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海の向こうは異界【ハイダグワイ移住週報#24】

この記事はカナダ太平洋岸の孤島、ハイダグワイに移住した上村幸平の記録です。

2/6(火)

9時過ぎに起きる。今日は友達が島にくるので、南の空港までピックアップに向かう。1日がかりの作業だ。来客用のシーツと毛布を洗濯し、ベッドメイクをする。14時には南島行きの島渡しフェリーがでるので、11時過ぎに家を出てスキディゲートのフェリーターミナルを目指す。

朝は少し雨がパラついてはいたが、走っているとどんどん天気が良くなっていく。スキディゲートについたころには空には晴れ間が出ていた。

ハイダグワイにはふたつ空港がある。僕が住んでいる北島(グラハム島)北部のマセット村に一つ、そして南島(モレスビー島)北部のサンドスピット村に一つである。サンドスピット村はスキディゲート村の対岸にあり、島渡しフェリーが一時間に一本ほど出ている。所要時間は20分ほどだ。

スキディゲートのターミナルで片道のチケットを買う。とはいっても、対岸のターミナルにはチケット売り場はないので、片道チケットで往復できる形になっている。車一台での乗船で35ドル。スキディゲートまでは仕事でよく訪れていたけれど、南島まで渡るのは今回が初めて。フェリーは数台の車と巨大なトレイラーを乗せ、ゆっくりと水面を動き出す。

サンドスピット空港にはエアカナダ便が毎日バンクーバーから飛んでいることもあって、南島観光の玄関口といった様相である。大きなロッジやコテージが立ち並んでいる。ただ2月の今ではサンドスピットは閑散としており、ゴーストタウンのよう。

サンドスピット空港には定刻の15分前ほどに着く。種子島の空港を思い出させる簡素な建物だ。中は小綺麗で、ちょっとしたお土産屋さんとカフェがある。到着する飛行機で島を後にするひとたちが保安検査を抜けていく。

しばらくすると、小さなプロペラ機がなにかのしるしのように着陸する。滑走路で誘導を行っているのもひとり、預け入れ荷物の運び出しを担当するのもひとり。最小限の人手である。機体のドアが開くと、10人ほどの乗客が出てくる。最後の方にタラップを降りてきた疲れ顔に見覚えがある。まりこだ。

***

彼女は僕の遠野時代の友人である。当時の同居人を介して知り合った遠野生まれ遠野育ちの生粋の遠野っこで、今はヨガ講師としてフリーで活動している。
最後に会ったのは去年7月初旬。カナダに移る直前に、半ば自分を落ち着かせるために遠野をふたたび訪れ、お世話になった人々のもとに顔を出しに行ったのである。「カナダに行く前にこの神社には連れて行っておかないとと思って」という彼女に連れられ、巨石が祀られている山奥の神社を訪れたあの夏休み真っ只中のような1日から、すでに半年なのだという。僕の中の体感では、すでに2、3年前のような感覚なのだが。

「来年2月、こうちゃんのところに遊びに行ってもいいかな?」
去年の暮れ頃、突然まりこからメッセージが来た。そもそもこんな果ての島まで来る人自体一握りであるのに、彼女がそういった人種のひとりだと考えたこともなかったので、正直びっくりした。もちろん二つ返事でOKを送り、はじめての海外一人旅だという彼女のためにアクセス情報や必需品などをシェアした。それとともに日本から運んできて欲しいものを彼女宅まで送った。カナダで買うと高いランニングシューズやヘッドフォン、そしてお気に入りの洗顔料。

6日の朝に遠野を出発し、東北新幹線で東京まで出て、成田からバンクーバーまで九時間。そこから飛行機を乗り継ぎ、サンドスピットに到着したのが同じく6日の15時過ぎ。太平洋を跨ぎ、東北の辺境からカナダの辺境まで友人がやってきた。

