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025 えらいね、僕ら、それでも笑って誤魔化そうとして

中学生の頃、部活の顧問に「やる気がないなら帰れ」と言われた。確かに地区大会も勝ち上がれないような弱小バレー部だったしバレーボール選手になりたいわけでもなかったからやる気に満ち溢れてはいなかったけど、それでも年に数日しか休みのない部活に毎日出て「今日も怠いね〜」なんて言いながら最終下校チャイムギリギリまで練習するくらいにはやっていたつもりだった。それじゃあ足りないの?

高校生の頃、体育の先生に「意欲があるかどうか見てるからな」と言われた。確かに積極的に毎時間体を動かすことに向き合って身体の構造を知ることに興味をもって勉学に励んだりはしなかったけど、文化部に鞍替えした割に当時はそこそこ運動神経も良かったし勉強は嫌いじゃなかったからテストも平均9割は取っても5段階評価の内5がもらえることはなかった。意欲って目に見えるの?

社会人になって、違うチームの上司に「お前のチームの××、最近辛そうだけど気づいてる?お前みたいに余力のあるやつが助けなきゃ」と言われたのはまだ私が入社2年目であと半年ほどで休職に入るような時。「ああ、ほんとうに私って頑張っているように見えないんだな」としみじみ実感した。もうすでに自分のメンタルの不調には気がついていたので、「私の心が折れそうなことには気づきもしないくせに、この人は何を言っているんだろうな」とも思った。

あの頃、2年目とはいえ去年とはまた違う仕事内容になにをどうしていいか分からなくて、でも入社してすぐにお局から言われた「あなたのことは誰も助けないから」の一言に本気で縛られていて、自分ひとりで頑張らないと、どうにかしないと、立て直さないと…って必死だった。自分で自分を追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、折れた。折れるその日まで誰も助けてはくれなかった。(手を出してはいけないと思わせていた部分もあったと思う。頼ってくるまで見守ってくれていた人も、いたのかも知れない。分からない。とにかくそれくらいに人との関わりが確かに苦手で、そこに関しては私の社会上の課題である。今も。)

決して、××さんが嫌いなわけじゃなかった。むしろ尊敬していた。××さんは人に辛さを見せるのがとても上手で、「今僕は頑張っている」「今僕は苦しんでいる」がはっきり分かるタイプだった。羨ましいと思った。だからこそ、あの時も手厚い周りのサポートがあった。頼ってくれる人や仲のいい人、困っているとアピールできる人こそ手助けしたくなるというのは普通のことだ。コミュ障は本当に生きづらい。とにかく、そんなだから人当たりのいい××さんは気に掛けられて、人とうまく関われない私は「やる気ある?」と言われるのは、どれもこれもきっと普通のことだった。だけどあの時の上司の言葉は今も刺さって抜けないでいる。中学の顧問の言葉も、高校の体育教師の言葉も。

私って、そんなに、ダメなやつですか。

部活も、勉強も、仕事も、やってないわけではなかった。けれど誰よりやったか?力の限りか?寝る間も惜しんだか?と聞かれればノーと答えてしまう。そこがきっと引け目みたいなものになっているのだとは思う。それでも、いつもこうやって一生懸命とか熱さとか我武者羅とか精一杯とか頑張っている人以外がまともじゃないみたいな顔をされる。まるで犯罪者みたいに扱われる。頑張っている人が悪いんじゃない。分かってるよ。私も応援したくなるよ。分かるよ。でも、じゃあソウジャナイ人って人権ないの?悪者なの?仕事なんて、熱意がなくても責任持ってやることやってたら良くない?なんなら熱量も結果もあなたに関係なくない?うるさい。本当にうるさい。気持ち悪い世界だな!黙っててくれよ!!!!!!!!!

「お前は仕事、こなすだけだもんな」こなすだけって悪なの?「ほら、そういうこと言ったらまたあいつ傷ついて会社来れなくなる」うつ病者って罪人なの?優しい振りをすれば、社会上正しそうなことならば、冗談めかせば、俺はこういうやつだからというキャラクターを使えば、なんでも言っていいわけじゃないのに、またこうやってマイノリティ側の私が殺される。
「頑張ることは素晴らしい」は正しいだろうけど、「頑張らないやつは終わってる」わけじゃないじゃん。正しさの反対がいつも間違っているみたいな単調な考え方をするような大人の方がどうかと思うよ、私。ね、あの頃の私。

今の私も、あの頃の私も、こうした方が良かったと思うところは必ずあって、たとえば「帰れ」って言われてマジで帰るよりは「やります!」って言えた方が印象が良いし、分からないところは自力で調べるより先生に質問に行けた方が心象が良いし、「助けて欲しい」って声に出せたら、私だって、お局とかあの上司以外の誰かには助けてもらえたのかもしれない。そういうことは幾つもある。「私はひとつも悪くない」って事ではない。やる気だってないよりあった方がよく見える。社交的な人の方が人生楽に見える。でもそれができない自分のことを、自分はよくわかっている。頑張っても頑張ってるねって言われたことがない自分のことを、散々、わかっている。
たださ、ただ、押し付けてこないで欲しいだけなんだよ。あなたの価値観はあなたのものでいいから、それを私に押し付けてこないで欲しい。ただそれだけだった。今も。

きっと、この話だけじゃなくて、社会の無言の「当たり前」って数えきれないほどあって、その枠の外の人たちが静かに殺されているんだろう。今日も。えらいね、僕ら、それでも笑って誤魔化そうとして。「ちゃんと、傷ついて良い」って、あなたにもそう言いたいよ。あなたに私に非があっても、それが全てではない。非があれば刺して良いことにもならない。刺したことに気づかないような馬鹿なんてさ、どんなに社会的に優位な人であっても心の中でくしゃくしゃにしてやろうね。どうでもよくなるまで憎んでやろうね。

だから今も安達って苗字が大嫌い。


025 えらいね、僕ら、それでも笑って誤魔化そうとして

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