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いじめ

 私は小中高と約12年間、凪の時期こそあれども、何かしらの理由でいじめられていた。

 小学生の頃。
 はじめは、上級生からのいじめが多かった。地面に磔にされたところをタコ殴りにされたり、サッカーボールを故意に腹に当てられて、吐いたりした。

 正直苦しかった。こんな理不尽なことがあっていいのかと、幼いながらに悩んだ。

 学年が上がって、私の身体が大きく成長すると、暴力で苦しめられるようなことはなくなった。その代わり、何かしら理由を付けては私を貶したり罵ったり、避ける人たちが出てきた。

 むしろ、私にはそっちの方が辛かった。何故なら、力関係を前提にしたいじめとは違って言葉や行動によるいじめにはあらゆる人が加担できるので、いじめる人間の母数が圧倒的に増えたからである。
 
 女の子たちがいじめに加わってきたのが、本当に辛かった。お分かりの方も多いだろうが、女の子のほうが饒舌なものである。舌足らずで、当時どもりのあった私は言いくるめられ、不当に蹴り飛ばされ、蔑ろにされていった。辛かった。


 以来、いじめのせいか知らないけれど、私は一部の女性───陰湿な態度で、私の尊厳を傷つけてきた人々───に激しい嫌悪感を抱くようになっていった。
 私の性格というか指向性というか、そういうものが捻れていったのはどうもこの瞬間からのことらしい。

 地元の荒れた公立中学校にそのまま進学した私は、クラスのいわゆる「一軍女子」に取り入って、守ってもらうようになった。彼女たちは信じられないほど私に優しかった。私の心は、少なからず癒えていった。

 しかし、歪んだところは二度と元に戻らなかった。コンプレックスをどんどんと増幅させて、取り返しのつかない程に膨れ上がってしまったので、自暴自棄になってしまった。

 ちょうどお年頃だったのがいけなかった。私は、道化を演じれば心に傷を負うようなことから逃げられるとか錯覚して、性に合わないお調子者の皮を被ってやり過ごした。


 そのまま、地元の男女別学の高校に入った。リベラルを謳った学校で、「いじめのない、同性だけの華やかな青春」が売りだった。

 しかし、入学して少ししたら勘づいた。
 確かに自由な校風でこそあるのだけれど、それでもただの城下町、田舎の進学校なのだ、と。

 そのせいなのか。皆なんとなく保守的で、「個性は尊重するよ」と護符のように呟きながらも、結局強烈な個性や道化は封殺されるような世界だった。

 当然の如く。私はいじめられた。からかいを受けて、自分の恥辱と感じているものをSNSで晒されたりした。

 「いじめはない」という、高校の前評判は嘘だとわかった。わからされた。

 私は狂った。ちょうど成績も悪く、部活での人間関係にも問題を抱えはじめ、悩みの積もっていた頃だった。そこにいじめまで降り掛かってきたのだから、もう限界だった。


 高校を卒業した。大学に入った。

 それまでに私もまた、反動で多くの人に八つ当たりしたりした。弱い立場の人を傷つけたりした。その度に背中が、足元が、寒くなっていくことに気づけていなかった。

 馬鹿だった。私は。
 「いじめっ子」と全く変わらないことを、私もしていたのだ。無様でならなかった。その罪悪感で、また歪んだ。歪みに歪みをぶつけても、歪みが増えるだけだった…。


 そして、今の私がいる。
 壊れた私が。


 でも、ひとつ収穫があった。
 小中学校でも高校でも、或いは大学でも。数こそ少ないけれど、私の歪んだ部分を、壊れた部分を理解してくれて、その上で仲良くしてくれる友人ができた。

 私はきっと、恵まれているのだと思う。 
 だからこそ、自分はこれからの人生、絶対に他人を貶めない。そう心に誓う。数少ない理解者を、裏切らない為にも。

 歪んでいる部分をすべて、昇華させる。なにか、形あるものへと変えていく。

 いじめの経験は皮肉にも、私を表現の方向へと決定づけたのだった。

 
 

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