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親に愛されなかった私と飼主に愛されなかった白兎が家族になった話

人生一寸先は闇。
まったく予想が付かない。
私はうさぎを飼いたいなどと思ったことはなかった。
動物は好きだが、今の住居や諸々の状況では無理だ。
もし一軒家を持つことができたら、犬、猫、うさぎを1匹ずつ飼ってみたいなという夢を見ることはあったが、現実には実現不可能だ。
それでも飼うとするなら、猫だろうと想像していたのだが、やってきたのはウサギだった。
これには奇妙ないきさつがある。
すべては白兎神社への御礼参りから始まった。
2018年に、私は初めて鳥取県へ行き、白兎神社へ参拝した。
その数年前にKindleで『ウサギ神奮戦記』『ウサギ神漫遊記』『ウサギ神交遊記』(現在、加筆のために下ろしている)を出していたため、因幡の白兎=現在の白兎神社の御祭神を主人公にしている以上、一度は御礼参りに行きたいと考えていた。
2017年には入院中の母が死去、2018年に思い切って参拝し、東京へ戻ってからは、やたらにうさぎと御縁ができてしまった。
このあたりは割愛するが、昨年の2月末、古い知人が愛犬を連れて公園を散歩していたら、なぜか赤い目の白兎がいて、しかもウサギの方から知人の方へ走り寄ってきたのだった。
驚いた知人は、急いで応援に家人を呼び、ウサギを保護。
そのお宅に一ヶ月保護された後で、白兎は我が家へ来ることになった。
この公園は、とうていウサギが自力で入れるような場所ではなく、しかもろくに餌をもらっていなかったらしく痩せ細り、おまけにケージに閉じ込められっぱなしで足の筋肉もあまりついていないという状態だった。
元の飼い主に可愛がられてこなかったのは、この子の身体に残った痕跡から明らかだった。

それでも明るく元気な子で、拾われた家で「ましろ」「おもち」という二つの候補から、「おもち」と名付けられた。
私が引き取ることになったとき、「ましろも捨てがたい」と悩んでいたら、これもウサギつながりで通うことになった喫茶店のマスターに「名字と名前にしては?」と提案され、「ましろおもち」となった。
ちなみに如月というミドルネームは、昨年秋頃に「もし私が最初に拾っていたら、2月にちなんで如月にしていたわ」と喫茶店で話し、マスターに「ミドルネームにしては?」と提案され、現在ではフルネームは「ましろ如月おもち」になっている。
もっともフルネームで呼ばれることはなく、いろいろな人から「ましろちゃん」「おもちちゃん」の他、各種ニックネームで呼ばれている。
このうさぎ、女の子なのだが、とにかく元気印の暴れウサギで、ケージの中におさまっている姿は「牢名主」。
おまけに、体当たり、鼻先をフェンスの下に入れてガガガと持ち上げる、初めての健康診断の帰りに立ち寄った件の喫茶店では爆睡する(普通のウサギは警戒して落ち着かない)などなどから、さらについたあだ名が「ブルドーザーうさぎ」「姐さん(ねえさん、あねさん、両方呼ばれる)」「爆烈うさぎ」。
初めてウサギを飼ううえ、昨年は気象病でもともとの低血圧がさらに下がり、上は98、下は48という状態の私には、この元気印ウサギと始めた暮らしはかなりたいへんなものだった。
ウサギつながりの喫茶店のマスター夫妻が、元ウサ飼い数十年の大ベテランだったこと、これも不思議なことに昔からウサギを診ている動物病院が行きやすい場所にあったことなどが幸いして慣れることができたが、そうでなければこちらがおかしくなりそうなほど、たいへんなウサギだったのだ。
とうていウサギらしからぬことはやらかし、マスター夫妻に「玄人好み」と言われるほど、ウサギの飼育書レベルでは対応できない子だったのだ。

それでも、なぜか「この子は私の家族になるために来たんだ」という思いが、最初からしていた。
暴れウサギだが、野生児ではなく、頭の良い子だ。
その後、避妊手術を終え、さらにもう捨てられることなく、ここは自分の家だと自覚したこともあって、最初のようなめちゃめちゃな暴れ方はしなくなった。
来た当初は、この子なりに自分の居場所を作ろうと必死だったのだと思う。
そして私も元の飼い主に愛されず捨てられたウサギに、親に愛されなかった自分の姿を重ねていたのかもしれない。
今もわからないことだらけだが、このウサギを幸せにしたいなと思っている。
一緒に暮らすうちに、この子が長年わからなかった「どうして毒親を捨てずに介護をしているのか? 愛情はもちろん世間体も何も枯れ果てているのに、どうして親を見捨てられないのか?」という疑問に答えをくれた。これも単純な話ではないので、そのうちに小説にするが。

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なぜかこの子は、私の周囲の人々を楽しませ、幸せにしている。

Twitterやインスタやブログでは、「白兎アーティスト、マシロン・オモッティ女史」「歌舞伎役者、屋号は宇佐義屋、芸名は真白御餅」などの記事で、いろいろな人を楽しませている。そして、このウサギもまた行きつけの喫茶店の常連さんや私の友人知人に可愛がられ、愛されている。

知人の中には「白兎神社から使わされたお遣いではないか?」と冗談半分本気半分で言う人もいるが、案外そうなのかもしれない。

とはいえ、今日もいたずらに精を出すウサギをつかまえて「ましろちゃん! 危ないでしょ、ダメ!」と言う飼い主の私から見れば、神の遣いなどという畏れ多い存在ではなく、小さなもふもふ家族にすぎない。

親に愛されなかった還暦近い人間と、最初の飼い主に愛されなかった白兎との生活は、シリアスというよりもコメディタッチなものだ。

おいおいnoteでも紹介していこう。

余談だが、白兎神社にお詣りに行くきっかけになった小説がこちら。

AmazonのKindleでは電子書籍版が、BOOTHではオンデマンド本として出している。

『ウサギ神奮戦記』

https://booth.pm/ja/items/2070782

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『ウサギ神漫遊記』

https://booth.pm/ja/items/2127357

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泣いても笑っても、この人生は一度きり。

苦労も我慢も嫌と言うほどしてきたのだから、この先は楽しんで生きていきたいものだ。





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