」

(きっと自信満々で、『誰に言っている!』とか答えるのでしょうね)

ところが予想に反して、太郎坊は堅い声音になりました。

「妙だ。海の景色と陸の景色が違っている」

わたくしはあわてて両方を見比べましたが、特に変わったことはありません。

「どちらもちゃんと人間の世界ですが……」

「そうだ。だが東海道のこの宿では海側に港があるはずなのにない。この海辺はもっと先の房総の風景よ」

「房総って……江戸のもっと北で東ですよね?」

懸命に頭の中の知識を総動員して尋ねました。

天狗が錫杖しゃくじょうを持ち直しました。

「陸は江戸の手前、海は江戸の先……明らかに空間がずれている」

「ええ〜!」

悲鳴を上げてしまいました。

陸は危険だからと空を飛んでいたのに、まさか敵が空の上までズラしているんですか?

尊大な天狗が、さすがにとまどったような様子です。

「信じられんが、中空までずらせている。油断するな、敵の待ち伏せかもしれん」

そう言って、ぐんぐん地上を目指して下りてゆきます。

空の上まで敵が自在に空間を歪められるならば、わたくしがおぶさっているだけ太郎坊さんには不利です。

よくよく考えてみると、はるか天高い位置にある高天原にまで異変を起こしているのですから日の本の空をいじるくらいはできますよね。

あまりにもこれまでの常識からはずれた出来事ばかりで、みんなで見落としてしまっていました。

「降りろ。そして、わしの傍から決して離れるな」

人間が往来する街道から離れた山の中に下り、天狗は破れ鐘われがねのような声で怒鳴ります。

「はい」

わたくしはすばやく背から降り、念のためにスラリと梨割剣なしわりのつるぎを抜きました。

「これからどうしましょう。〝神の道〟へ入りますか?」

「そうだな。どこも危険となれば、神通力を使いやすい方へ行くのがよかろう」

太郎坊が、一歩踏み出しました。

わたくしもすぐに一歩踏み出します。

共に〝神の道〟へ入ろうとした瞬間、辺りが暗くなりました。

どこからともなくバラバラと何かが現れます。

そう、沸いて出たとしか言いようのない、奇妙な出現の仕方でした。

「敵だ! わしから離れるなよ」

「は、はい」

ええ、ええ、もちろん、絶対、決して、間違いなく、何が何でも離れませんとも。

出方も奇妙でしたが、その姿も奇妙でした。

大きさは太郎坊と同じくらいで、勾玉のような形、大きな円形で下の方が細長くたなびいていて、黒っぽいものです。

顔も無く手足も無く、ふわふわと浮いております。

天狗が、なぜか腰から羽団扇はうちわをはずして手に持ちました。

「ウサギ神、わしに掴まれ!」

わけがわかりませんでしたが剣を鞘に収め、しっかりと太郎坊の腰辺りに掴まりました。

天狗は、すぐさま羽団扇を一振りしました。

「ひい〜」

悲鳴をあげてしまいました。

羽団扇を軽く振っただけなのに、辺りには突風が巻き起こり、周囲の大木は折れんばかりにしなり、細い木々は根っこごと吹き飛ばされていきます。

ウサギなど天狗に掴まっていなければ、地の果てまでも飛ばされておりましたでしょう。

必死に掴まり耐え切れずに目をつぶってしまいましたが、心の中ではほっとしていました。

(これで、あの得体の知れない化け物達も飛ばされたでしょう)

風はびゅんびゅんうなり続け、やがておさまりました。

ほっとしながら目を開けて……

ええ〜!

「た、た、た、太郎坊さん、全部吹き飛ばしたんじゃないんですか?」

「そのつもりだったが……忌々しい連中よ!」

吐き出すように言った天狗は、羽団扇を腰に戻し錫杖を胸の前で構えます。

敵は一匹たりとも減ってはおらず、かえって……増えてますよ〜!

「ど、どういうことなんですか?」

「こいつら空間を操作し、わしの疾風をすべて他の場所へ飛ばしおった。そのうえ次々に仲間が沸いて出て、この有様よ」

太郎坊の言葉に、わたくしは身震いしました。

「案ずるな。空間を操作されるのはやっかいだが、わしの敵ではないわ」

からからと天狗は笑い、化け物達に怒鳴りました。

「ふん、富士山太郎坊に貴様らごときがかなうと思うてか?」

そうです、敵は姑息なことをしますが、おそらく戦いになれば太郎坊の方が強いでしょう。

落ち着きを取り戻して、わたくしは再び梨割剣を抜きました。

それを合図にしたかのように、ふわふわ浮いていた勾玉型の化け物が次々に飛びかかってきます。

太郎坊は、容易く錫杖で地面へと叩き落とします。

わたくしも梨割剣で勇敢に斬り伏せ……と言いたいのですが、すべて太郎坊が叩き落とし、わたくしが出る幕はありませんでした。

相当の打撃らしく、ぐにゃりと曲がって地面に落ちた化け物どもはうめき声を上げたまま倒れています。

はい、口も無いのにどこから声が出るのかわかりませんでしたが、確かに痛そうにうめいておりました。

天狗は襲いかかる敵を片っ端から打ち据えていたものの、何しろ次々に沸いて出るのです。

キリがありません。

だんだん太郎坊の赤い顔が、さらに赤みを増してきます。

呼吸も荒くなっております。

(このまま長期戦になっては不利です)

