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拙くても自分の言葉を紡ぐ人は自分を見失わない#55

やれリフレクションだ、セルフコーチングだと言っているが、いわゆる内省に関心があるのは、自分が苦手だと感じているからだろう。その奥にあるのは、苦手を克服したいという気持ちだ。実は振り返ることが苦手だと思っているのである。コーチングの練習に付き合ってくれた方や話したことのある方はきっとそうは思わないだろう。そう、これは僕の認知の問題なのである。

苦手だと感じさせるものにはいくつか心当たりがある。例えば、恥ずかしいという感情がそのひとつだ。振り返るのは、過去の自分を見ることになり、それを目も当てられないくらい恥ずかしく思う。そう思うのは、その時の行動が自分と繋がったが故の行動ではなかったからかもしれない。というのも、その場の雰囲気を壊さないよう自分を押し殺したり、自分が変な人に思われないよう自分を隠したりしているからだ。

とはいえ、セルフコーチングの取り組みを他者に支援しているし、クライアントさんには満足いくものを提供できている自負もある。これは、苦手苦手と思いながらもここまで取り組んできた自分の努力の賜物だ。よく頑張ったね、とまずは褒めたい。

このままのレベルでいたとしても十分なのだが、もっとその先の世界を見たいと思うようになってきた。セルフコーチングの支援を通して、今の自分のままでは満足できないと強く感じるようになってきているのだ。そう思いながら周りを見渡してみると、僕が美しいと思う人は、必ずと言っていいほど自分の言葉で話しているように見える。何のことはない、もっと美しくなりたいと思っているのだ。ひとりの人として。

美しくなるというのは、芯が通っている、自分軸がある、一貫している、そんな言葉で表せるかもしれない。美しさとは何かについてふわふわしているのだが、今日は一旦置いておいておこう。何より重要なのはやはり言語化だ。自分の言葉による言語化だ。自分言語化とでも名付けておこうか

ここで、知性発達学者の加藤洋平氏による「成人発達理論による能力の成長」におけるリフレクションに関する一節を引用しておきたい。

真の成長につながるリフレクションをするために重要なことは、自分独自の経験に対して自分独自の言葉を紡ぎ出すことです。(中略)私たちは、各人固有の経験と成長プロセスを持っており、固有の成長プロセスの中で各々の経験を深めていくためには、自分の内側から生まれる言葉という養分を与える必要があるからです。一人ひとりの固有の経験に他者の言葉を当てはめることは、成長の種に対して人工的な農薬を散布することに等しいと言えます。(pp.283-284)

ネタバラシすると、この一節を読んで日記を書き始めたので、言語化が重要というのは自分の言葉ではない。ただ、どうして言語化することが大切なのかという理由については、自分独自の言葉を見つけられたと思う。

それが、拙くても自分の言葉を紡ぐ人は自分を見失わなず、そして美しい。美しいというのはただの主観。自分を見失うというのは、自分の思考や感情が自分本来のものかわからなくなる状態と捉えている。普段から昔の僕のような他人の言葉を借りて生きている人は、すぐに自分を見失う。こうして言葉にすると本当に耳が痛い。でも、それに気が付くことさえできれば、いつだってやり直せる。僕がそうであったように。

そうそう、今日まで生きてこられたのだから、明日もきっと生きられる。明日は今日よりも多く、自分の言葉で話してみよう。

2021.11.29.21:24

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