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北欧極北をめぐる冒険:2日目 マウントカーリーからバンクーバーへ

・朝8時に目を覚まして、2階のリビングルームにあがる。洋二郎さんと美穂さんはもう起きて朝食の支度をしていた。

・今日の朝食にはマウント・カーリーのお友達を数人招いてくれたという。おふたりはよく僕の記事をシェアしてくれたり、まわりの友人に口コミを広めてくれているようだ。
「上村君、大人気だね。友達たちに声かけたら『行きたかった〜!』って人も結構いたよ」なんとも嬉しいことである。

・今朝のマウント・カーリーはうっすら雲がかかっている。外の畑に美穂さんとネギをとりに行き、作りかけのキャビンや下を流れる小川を見せてもらう。数年前までは心地よい川だったのに、鉄砲水の影響で護岸工事がされた川はなんとも物悲しい雰囲気があった。

・庭にある屋外風呂に洋二郎さんが薪を入れている。とても見晴らしのいい風呂だ。

・すこしすると3人のお客さんが来る。かなちゃんとひろこさん、そしてライアンである。美穂さんが紹介してくれ、握手を交わす。

・今朝の洋二郎食堂のメニューはフレンチトースト。ひとつには目玉焼きがのり、もうひとつにはサーモンが。一晩卵液にじっくり浸されたトーストの甘味がじゅわっと口の中に広がり、卵や鮭の塩分とすばらしいコンビネーションを奏でる。添えられたアボカドのさわやかなこってり感が嬉しい。

・かなちゃんは交換留学でUBCに来ている大学生。二年間もバンクーバーにいたらしい。文化人類学を学びながら、昨年からマウント・カーリーの先住民コミュニティに通っているのだとか。なんと羨ましい環境だろう。

・ライアンは66歳。マウントカーリーにリザーブを持つリリワット族のひとりだ。

・ライアンにいろいろと文化事情を聞いてみると、同じBC州の先住民といってもハイダとはまったく違うことがわかる。リリワットはロングハウスにも住まないし、トーテムポールも作らない(らしきものはあるらしい)。狩場を転々としながら移動し、寒い時期には竪穴式住居で暖をとるのだという。

・「どのようなクランに属しているんですか」と聞くと、ライアンはきつねにつままれたような顔で「クランのようなものはないよ」という。リリワット族自体が相当小さなグループである。

・「この谷に、いまは日本人が10人以上いる」とライアンが言う。彼の妻であるひろこさんこそ、この地域における日本人としての先駆者。ライアンとの間にタロンとリキのふたちの子供がいる。美穂さんはひろこさんを「先住民より先住民らしい生き方をしてるよ」と紹介してくれたがまさにその通りで、子供のふたりともリリワット族としてのアイデンティティを強く持っているとのこと。

・ブランチを終えると、ライアンとひろこさんは家に戻り、そのほかの4人で近所のペトログラフを見に行くことにする。マウント・カーリーがよく見える場所に昔の先住民が残した壁画がのこっているのだとか。

・数個の湖を横目に15分ほど走って、トレイルヘッドから歩き出す。BC本土の森を歩いたことはよく考えたら初めてかもしれない。目に新しいのは、ごつごつとした分厚い樹皮が特徴的なダグラスファーだ。ハイダグワイでは見られない針葉樹であるが、本土では高級建材のひとつとして重宝されている。

・「ダグラスファーはライフサイクルのなかで森林火災が必要って聞いたことがある」と洋二郎さんがいう。先月読んでいた『マザー・ツリー』にもあった。ダグラスファーの種子は硬い松ぼっくりに守られており、数年に一度起こる森林火災がもたらす熱でそれらの種子が解き放たれる。天然の焼畑となった大地に巻かれた種子は栄養たっぷりの大地ですくすくと育つのだ。雨が多く森林火災の起こりようのないハイダグワイでダグラスファーが見られないというのは、その種の特性を鑑みれば納得できる。

・しばらく歩くと、突然岩石が剥き出しになった巨大な建設道路が森を横切る。「こんなもの、数年前に来た時にはなかったのに」と美穂さんはショックを受けている。どうやらバンド(先住民自治組織)がその土地をディヴェロッパーに売ったらしく、宅地開発が進められているようだ。

