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ひとりだけでいい

ひとりだけでいいから心を許し、素の自分でいられて、安心できる存在がほしい。

きっと、僕にとって、そう思える存在はひとりもいない。
仲のいいと思えるひとはいるけど、いつもどこかで相手の気分を損ねてしまわないか顔色をうかがいながら、接している。きっとそれは、心から安心できる存在ではないと思う。
ひとと関わるときは、相手を不快な気持ちにさせてしまわないか、この話題を出してはいけないのか、このような状態の自分を見せてはいけない、相手は笑っているけど本心では(僕にとって)悪いことを考えている、など思ってしまい完全に緊張感がない状態でいられない。
だからと言って、ひとりきりのときに安心や心地よさを感じられるのかと言えば違う。
ひとりになると、ふたつの意味でさみしくなってしまう。ひとつは、ひとりでいることが純粋にさみしい。ふたつめは、誰かといて相手と自分の間に自然と反射的に作ってしまう壁の存在がさみしい。壁とは、先ほど書いたような緊張感の原因となることだ。
誰かといても安心できる状態になれないのなら、緊張感を全く感じない状態になれないのなら、それは孤独なことだと思う。

家族、友人、そのほか、誰ひとりとして僕は自分の本来ありたい姿で、いちばん緊張感をかんじない接し方で、相手と関わることができない。
誰かが悪いわけではない。ただ、そういう関わり方や接し方をすることができない僕自身が悪い。
何が怖いのだろう。何が怖くて、相手の顔色を伺い続け、偽りの自分で居続けるのだろう。

そして、そんな生き方しかできない僕に生きる意味などあるのだろうかと思ってしまう。
本当の自分を誰にも見せられないなんて、存在していないのと同じなのかもしれない。





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