#自己肯定感
自己肯定感が低いままでも、つよくなった理由。
『月刊 自己肯定感』というマガジンをつくっているので、いつもなんとなく自己肯定感について考えている。
このマガジンをはじめた理由のひとつに、一緒に書いているDr.ゆうすけくんに「サクちゃんは、もともと育った環境もよくないし、自己肯定感が低い要素が山もりなのに、どうやって今みたいな考え方ができるようになったの?」と聞かれて、「それ、後天的に自己肯定感は育つっていう希望の光だからな!」と言ってくれた
「デキるヤツがうつになりやすい」という話(じぶんのタイプを知る)
生きづらさを脱却するのに、「まず自分のタイプを知ろう!」という話を前回しましたね。
で、これからタイプをいろいろ紹介していくんだけど、実際に患者さんや友人たちと話ししてて話題にすることが多いやつを挙げていくので、まったくMECEではないことを宣言しておきます。
(「MECEじゃないと気持ち悪い」ってひとがいたら、もっと肩の力を抜いたらいいよ。)
「あ、これわたし当てはまるかも」みたいなのがあ
「死にたいけど、生きたい」 〜あなたを内側から攻撃する声の正体〜
しわーす(12月の挨拶)
年の瀬だね。
今年ももう10日近くだとおもうと、信じられない。
今年は、ほんとうに色んなことがあって、とにかく感情の起伏が激しくて、我ながら「なんて1年だったんだろう」とおもうよ。(遠い目)
noteをはじめてもうすぐ1年になるな。
今年は、大切なひとたちの人生の劇的な変化に、擦り切れそうな勢いで関わりきることができたな(笑)
そこは、素直にじぶんを褒めてあげたい。
「まったり死にたい勢」のこと
「まったり死にたい勢」とでも言うべきひとたちがいる。
べたっとした、うっすらのびてこびりつくような、死にたさ。
じぶんは人間としてどこか欠けている、という虚無感。
痛いし面倒だから積極的には死にたくないけど、あした目覚めなければ楽でいいのにな。
そういう気持ちを思春期くらいからずっと抱えているひとが。
「生きるのがただひたすらめんどい」
「人生は基本的にイヤなことの連続で、楽しめるなんておも
じぶんの"want"の見つけ方 (じぶんの感情がわからないひとは、スターを集めようという話)
これは、「月刊・自己肯定感」のほうに入れようとおもったんだけど、ここ最近、ぼくの身の回りにこの「じぶんの本当の感情がわからない」問題に悩まされているひとがあまりにも多くて、みんなに読んでもらいたいから通常noteに書くことにしたよ。
「感じたとおり、感じよう」というノートにも書いたけど、自己肯定感を再構築するには、じぶんの本来の感情をとりもどすこと、ってはなしをマガジンでずーっとしている。
で
「自己肯定感」的な人間関係をつくる(エピローグ)
きょうはエピローグ的なはなし。
「自己肯定感」というのは、自分の生き方が楽になるためのガイドとして使っていければいいよね、というまとめ話をこないだしたんだけど、そうした感覚というのは基本的に「他人とのつながり」の中で得られるものである、ということについて、もうちょっと考えたいのですね。
要は、「安心できるつながり」を得るということなんだけど、それはどうしたらいいんだろうねってのを、いま時点での