わたくしは参戦することを決意して、剣を構えて前へ出ようとしました。

その時、敵がすっと後ろへ下がったのです。

「ようやく、かなわんと知ったか」

荒い息ながら相変わらずふてぶてしく怒鳴ると、目の前の少し離れた空間がぱくりと開きました。

「はわわ〜」

変な叫び声を上げてしまいました。

そして太郎坊は、ぎょろりとした目をさらに大きく見開いています。

現れたのは、太郎坊の倍はあろうかという巨大な勾玉型の化け物でした。

顔も手足もないのは最初に襲ってきた連中と同じでしたが、まとっている〝気〟は比べものにならないほど強大で、前にいるだけでこちらが消されそうなほどです。

勾玉の親玉は、口も無いのに蔑むような声を出しました。

「天狗の小僧、邪魔だ。我らはそのウサギに用がある。とっとと小屋に帰れ」

天狗がかっとなったようでした。

「誰に向かってほざいている。わしは富士山太郎坊。日の本中に知られた天狗よ! 姑息な業しか使えん貴様らごとき、敵では無いわ!」

親玉はゆらりと動きました。

「はな垂れは見逃してやろうと思ったが、邪魔するならば貴様を始末してウサギをもらっていこうかのう」

わたくしは、問いかけてしまいました。

「なぜ、わたくしを鹿島神宮へ連れて行こうとするのですか?」

すると思いがけなく返答がありました。

「おまえの力が必要だからだ」

「ふあ〜?」

変な疑問符を発したのは、太郎坊でした。

「力が必要? このウサギ神の? こんな程度の神力が必要なのか?」

わたくしも同感です。

自慢ではございませんが、わたくしは縁結びと皮膚病とフサフサに御利益を与える以外に特技はございません。

あ、場合によっては女の子を誘うエサになるかもしれませんね。

そういう利用方法はオオモノヌシノカミ(大物主神)だけでしょうが……。

混乱するわたくしと呆れている太郎坊の前で、また親玉がゆらりと動きました。

「天狗の小僧よ、貴様程度にはこのウサギ神が持っている力は見えぬ。まあ、本人もそんなものを持ち帰ったなどとは気づいておらんだろうが、どうでもよいことだ。さあウサギよ、お頭おかしらが待っている。鹿島へ行くぞ」

親玉が、すいとわたくしの方へ飛んできました。

「させるか!」

天狗はすかさず錫杖を親玉へ打ち付けます。

「な……に……」

太郎坊の口から、驚いたような声が漏れました。

ふわりとした勾玉の化け物から二本のつるりとした腕のようなヒレのようなものが現れ、しっかりと錫杖を掴んでいるのです。

天狗が手元に引こうとした瞬間、大きな音を立てて錫杖は真っ二つに折れてしまいました。

「まさか……この神木でできた錫杖が……」

呆然としている太郎坊に、腕らしきものをつきだした親玉が冷徹に言い放ちました。

「小僧のおもちゃなど、その程度のものよ。我らがどれだけ長く生きていると思うてか……貴様などまだ生まれてもおらぬ頃より、我らは苦難の中で生きてきたのだからな」

天狗に目もくれず、一瞬でわたくしの前に来ました。

「さあ、鹿島へ行くぞ」

わたくしは、すかさず梨割剣を向けました。

すると、目前に来た親玉が引き下がります。

一目でこの剣の力に気がついたのでしょう。

親玉は悔しそうに呟きました。

「やっかいなものを持ちよって……」

ずいとわたくしと親玉の間に、腰の刀を抜いた太郎坊が立ちふさがりました。

「ふざけたまねをしてくれるわ! このウサギ神は渡さん! 富士山の主からのめいだ」

しかし天狗自身には、相手が自分よりも強いことはわかっていたはずです。

その声にも態度にも、それまでにはなかった決死の覚悟のようなものを感じました。

太郎坊が刀を親玉に向けると、親玉はその場で輪を描いて飛びました。

(何をしているんでしょう?)

太郎坊も同じ事を思ったようです。

「何をやっている? さっさと決着をつけるぞ」

親玉はすぐさまさっきと同じように、丸い頭を上にして止まりました。

「少々面倒そうだからな、やり方を変えた」

「ふん、この富士山太郎坊の力をようやく理解したか?」

空元気をまとった天狗に、親玉は軽蔑しきった声音になりました。

「天狗の小僧などひとひねりよ。だが、そのウサギが持っている剣はやっかいだ。うかつに近寄れん」

太郎坊はちらりとわたくしの剣を見てから、親玉に向かって馬鹿にしたように怒鳴りました。

「こんなちっぽけな剣に脅えるとは、腰抜けが!」

もちろん太郎坊は、この剣がオオクニヌシノミコト(大国主命)から賜ったものだと知っていますから、おそらく挑発したのだと思います。

しかし親玉は動こうとせず、バカにしたように応じました。

「だから、しょせん貴様は小僧よ。その剣は、元はこの国を造った大神の持物。刃に触れれば山でも真っ二つにする代物だ。それに触れずにウサギを生きたまま捕らえるのは少々厄介。それゆえ手を変えた」

「ど、どうしてそれを知っているのですか? いったい何をしようと?」

わたくしが問いかけても答えはありません。

その時、周囲で倒れていた化け物達が次々に起き上がりました。

太郎坊の額から冷や汗が流れています。

「あれだけ打ち据えたら、二度と動けぬはず……」

「我が力を与えれば、すぐに回復して動ける」

事も無げに親玉が答えます。

わたくしたちは、親玉に加えてさっきと同じ数の化け物達に囲まれました。

「ぐぬ」

天狗がうめきます。

そうですとも。

さすがにこの数の手下と親玉相手では、いくらわたくしが梨割剣で防戦し、太郎坊が奮戦しても勝ち目はありません。

いえ、もしわたくしも殺すつもりならば、親玉一人でも充分なはず。

……え? 

