見出し画像

雨のフィンランド湾を歩く【ヘルシンキ紀行:後編】

ヘルシンキ最終日。ゆっくり起きる。外にはしとしとと雨が降っている。昨日の朝と同様、熱い紅茶とオープン・サンドウィッチで朝食にして、部屋でうだうだする。

いろいろ最後の観光プランを練ったが、やはり博物館巡りや教会巡りは少し肌に合わない。せっかくヘルシンキにアウトドア好きな友人と一緒にいるのだから、外で何かしたい。
「天気はあんまりだけど、外で軽くハイキングとかできないかな?」
「だったら、ヘルシンキの群島部に行ってみない?ちょっとしたトレイルがあって、いい息抜きができるところよ」

曇天のヘルシンキ・ダウンタウンをあとにし、黒いシュコダはハイウェイを西に進む。エリサが気持ちよさそうにギアチェンジするのを見て、今のおんぼろSUVが酷くなったらマニュアル・シフトの車にしようと心に決める。

30分ほど走り、ヘルシンキ郊外の農村を抜けていく。なだらかな丘陵に沿って、まるで海原がゆったりとうねるように白樺の森と農地が交互に現れる。ところどころにひょっこり立つ赤い家々が風景にアクセントを加えている。気持ちよく晴れ渡った夏の日に、小柄で愉しい欧州車に乗って気ままにフィンランドの田舎をドライブするというのは、きっと素晴らしい体験になるのだろうと想う。

農家産直のようなところで買ったクリームの乗った菓子パンを食べていると、トレイルヘッドに到着する。小雨の中、借りたレインジャケットのフードを被って歩き出す。

やってきたのはポルッカラ(Porkkala)。フィンランド湾に突き出る半島だ。丸みを帯びた岩が剥き出しの海岸線が続き、背の低い松がシーブリーズを一身に受けている。北欧らしい海岸だ。

「夏にこの海をカヤックで旅するのも楽しいだろうね。潮汐変化は大きいの?」
「バルト海はほとんど潮の動きがないの。巨大な水たまりみたいなものね」
フィンランド南部は多島海である。1万を超える島や岩が乱立する静かな海をゆったりとボートで巡るというのも素晴らしいはずだ。夕陽の見える岩の上にテントを張り、なめらかなバルト海に太陽が沈んていくのを眺めつつ、ライ麦パンとニシンの缶詰、いくぶんかの野菜とバターをのせて頬張る。想像するだけでいい心持ちになる。

とはいえ、今日は四月の雨の日。雨足はどんどん強くなる。少し海を眺めて、近くの焚き火小屋に逃げ込む。すでに3組ほどが日を囲みながら雨宿りをしていた。フィンランドのトレイルにはよくこうしたオープンファイヤのストーブがある焚き火小屋と薪小屋が整備されているらしい。

「お茶にしようか」とエリサがバックパックから魔法瓶を取り出す。ふたつのカップに紅茶を淹れ、チョリソーのパックを差し出す。ちょっとしたBBQ用にと来る時にスーパーで買っておいたのだ。近くに落ちていた枝を突き刺し、火にかける。

「身体に染みる雨だね」隣にいた物静かなカップルに声をかける。見かけからすると同世代だ。
「まだまだ寒いよ。僕らはさっき海で泳いできたんだけど、良いアイデアとは言えなかったな」ヨナスと名乗る青年がフィンランド訛りの強い英語で答える。彼とパートナーのエリーは用意もなく思いつきで海に飛び込んできたらしい。ずぶぬれの靴下を頑張って乾かしている。

チョリソーの皮が弾け、いい香りがしてくる。余ったソーセージをヨナスとエリーにもお裾分けする。チューブ入りのマスタードをたっぷりとかけて頂く。フィンランドのマスタード「セナッピ」はまろやかな酸味の奥に深みがあり、鼻に抜けていく辛さが心地いい。直火でパリッと焼けたチョリソーのこってりとした肉汁とセナッピの酸味が美しいマリアージュを奏でる。

「君たちもヘルシンキっ子なの?」
「僕はヘルシンキ出身。彼女は少し外れの田舎町出身だけど、同じようなものさ」
「心なごむホームタウンだね」
「そう思うよ。もう少しすれば、一番美しい季節が来るんだけどね」
フィンランド人は冬に観光に来る人々に対し、一様に申し訳なく思っているらしい。すべてを祝福したくなるような日々が続く夏という季節があるのに、辛く長く暗い冬に来てもらってしまい本当にすまない、というメッセージが言葉尻に感じられる。

ところでそのワッペンはなんだい、とエリサと僕の胸に縫い付けられたフェールラーベンポラーを指さしてヨナスが聞く。僕たちが代わりがわり犬ぞり旅のことを話すと、彼らふたりも楽しそうに聞いてくれる。僕も応募してみるよ、ありがとう、と可愛らしいアクセントのついた英語で答え、別れを告げてふたりは雨足の弱まった森に消えていった。

