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026 死にたいわけじゃないのに死にたい

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幼い頃から考えてみても、私は自分のことが好きだったわけではない。しかし決して嫌いで嫌いで自分を許せないほどでもなかった。けれどこの自称鬱状態というものになった日からは、私という人間をとにかく否定したい思考に囚われてしまった。少なからず休職という事実がそれを後押ししていた。働かずに給料をもらう。休んで生活する。とんでもない罪に思えた。(それでも休まずにいられたとも思えない。)
それは日に日に増した。初めは自分は弱い人間だと思う程度だったのに、徐々にこの世から居なくなった方がマシな存在だと思うようになった。こいつはたまに減ったりするのに、次の日には2倍くらいになったりもして私の脳内を暴れまくっていた。死にたい、死にたいわけじゃない、生きたくない、もう考えたくない、死にたいわけじゃないのに死にたい、もういっそ殺してくれ。考える時間は腐るほどあったが、考えられるような脳みそのキャパはなかった。だから意味のないことをぐるぐると考えていた。
今思い返せば、ではあるが(当時は今思う違和感は全て違和感でなく、自分は正常な身体でただ堪え性がないのだと思っていた。堪え性は今もないが、あの頃の私の体はあちこち異常だった。)脳がうまく働いていない感じがする。回線がどこかで切れていてうまく電気が通らない感覚。考えても、考えても、なににも辿りつかない。1→2→3(ゴール)と考えられていたことが1→1→1…となったり1→18→6…となったりする。脳みそのバグ。こう考えてみるとうつは頭の病気だと言われてもしっくりくる。
まあ、そう言った感じで、繰り返し答えも出せずに同じことを考え続けられる脳みそも、いくらでも自分を責める時間もあったおかげで、とにかく毎日希死念慮が私の身体中でどたばたしていた。ちなみにこいつが情緒を安定させるまでに発症から5年はかかった。

そんな、自己嫌悪の波に日々飲まれながらも「まるで変わりないですよ」といった素振りで当時も一人暮らしを続けていた。暮らしているというよりはほとんど引きこもっていた。無能で恥ずかしい自分を人目に晒さないよう隠して、隠れようとしていた。こんなこともまともにできないのかと思いながら、ご飯を食べなかったりお風呂に入らなかったりした。人に寄るだろうとは思うが、鬱状態のときはお風呂に入るということがとんでもなく重労働で、今なら『汗でべとついたまま布団に触れたくない』と思うけれど当時は衛生面なんてクソほどどうでもよかった。なにもしたくなかった。なにもできるはずがないと思った。なにもしない方がマシな気がした。公言してしないので普段と変わらずランチだとか飲み会だとかに誘ってくれる友人はいて、公言する気はさらさらないまま普段と変わらない顔で参加した。最近どう?なんて会話になんとなく話を合わせては、楽しいはずの時間を愛想笑いで過ごした。皮肉にも愛想笑いは得意だった。この間も親には言えないままである。
言えない言えないと書いているが、家族関係は良好な方である、と思う。何もかもを打ち明けることが良好な家族関係と言うのならば、先に書いたことは一切思い違いということになるが、私は家族が好きであるし家族から愛されていると感じることも多いのでやはり良好な方だと思う。家族だからこそ当たりが強くなったり連絡を返し忘れたり近況の嘘を吐くことが苦しかった。けれどそんなことよりも知られたくなかった。親にダメな子だと思われたくもなかった。好きだから。(まだ私の内面が幼いだけなのか、親の前ではいつまでも幼いものなのか、分からない。きっと私の親への感情は少しだけ歪んでいるから正しさは分からないけれど、それで不幸だと思っていないから別に良かった。この部分は鬱の話に関わってはいそうだけれど、大きく逸れそうなのでこれ以上は割愛する。)

だがその日は突然やってくる。
四六時中家に居るのだからいつかはバレることになったのだろう。想像力の欠如。ただ、当たり前のことだった。娘が仕事の隙に部屋の掃除でもしてやろうかなとやってきた母と、ちょうど心の中で希死念慮がオリンピック並に発熱しておりボロボロと泣いていた私が鉢合わせ、驚きで初めて出したような声の母に呼ばれる私の名前に余計涙が止まらなくなった。内心酷く困っていた。バレてしまったことも、涙が止まらないことも、母を見て心底安心したことにも。
母は元々は医療系で働いていたこともあり、理解は早かった。とにかく休むことに専念させようとし、他の人に言いたくない娘の意思を尊重してくれた。父にくらいは話した方がいいとお互いに感じていたが、私が言葉にするのは苦しく母に託した。(父は精神的な病気への理解があまりない。ただ、娘のことは大切なので当時も今も責めるようなことを本人には言わないし、休職やその後の退職について口を出すようなこともなかった。あ、再就職先については少しだけ揉めた。)
こうして職場、父、母、元彼、元彼が勝手に話した友人だけが私の状態を知っていることになった。(元彼よ、愛があればこういう対応になる筈なのだ。見ていないだろうが分かったか。)

私が鬱状態だったことはこの先誰にもバレなかった、と思う。思いたい。(知っていて黙ってくれている友もいるかもしれない。ありがたい。)自分から誰かに当時のことを話したりはしないし、今後もそのつもりがない。恥ずかしいというよりは、知る必要がないと思っている。気を遣わせてしまうかも、なんて優しい感情ではなくて、単純に不必要な情報だと思うから。(私との関係に一切の秘密がないという条件は要らないと思っている。私から見る相手も、相手から見る私にも。)きっと次また鬱状態が襲ってきても友人には話さないだろう。今度は彼氏にも、きっと。
しかしおそらく当時黙っていることも苦しかったのだ。大好きな家族に何もかも黙りこくって簡単に誤魔化してしまった半年間が心苦しかったのも間違いない。だから母にバレてしまったとき、困惑しながらも心底安心したのだ。もう家族にくらいは嘘を吐かなくていいのだと。


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