ひょっとして……。

すぐさま、太郎坊に小声で尋ねました。

「太郎坊さん、念のためにお訊きしますが、正直にお答えください。あの親玉、あなたよりも強いですよね?」

天狗が背を向けたまま、苦々しげに答えました。

「ああ、あいつはわしよりも強い……悔しいが……」

その答えを聞くやいなや、わたくしは剣を鞘に収め、背中の袋から本を取り出しました。

「こんな時に何をしている?」

怒鳴る太郎坊には答えず、急いで〝御教訓集〟を開きました。

すると……

何も起こりません。

「え? ……あらま? ……どうして?」

切れ切れにわたくしが疑問詞を発しましたので、太郎坊だけではなく親玉や手下達も呆れたような空気を醸し出しています。

(ひょっとして、また何か説明を忘れたんですか、オオモノヌシノカミ〜!)

突然、辺りの空気が一変しました。

「な、なんだ」

太郎坊が呆然としております。

わたくしもすぐに異変に気がつきました。

取り囲んでいる得体の知れない化け物達の頭の上から、どす黒い〝気〟が上昇してゆきます。

親玉からは一際太く大きな〝気〟が柱のように抜けています。

「しまった! 逃げろ!」

親玉が叫びましたが、一体として動ける者がおりません。

皆、その場で固まっています。

やがて抜け出た〝気〟が黒い刀のような形に変わり、それぞれの化け物達を真っ二つにします。

引き裂かれるような悲鳴があちこちから上がり、次々に化け者達は消えてゆきました。

最後まで残っていたのは親玉です。

おそらく〝気〟が大きいので、抜け出るのに時間がかかったのでしょう。

手下がすべて消えた後、今度は特大の刀に変わった親玉の〝気〟が本体を真っ二つにしました。

「おのれ……あと少しだったのに」

親玉も憎々しげに絶叫しながら、消え去りました。

そして辺りの景色ががらりと変わります。

さっきの山ではありません。

深い森の中です。

「ウサギ神よ……それは何だ?」

少し引き気味の太郎坊に問いかけられて、わたくしはいつの間にか自然に閉じられている本を手に立っていることに気づきました。

「ありがたいことです。オオモノヌシノカミのお力ですよ」

思えば、富士山でご姉妹に事情をお話ししたときに、オオモノヌシノカミが本に込めてくださったお力のことは省略しておりましたっけ。

当然、太郎坊はこのことを知らないわけですから、驚いたでしょうね。

わたくしは天狗に三輪の大神様のご厚意について話しました。

説明が終わると、天狗は恐る恐るわたくしの手にある御教訓集を見つめました。

「どうやらその力……その本が存在する限り永続するな……」

「はい、あのお方はこの国でも指折りの古い強力な祟り神でもいらっしゃいますから、まだまだ使えますよ」

「何と恐ろしいものを持っているのか……。まあ、そのおかげで難を逃れたが……」

「開かなければ大丈夫です。ところで、ここ、どこでしょう? 鹿島ではないですよね?」

太郎坊は無言で耳を澄ませています。

ええ、わたくしの長い耳にも小さな音が聞こえてきました。

「敵ですか?」

わたくしが本を持ったまま叫ぶと、太郎坊は落ち着いた声音で答えました。

「心配するな、鹿島からの敵ではない」

一呼吸おいてから、太郎坊がつぶやきました。

「まあ、討たれる心配はないが、味方になるとも思えん」

バサバサと大きな羽ばたきがあちこちから聞こえ、黒い影が次々に舞い降りてきます。

「これは……」

呆然として、わたくしたちの周囲を囲んでいる者達を見回しました。

皆、太郎坊と同じような姿形をしています。

「あなたのご親戚ですか?」

わたくしの問いに、太郎坊は首を横に振りました。

「いいや、天狗だがわしの仲間ではない。こやつらは飯綱三郎いづなさぶろうの一族。ここは江戸近くにある天狗の住み処、高尾山たかおさんだ」





わたくしが天狗を見たのは、富士山太郎坊が最初です。

そのためかもしれませんが、やってきた高尾山の天狗と富士山の太郎坊、ほとんど違いがわかりません。

若干服装が違うかな〜という程度です。

高尾山の天狗の一人が、わたくしたちをじろじろ見ながら横柄に尋ねました。

「貴様、富士山の天狗だな。大勢の気配がしたが、そいつらはどうした? なぜウサギを連れてこの山へ来た?」

あの~、わたくしは一応ウサギ神なんですけど~。

心の中でもぞもぞ反論しましたが、声に出してはとてもとても。

一方、太郎坊がひるむことなくこれまた尊大に答えます。

「わしは富士山太郎坊よ。来たくて来たのではないわ。敵の待ち伏せに遭い、交戦し、空間の歪みによってここへ出ただけだ。これはシロナガミミノミコトといって、因幡のウサギ神。訳あって鹿島神宮の近くへ送り届ける途中だが……まあ、せっかくだ。お前達の領地に入ったのだから、飯綱三郎に挨拶してゆくか」