・目的地のペトログラフのまわりはこじんまりとした丸太の柵で囲われているだけで、数十メートル先にはすぐに無機質な建設道路が走っている。少し悲しい気持ちになる。

・ペトログラフはマウント・カーリーの山嶺を望むことのできる岩場にある。平たい岩石の地面に、人の体と頭のようなものが描かれている。その昔、先住民の女性は出産にあたり、村を離れて山に入らなければならなかったのだという。リリワット族の女性たちはこの場所で母なる山を眺めながら命を産み落としたのだろうか。

・「これ、寝転んだら気持ちよさそうですね」
かなちゃんがおもむろにペトログラフの横に寝転ぶ。僕も真似してそうする。地面の自然なカーブが体にぴったりで、頭の位置も枕のようになる。下半身がちょうどマウント・カーリーの方向に向く。
「もしかしたら、妊婦さんのためのベッドだったのかもね」と彼女。

・車に戻り、ひろこさんとライアンの家を訪れる。マウント・カーリーの谷の小さな集落に彼らの敷地はある。子供たちの野外活動の場所でもあったというその敷地には、牛舎やにわとり小屋などがたくさんあった。畑を耕していたひろこさんに挨拶し、息子のタロンのカヌー作りを見に行く。

・タロンは19歳にして、リリワット族の文化を体現する青年だ。大学では考古学を学びながら、自分自身のプロジェクトとして竪穴式住居を作ったり、カヌーを彫ったりしている。今彼が取り組んでいるのはダグアウト・カヌー。ハイダ族と同じ、丸太をくり抜いて作るカヌーだ。

・「これは3人乗り。川や湖で使うためのものだから、小さめなんだ」
あまり多くを語らないタロンは、カヌーのことなら少し楽しげに教えてくれる。ハイダグワイにおけるカヌー作りの話をすると興味深そうに耳を傾けていた。

・小さな小さな先住民コミュニティで、ハイダ族のようなマスター・カーバーの教えも受けず、ひとり黙々とカヌーを作る青年。素直にかっこいい。

・ロンドン行きの飛行機は22時。夕方にバンクーバー着を目指し、夕食を食べて空港に向かうことにする。マウント・カーリーのみなさんにお礼を言って、洋二郎さんとバンクーバーを目指す。

・バンクーバーからペンバートンにかけてのダイナミックな地形を走るハイウェイはシー・トゥ・スカイ・ハイウェイと呼ばれる。今日は素晴らしい天気で、BC本土の山々も入り組んだフィヨルド地形も息を呑む美しさである。バンクーバーへ上りの車線はガラガラだが、反対車線は鬼のような渋滞。胸を撫で下ろす。

・バンクーバーにつき、日本食を食べに行く。ダウンタウンにある定食屋だ。ふたりしてカツカレーと寿司というわんぱくな注文をし、旅の前に腹をいっぱいにしておく。
「ワーホリ時代、ここによくきたんだ。がっつり食べられる定食がありがたくてね」と洋二郎さん。

・食事の後、空港まで送ってもらう。気をつけて、楽しんできてねと言葉をもらう。お礼の申し上げようもない。いいレポートを書くことを約束する。

・バンクーバー国際空港は巨大である。すぐ制限エリアに入ってしまおうとも思ったが、空港内にあるひとつのオブジェが見たかった。ハイダ族の伝説的アーティスト、ビル・リードによる彫刻「ハイダグワイの精霊たち」である。

・出発ゲートの向かいにどんと構えるその彫刻は、ハイダ族のカヌーに伝説上の様々なキャラクターが乗っているというものだ。ダイナミックな配置と目を見開いてしまうようなディティール。写真を撮ってさっさと歩いていってしまう観光客をよそ目に、何十分も言葉を飲んで見つめてしまった。
「創造主よ、どうかこの旅を導き、無事にハイダグワイまで帰してください」
心の中で祈る。

・セキュリティを終え、ブリティッシュ航空ロンドン行きのロビーでのんびりする。人生におけるひとつのランドマークになるであろう旅が、やっと始まる。

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