「チャーミングなカップルだ」
「そうね。典型的なラリー・イングリッシュも聞けたじゃない」
ラリー・イングリッシュとは、フィンランド人の特徴的な英語アクセントを指している。フィンランド人は高速に移動する乗り物を制御するのに長けており、「フィンランドの輸出品目トップ5にレーシングドライバーが数えられる」なんていうジョークもあるくらいだ。フィンランド人ドライバーが世界ラリー選手権で優勝するたび、その類稀なる英語発音で世界を驚かせたことから、そう名付けられたのだとか。

火の始末をし、海岸の岩場を歩く。雲にすっぽりと覆われたフィンランド湾は白黒の世界だ。海風に後ろ髪を引っ張られたような松がぽつぽつと立っている様子は、まるで水墨画の世界に迷い込んだような感覚にしてくれる。

ヘルシンキに戻り、湖のほとりにあるカフェで一服する。もちろんコーヒーとシナモンロールをいただく。
「やっぱり外に出かけてよかったわね。友達と森を歩いて、ちょっとしたBBQをする。これがヘルシンキ民の典型的な週末の過ごし方よ」
同感だ。現地の友達を訪れた時には、現地流のやり方で滞在するに限る。考えてみれば、ここ2年くらい宿泊施設というものを使っていない気がする。旅するにしても日本中や世界中にいる友達に会いにいくという形が専らで、彼らのほとんどが僕を泊めるということに寛容だった。つくづく幸運なことだなあと思う。宝物である。

アパートに戻り、僕が荷造りをしている間にエリサが夕食をつくってくれる。小さいガスコンロにマッチで火をつけ、手際よくパスタをソースを調理する。ようやくヘルシンキの空にも晴れ間が出てきて、傾いた陽光が窓から差し込む。

「もし、あったらでいいんだけど」料理中の背中に聞く。「君が作ってるハチミツ、ひと瓶お土産にもらってもいいかな?」
キャビンに連れていってもらった時に見たミツバチの巣箱と、エリサが「蜂アレルギーが酷くなってきたから、もうやらないかもね」と言っていたことを思い出したのだ。
「もちろんよ!ひと瓶でいいのね?」エリサは箱の中から小ぶりな瓶をひとつ取り出し、ラベルを貼ってくれる。「液体じゃないからきっと機内持ち込みできるはずよ」
ハンター・ハウス・ハニー。彼女の父親が建てたキャビンの写真があしらわれた、趣味のいいデザインだ。大事に食べるよ、とお礼を言う。彼女の部屋を出る前に、ポルヴォーの街で買った2枚のポストカードを実家と祖母に宛てて書く。

ヘルシンキ・ヴァンター空港は動線がシンプルで心持ちのいい空港だ。出発ゲートも到着ゲートもひとつ。わかりやすい。フィン・エアーのロゴが電光掲示板を埋め尽くしているのも何故か嬉しくなる。

「何もかもありがとう。最高のヘルシンキ滞在だったよ」お別れの前に長いハグを交わす。
「私も久しぶりにあんなに笑ったわ。楽しい時間をどうも。次は夏においでね」
「来年夏にまた北欧にくる予定だから、そのときはまたお世話になるよ」
ゲートのまえで別れる。ありがとう、エリサ。

ヴァンター空港の手荷物検査は最新鋭の機械が使われているようで、パソコンも液体も取り出さなくていいと指示される。一度はマシンを通り抜けてきた僕のバックパックは係員に一度持っていかれ、少し焦る。かばんを開けるように指示され、一番上に入れておいたハチミツの瓶を取り出して見せる。
「それは何?」
「ハチミツですよ。僕の友達が作ったんだ」
「スイートな友達ね。一度機械に通すから、ちょっと待ってて」
ハニーのようにね、と返そうと思ったが、カナダでは日常茶飯事のスモール・トークが北欧ではあまり受け入れられないと言うことを思い出し、口をつぐむ。
「問題なかった。行っていいわよ」瓶を受け取り、かばんに戻す。キートス。

ストックホルム行きの搭乗ゲートで友人たちに教えてもらったフィンランド・カラオケ・メドレーを聴いていると、着いた時にはよそよそしかったヴァンター空港が心なしかほっとする場所に思えた。

また戻ってこよう。次は、この北の国の寡黙な森の民たちが申し訳なさそうな顔をしない季節に。


読んでくれてありがとう!サポート頂ければ感謝感涙ですが、この記事を友達にシェアしてもらえる方が、ぶっちゃけ嬉しいかも。また読んでください!Cheers✌️