天狗同士の会話は、どちらも横柄な感じでございます。

のどかなウサギ神には、とてもついてゆけません。

高尾山の天狗達はひそひそと話し合っていましたが、やがて大仰に言い放ちました。

「よかろう、おかしらに会わせてやろう。ついて来い」

地元の天狗達に囲まれて、わたくしは太郎坊と共にずんずん森の奥へ進みました。

最初は平地の森だと思っていたのですが、すぐに斜面となり、ここも山の中だとわかりました。

わたくしは大きな歩幅で歩く天狗達に遅れまいと、必死にちょこまか歩きました。

大きな人間のお寺が見えてきました。

無言で歩く地元の天狗達と富士山の天狗について、お寺を見下ろす場所にある大きなお屋敷へ入りました。

おそらくこの建物は、人間の目には見えないものです。

高尾山の天狗に案内されて長い廊下を進み、やがて奥の戸口の前で止まりました。

一人が、閉まっている戸口の前で中に向かって怒鳴りました。

「戻ったぞ。異様な気配は、どこぞの怪しいやからと、そいつらと交戦していた富士山太郎坊だった。通りすがりの挨拶がしたいそうだ」

中から年老いた声が応じました。

「おうよ、通せ」

「さあ、入れ」

地元の天狗が戸口を開けて促したので、太郎坊と一緒に室内に入りました。

内心、ぎょっとしましたよ。

中は板張りの大広間で、三十人ほどの天狗達が座っていて一斉にこちらをじろりと睨んだのですから。

わたくしは一礼して部屋に入りましたが、太郎坊はどこ吹く風という感じです。

さすがですね。

上座には、一際ひときわ風采の厳めしい天狗が座っております。

おそらく、高尾山の天狗のお頭なのでしょう。

その少し下がった位置に座っていた老天狗が、わたくしたちに命じました。

「座れ」

さっき「通せ」と言ったのは、この天狗ですね。

どかりとお頭の前に太郎坊が座りましたので、その後ろにちんまりと座りました。

「富士山の太郎坊が挨拶とは珍しい。どこへ行く? 戦闘したそうだが、どういうことだ?」

ずけずけと尋ねるのも天狗流なのでしょうか? 

とまどっているわたくしの前で、太郎坊が応じました。

「おう。貴様らの領分に立ち入るつもりはなかったが、待ち伏せしていた敵と交戦してまぎれこんだまでよ。それゆえ挨拶に立ち寄った。このウサギ神は、シロナガミミノミコトといって、因幡のウサギ神。この神を鹿島神宮まで送る途中だ。それを邪魔する連中との戦いよ」

わたくしは丁寧に頭を下げました。

「初めてお目にかかります、シロナガミミノミコトと申します」

高尾山の天狗のお頭は、ぐいと胸を張りました。

「飯綱三郎だ。もとは信州の飯綱山に住んでいたが、この高尾山に飯綱権現いづなごんげんが招かれた際に共に来て住み処としている。因幡の神が、なぜ鹿島へ行く? 敵とはどんな連中だ?」

「面倒な事態になっている。心して聞け」

わたくしが答える前に、富士山の天狗は鹿島へ向かう理由を語りました。

話が進むにつれて、だんだん周囲の天狗達の雰囲気が変わってゆきます。

太郎坊の話が終わるやいなや、天狗達がざわめきだしました。

「静まれ」

さっきの老天狗が怒鳴ったので、しんとなりました。

飯綱三郎天狗は、まじまじとわたくしを見つめました。

「つまり、鹿島神宮で異変が起きていて、おまえがそれに関係しているというのだな? 敵の正体は不明だが、タケミカヅチノカミ(武甕槌神)とおまえを会わせまいとして待ち伏せたということか」

「どうもそのようです。さっぱり理由がわかりませんが……」

わたくしは、困り切って答えました。

「その敵とやらの言い分では、おまえの力を望んでいるようだが?」

飯綱三郎が興味を持ったようですが、こちらとしては途方に暮れるしかありません。

「わたくしは縁結びと皮膚病とフサフサに御利益を与えるだけの神ですし、はて?」

「フサフサ?」

さっきの老天狗が身を乗り出して、熱い視線を向けております。

すっかり白髪になっているだけではなく、かなり毛の量も乏しくなっているようです。

なるほど気持ちはわかります。

わたくしのご利益は魅力的ですよね。

「ふーむ。確かに何が何だか、わからん話だ」

飯綱三郎は考え込んでおります。

はい、あなたはフサフサですから、わたくしの出る幕はございません。

富士山太郎坊が、尊大に尋ねました。

「この辺りでは異変はないのか?」

飯綱三郎は、首を横に振ります。

「ない。いや、ここで異変が起きるときは、日の本ひのもと中が大混乱になっておろう。この高尾山は、富士山から江戸にかけて龍脈の走る場所にある。もっとも強い正の〝気〟に守られた土地よ」

「だが、その源である富士山でわずかとはいえ悪気が感じられたのだ。龍脈上でも何が起こるかわからんぞ」

高尾山の天狗達は、腕組みをして考え込んでおります。

天狗のことゆえ「貴様らと一緒にするな」などと笑い飛ばすのかと思っておりましたが、皆さん深刻なご様子です。

「これが他の土地ならば気にもかけんが……富士の山だからな……」

飯綱三郎は、老天狗の方を見ました。

「おじじ、どう思う?」

老天狗はフサフサのことは一時棚上げしたらしく、もったいぶった口調で答えました。

「とにもかくにも鹿島神宮で何が起こっているのかがわからぬかぎり、どうすることもできまいて」

高尾山の天狗達が、一斉にうなずきます。

飯綱三郎が、富士山太郎坊に向き直りました。

「おまえたちは、鹿島へ行くのだな?」

「おうよ」

富士山太郎坊が、横柄に答えます。

高尾山の天狗の首領が、両腕を組んで考え込むような格好をしました。

「さっき現れた気配……相当な連中よ。おまえたちの気配は徐々に近づいてきたが、奴らは急に現れた。おまえたちの話から察するに空間を歪めて出入りしているのだろう。太郎坊よ、おまえ一人で、そのウサギ神を鹿島へ送れるのか?」

「当然よ……と言いたいところだが、さっきの連中の力を思えば難しかろう。だが、シロナガミミノミコトが持つオオクニヌシノミコトから賜った剣とオオモノヌシノカミの呪力を込めた書物があれば、何とかなりそうだ」

あらまあ、珍しく謙虚です。

でも、さっきの戦いから考えれば、うそぶくのは難しいですよね。

老天狗が、咳払いをしました。

「他の一族のことには関わらんのが我らの掟だが、今度ばかりは見過ごせぬ。何しろ富士の山になんぞあれば、この地を走る龍脈そのものが打撃を受ける。そうなれば何が起こるかわからん。だが……」

「我ら一族は仏教に帰依し、仏の教えを守る者。いかにこの国の神とはいえ、仏と結縁けちえんしていない者を助けるわけにはいかん」

飯綱三郎が重々しく告げます。

富士山太郎坊が肩をすくめました。

「わかっている、最初からあてにしておらんわ」

天狗達のやりとりを聞いていて、はっとしました。

「あの〜、飯綱三郎さん、ちょっとお訊きしたいんですけれど……」

わたくしがおずおずと口を開いたので、高尾山のお頭天狗はこちらを見ました。

「何だ?」

「結縁というのは、仏と直接しなければならないのでしょうか?」

「どういう意味だ?」

「仏と直接ではなく、仏や人々を守る神と結縁しても有効なのでしょうか?」

わたくしの問いに、老天狗が額に縦皺を寄せました。

「当然だ。護法神との結縁も仏との結縁となる。それがどうした?」

わたくしは座ったまま膝で前へ出て太郎坊に並び、飯綱三郎を真っ直ぐに見ました。

「わたくし、結縁しております。仏ではなく、仏を守る神と……」

「何だと? でたらめを言うと承知しないぞ!」

高尾山の天狗の首領の顔がみるみるうちにこわばり、わたくしを睨みつけます。

周囲の天狗達も、怒ったような表情になりました。

富士山太郎坊が、あわてたようにわたくしの袖を引きます。

それでも、わたくしは正面から飯綱三郎を見つめました。

「ならば、どの護法神と結縁したんだ?」

飯綱三郎の怒気を含んだ問いかけも、少しも恐ろしくありませんでした。

目の前に、かつて出会った金色の鎧冑をまとい、先が三つに分かれた槍のような武器を持った端整な神の姿が浮かんでいたのです。

わたくしは、静かに答えました。

「毘沙門天です」




天狗達がざわめきました。

老天狗は呆気にとられたようにわたくしを凝視し、飯綱三郎も、なぜか横にいる富士山太郎坊も仰天しております。

なぜそんなに驚いているのか、さっぱりわかりません。

ややあって、飯綱三郎が高笑いしました。

「よりにもよって多聞天たもんてんと結縁だと? 嘘も大概にせよ」

「多聞天ではございません。毘沙門天です」

どう聞き違えたらそうなるのでしょう?

首を傾げるわたくしに、老天狗があざけるように怒鳴りました。

「多聞天とは毘沙門天の別名よ。そんなことも知らんのか?」

「なるほど、そうでしたか。わたくしは、毘沙門天のお名前しかうかがっておりませなんだ。もう一つお名前があったのですね」

感心しているわたくしを、飯綱三郎が恐い顔で睨みました。

「ウサギ神、苦し紛れの偽りならすぐに訂正しろ。よりにもよって毘沙門天と結縁したなどとほざくなら、仏法を守護する我らは見逃すことはできん」

「嘘など申しません」

きっぱりと言い返し、わたくし達は無言で睨み合っておりましたが、天狗の一人が叫びました。

「それなら、直接、多聞天に伺えばよかろう」

「なるほど、それなら確かだな」

老天狗もうなずきます。

高尾山の天狗達は決定を促すように、飯綱三郎を見ました。

「ウサギ神よ、偽りならば、おまえは鹿島へ行くことなく、この場で地獄行きだ。神仏を侮った罪は重いぞ」

「けっこうです」

高尾山の天狗達が一斉に西を向きました。

板壁に向かっております。

わたくしも太郎坊と一緒に、同じ方角に向き直りました。

飯綱三郎が手を合わせると、他の天狗達も一斉に手を合わせます。

そして呼吸を整え、高尾山の天狗達が何かを唱え始めました。

不思議な呪文です。

なんだかとても心がほんわかしてきます。

後で知ったのですが、これは『金光明最勝王経こんこうみょうさいしょうおうきょう』という毘沙門天を含む四護法神に関係深い御経でした。

横にいた太郎坊が、わたくしにささやきました。

「謝るなら今のうちだぞ」

「何を謝るんですか?」

「毘沙門天は、護法の神の中でも指折りの戦神ぞ。面識のないこのわしですら知っておるわ。よりにもよってその名を出すとは正気か?」

「だって、本当に結縁したんですから」

太郎坊はふんと鼻を鳴らしました。

「どうなっても、わしは知らんぞ」

誰も信じてくれないようです。

どうやら護法神の中でも、非常に高名な方と知り合ったのですね。

朗々と続く読経を聞きながら、胸の中に小さな疑問が浮かびました。

(そんなに高名な護法神ならば、ちっちゃなウサギ神のことなど忘れておいでなのではないでしょうか? いつか因幡に行こうとおっしゃったけれど、今に至るまでおいでになられないし……お忙しいのかな〜と思っていましたが、もうわたくしのことも約束のことも覚えておられないのかもしれません)

きゅんと胸が痛みました。

天狗達にどんな目にあわせられるのかという恐れではなく、毘沙門天に忘れられているかもしれないという寂しさと悲しさの方が、強くわたくしにのしかかっております。

不安と悲痛でうつむいているうちに、ピタリと読経が終わりました。

部屋の中が深閑としております。

天狗達もわたくしも無言で座っておりました。

それほど長い時間はたっていなかったと思います。

音も無く目の前に稲妻のような光が現れ、その光は金色の鎧冑をまとい三つ叉の槍のような武器を持った端整な神の姿になりました。

かつて会った時と、全く同じお姿です。

嬉しさと懐かしさでうるっとしてしまったものの、『忘れられているのかも』という不安で喉が詰まり何も言えませんでした。

毘沙門天のお姿を見て、天狗達は一斉にひれ伏しました。

なぜか太郎坊も一緒に伏しております。

そのため、わたくしだけがちょこんと座ったまま、毘沙門天と目が合ってしまいました。

こちらからご挨拶を口にするより早く、毘沙門天はわたくしに気づかれてにっこりされました。

「シロナガミミノミコトではないか? なぜここに? 元気そうだな」

「毘沙門天もお変わりなく、何よりでございます」

覚えていてくださった! 

わたくしはうるっとしつつも、にこにこしてしまいました。

顔を上げた天狗達が、驚いたように毘沙門天とわたくしを見比べております。

「あ、あの……本当にこのウサギ神と結縁を?」

飯綱三郎がさっきまでの尊大さはどこへやら、恐る恐る毘沙門天に尋ねました。

護法の神は、じろりと高尾山の天狗をご覧になりました。

「おまえたち天狗が外道げどうであった頃から、シロナガミミノミコトは俺と結縁している。それを確かめるために呼んだのか?」

天狗達が答えに窮しているようなので、わたくしは助け船を出しました。

「いろいろとわからない事態になっておりまして、飯綱三郎さんはあなたにお助けいただきたいと思って呼んでくださったのです。お忙しいところを、申し訳ございませんが」

わたくしの弁明をお聞きになった毘沙門天が、はっとしたようにどこかをご覧になりました。

その視線の先は、おそらく鹿島の方だと見当がつきます。

毘沙門天の顔がみるみるうちに険しくなられ、高尾山の天狗達に視線を戻されました。

「たわけが! このような事態になるまで、なぜ放っておいた! それで高尾山や修行者を守護しているなどと、どの口でほざく!」

決して大声ではございません。

静かな叱責でございます。

それは天狗達に向けられたもので、わたくしは除外されておりましたから、そのままおとなしく座っておりました。

しかし天狗達にはそのお怒りはひどく怖ろしく、身体どころか魂までが震えるほどだろうなという感じがしました。

「も、申し訳ございません」

高尾山の天狗達が、がばりとひれ伏します。

なぜか太郎坊まで……。

毘沙門天が歩き始めました。

周囲の天狗達があわてて退き、場所を開けます。

わたくしの前にいらして、すっとお座りになりましたので、静かに申し上げました。

「どうぞ天狗さん達をお叱りにならないでください。あなたには、鹿島神宮で起きているこんがらがった事情がおわかりなのですね? でも天狗さん達だけではなく、この国の古くからの神々にも、もちろん、わたくしにもわからないのです」

毘沙門天が微笑んでおられます。

「少しも変わらぬな、おまえは」

「はあ……進歩がなくて、すみません」

恐縮してしまったわたくしに、毘沙門天はお優しい態度のままです。

「そういう意味ではない。最初に出会った時も今も、心根の優しい神だという意味だ」

「とんでもございません。わたくし、ただのウサギ神ですから……このたびの事も何がどうなっているのかさっぱりわかりませんし」

毘沙門天は真顔になられて、わたくしをご覧になりました。

「何がきっかけでここまで来ることになった? 詳しく話してくれ」

そこで白兎神社に鹿島からの遣いが来たことから始まり、高尾山に来るまでの事情をできるだけ詳しくお話ししました。

ひととおり話し終えてから、少しためらいはありましたが付け加えました。

「今、高天原も根の堅州国ねのかたすくにも混乱し、この国も目につかないところでたいへんなことになっているようです。そんな時にどうかとは思いますが、二度も助けてくれた遣いの男のことが気になるのです。もちろんこの異変を解決するのが最優先ですが、もしあの男が嫌々ながら敵に使われ苦しい立場にいるのであれば、何としても助けたいのでございます。そのためには一刻も早くタケミナカタノカミ(建御名方神)やイザナミノミコト(伊耶那美命)の領巾の化身である鳥さんと合流して、鹿島神宮へ参りたいと存じます。お力をお貸し願えませんか?」

深々と頭を下げるわたくしの肩に力強いものを感じました。

毘沙門天が手の甲や掌までも覆っている鎧の手で、ウサギの小さな肩に触れておいでです。

「おまえの思いは確かに受け取った。この度の事態、日の本中の神々が総力を上げて解決することになろう。おまえが気にしている遣いの男のことも、すぐにわかろう。今回の騒動は、残念ながらこの国の古くからの神であるからこそ、おまえたちにはわからなかったのだ。だが、今はその話をしている時間が無い。一刻も早く惨事が起こるのを食い止めねばならん。そのためにはまず、おまえが鹿島神宮のあるじである武神と会わねばならぬ。おまえの力を待ちわびている。俺も共に鹿島へ行こう」

静かな力強い毘沙門天のお言葉に、安堵の息をつきました。

「ありがとうございます。あなたがご一緒してくださるなら、心強うございます。お教えくださいませ。いったい鹿島神宮で何が起きているのですか? なぜ、わたくしは呼ばれたのですか?」

毘沙門天は、少し困ったような表情になられました。

「今ここで話すわけにはいかないのだ。教えれば、おまえの中に潜む力が、言霊ことだまによって発動してしまうおそれがある。おまえは自分がどこからどのような力を持ち帰ったのか全く気づいてはいないだろうが、それが幸いして悲劇を遅らせているのだ。知りたいだろうが、鹿島で武神と会うまで待ってほしい」

わたくしは、うなずきました。

「わかりました。あなたがそうおっしゃるならば、お言葉通りにいたしましょう」

ほっとしたような表情になられ、毘沙門天は富士山太郎坊の方をご覧になりました。

「おまえが富士の天狗だな。すぐに戻り、富士山の主の女神や周囲の土地を守る神々に伝えよ。まもなく大異変が起こるゆえ、心して準備せよと」

太郎坊が目をまん丸にしております。

もちろん飯綱三郎と高尾山の天狗達もです。

今度は飯綱三郎の方をご覧になりました。

「おまえたちは、龍脈上にある寺や神社に知らせ、その地を守る神々に伝えよ。決して守護する土地から離れず、己の力の及ぶ最大限の力で異変に備えよ、とな」

高尾山の天狗達が一斉に頭を下げます。

それを見ながら、わたくしはため息をついてしまいました。

「あなたは、やはりとてつもない力をお持ちの大神様なのですね、毘沙門天。この国をお造りになったオオクニヌシノミコトでさえわからない事態を、こうもあっさりと読み解いておしまいになるのですから」

感心しているわたくしに、毘沙門天は静かにおっしゃいました。

「オオクニヌシノミコトは知っているよ。最初から何もかも。いや、これほどまでの大事になる以前から、こうなることに気づいていたはずだ」

「ええ〜! そんな〜。だって、根の国から問い合わせに来た鳥さんに『わからないね〜』って、おっしゃったんですよ」

毘沙門天は、なだめるようにお答えになりました。

「オオクニヌシノミコトはこの国の基を造った神だが、すでに引退している。さらに理由があって、自分が関わってはならないと知っているのだ。あの神が出てくれば、この事態はさらに深刻になり、生き物だけではなく国土そのものが一瞬で消滅しかねないからな」

「ふえ〜」

思わず悲鳴を上げてしまったわたくしに、毘沙門天は小さく微笑まれました。

「出雲大社に座す大神は聡明な、そして偉大な神よ。何が起き、どのような事態になるのかを知りつつも、静かに見守り後を託した者達が必ず乗り切ると信じているのだ。おまえたちに期待し、できるだけ事態を悪化させないように己の身を慎み、自分の手で助けてやれぬ苛立ちも悲しみも己一人の中に抱え、事態の収拾を待っている。慈しんできた国や民、神々の苦境を、ただ見守り待つことしかできぬのがどれほど苦痛なのか、おまえならばわかるだろう、シロナガミミノミコト?」

わたくしの目の前に、おっとりと笑うオオクニヌシノミコトのお姿が浮かびました。

そうです、あのお方は何を置いてもこの国や生き物を守り、生かすことを最優先にお考えなのです。

国譲りの時も、本来ならばご自分の支配権を奪いに来た相手と戦ってしかるべきなのに、国や民や神々のことをお考えになって穏やかに譲られ、今は縁結びや神々の相談に乗り、静かに隠居生活をしておいでです。

誰も恨まず、ただこの国の行く末と幸せを願っておいでなのです。

そういう大神様だからこそ、全国の神々がお慕いし、毎年出雲大社へと伺うのです。

理由はわかりませんが、この事態に関わってはならないがゆえに、あえて知らないふりをしておいでならば、そのお心はいかばかりでしょう。

きっと、この国のどの神よりも沈痛な思いでいらっしゃるはずです。

わたくしは、ぐいと頭を上げて、毘沙門天を見上げました。

「鹿島神宮へ参りましょう。オオクニヌシノミコトとこの国のために、一刻も早く事態を収拾いたしましょう。誰もが穏やかに暮らせるよう、できることは何でもいたします」

毘沙門天はうなずかれ、立ち上がられました。

わたくしもすぐに立ち上がりました。

「まず〝神の道〟で立ち往生している諏訪の武神と神気の強い鳥を迎えに行く。彼らにも鹿島神宮で手伝ってもらおう」

「ま、まだ、戦闘中なのですか?」

あのタケミナカタノカミと鳥を相手にここまで戦闘を長引かせるとは、いったいどれほど強い相手なのでしょう。

思わずこぶしに力を込めるわたくしに、毘沙門天は苦笑いなさいました。

「戦闘はとっくに終わっている。襲いかかった敵は全く歯が立たずに逃げ去った。だが、空間を歪めて道筋をめちゃめちゃにしておいたんだ。ちょうど出口の無い迷路の中を歩き回っているような状態なのさ」

「あらま……それじゃ、どうやってその迷路に入るのですか? いえ、入っちゃったら、わたくしたちも出られないのでは……あ、そっか、あなたには出口がわかるんですね」

すると、毘沙門天はあっさりおっしゃいました。

「彼らがどの辺りにいるのかはわかるが、迷路の出入り口は無い」

「ふへ! じゃ、じゃ、じゃ、どうやってタケミナカタノカミと鳥さんを……」

あわてるわたくしに、毘沙門天は愉快そうにお笑いになりました。

「出入り口が無いならば、迷路そのものを外からたたき壊せばよかろう」

お顔に似ず乱暴なことをおっしゃってから、右手にお持ちの武器で空間をはらわれました。

すると、ぱっくりと開き、〝神の道〟が見えました。

「行くぞ、シロナガミミノミコト」

「は、はい」

わたくしは富士山太郎坊と飯綱三郎、高尾山の天狗達にお辞儀をしました。

「太郎坊さん、ありがとうございました。どうぞイワナガヒメとコノハナノサクヤビメによろしくお伝えください。それから飯綱三郎さん、毘沙門天を呼んでくださって、ありがとうございます。高尾山の天狗の皆さんもどうぞお元気で」

そして空間の切れ目にお入りになった毘沙門天を追って、あわてて入り込みました。

振り向くと、合掌している天狗達の姿が見えました。

すぐさま裂け目は閉ざされ、普段と変わらない〝神の道〟の風景が広がっております。

「この辺りは大丈夫なのですね」

少しほっとしましたが、毘沙門天が武器を振り上げられました。

「いや、小細工をされている」

武器が振り下ろされました。

すると目の前の風景が粉砕され、また〝神の道〟が見えます。

「あらま」

ぽかんと口を開けるわたくしに、毘沙門天がおっしゃいました。

「ここが本物の道だ。だが、あちこちに仕掛けをしてある。俺から離れるな」

「は、はい」

わたくしは毘沙門天にぴったりくっついて、歩き出しました。

毘沙門天とタケミナカタノカミと鳥さんと共に鹿島神宮へ!

(何があるのかわかりませんが、きっと大丈夫。必ず事態を収拾しましょう)

わたくしは胸に固い決意を秘めて、護法の神と共に新たな出発をしたのです。

〝神の道〟を、ウサギの歩幅に合わせてくださっているらしくゆったり歩いておいでの毘沙門天のお側を、ちょこちょことついて行きました。

時折、お持ちの武器を大きく振るわれますと、目の前の風景が粉みじんになって消し飛び、また新たな景色が見えます。

わたくしには同じように見えるのですが、毘沙門天には敵が仕掛けたまやかしの風景と本物の〝神の道〟の風景の違いがおわかりのようです。

感心しつつ歩いているうちに、毘沙門天がおっしゃいました。

「聞きたいことがあるなら、言ってみろ。答えられることならば、教えよう」

どうやら、わたくしが悶々としていることに気づいておられたようです。

「はい、それではお言葉に甘えまして……あの遣いの男は、なぜ、わたくしを助けてくれたのでしょうか?」

振り向かれることなく、毘沙門天がおっしゃいました。

「もし、今度敵に襲われたときにあの男がいたならば、またおまえを助けようとするだろう。その後はどうするのか、わからないが」

「え?」

驚くわたくしにおかまいなく、毘沙門天は続けられました。

「物事は因果の法則で成り立っている。原因があり結果がある。おまえがある原因を作り、その結果としてあの男は三度おまえを助けようとしているのだ」

「ちょっと待ってください。三度も助けてもらえるようなことをした覚えはありませんよ。一度しか会ったことがないんですから……それとも、わたくしが忘れているだけで、昔、どこかで会っているのでしょうか?」


 つづく

次回はいよいよ鹿島神宮へ。

謎がさらに混迷します。


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