中学の頃に通っていた学習塾では、昔の格言などをたくさん暗誦させられた。そのほとんどのものは遠い昔に忘れ去ってしまったのだが、『論語』についてのものはなぜか今でも頭の片隅に残っている。
「朋遠方より来たる有り、また楽しからずや」とは、よく言ったものである。遠野にいた時にも、長野にいた時にも、そしてこうしてハイダグワイにいる今でも、少なくない数の友達が僕をわざわざ訪れてきてくれる。なんと自分は幸せ者なのだろう、と思う。

***

「バンクーバー行きの便、後ろが子供連れで大変だった。なかなか眠れなかったし、ろくに英語も喋られないけれど、着くもんだね」
はじめての海外ひとり旅にしては落ち着き払った様子をみて、僕も安心する。

家まで帰るのに三時間ほどかかるので、サンドスピットをあとにしフェリーターミナルまで戻る。スキディゲートの入江には平らかな水が満ちており、時折イーグルが羽を大きく広げて滑空していく。多島海には低く霧が立ち込めているが、空には夕陽が輝いていた。

スキディゲートに渡り、スーパーで少し買い出しをしたら、暗くなる前にマセットを目指す。道中、いろいろと話をした。僕の遠野時代のシェアメイトのひとりは今、日本三代秘境と称される宮崎県椎葉村に住んでいるのだが、まりこもその場所を訪れた時の話。遠野のみんなの近況など。

マセットまでたどり着いた時には、五時間運転し続けた僕も、1日かけて移動してきた彼女も、どうしようもなくへとへとだった。それでも腹は減っていたので、米を炊いて豆腐の味噌汁をつくり、サーモンを塩焼きにして簡単な晩ごはんにする。濃いめの味噌汁が疲れた体に沁みる。

ご飯を平らげてしまった後、僕たちはふたりともベッドに直行した。まりこには僕の部屋を使ってもらい、僕はギアルームにマットレスを敷いて寝る。本格的なツアーは明日からだ。

2/7(水)

昨晩は遅くまで占いをしてもらっていた。朝起きるとルームメイトは仕事に出ており、まりこはまだ寝ていた。ストーブに火を入れ、コーヒーを沸かす。
彼女が起きてくるタイミングで、バナナパンケーキをつくって朝食にする。メープルシロップをたっぷりとかける。時差ぼけも特になさそうで安心。

「連れて行って欲しいところがあるの」とまりこが言う。
「ゴールデン・スプルース・トレイルと、近くの一番大きな湖。そこに行ければ、わたしは満足」
「どうしてゴールデン・スプルース・トレイルなんて知ってるんだ?島で一番大きい湖にはアクセスできないけれど、そこそこ大きい湖ならゴールデン・スプルースの近くにある」
「内緒。そこでいいよ」

出発する前に、家の前の海岸につれていく。となりのゴールデンレトリバーのサルサも一緒に。極めてゴージャスな天気だ。遠くアラスカも望むことができる。家に戻って車を出し、村でガソリンを入れてから、ゴールデン・スプルース・トレイルのあるポートクレメンツ村まで車を走らせる。

ゴールデン・スプルース・トレイルは林業道路を少し走った先にある。50メートル台の巨大なトウヒが乱立する森だ。ビーチにいた時は太陽が空に輝いていたが、トウヒの枝がキャノピーを作り上げているこの森は薄暗く、空気は冷たい。

「生き物の気配が少ないね」とまりこが言う。
「クマも冬眠中だし、昼間には鹿たちも寝こけているからね。秋以降、虫たちはもはや遠い世界の住人たちだ」
「その分、こうしてちゃんと木の声を聞ける」

僕が彼女と出会ったのは2022年の5月だった。遠野の古民家でヨガ講習を開催する際に、フォトグラファーとして仕事を依頼されたのがきっかけで仲良くなったのだ。

「巨石信仰の遠野と違って、ここは巨木信仰の文化圏なんだね。本当に石がない」
そう言われて、ハイダグワイの森で石をほとんどと言っていいほど見かけないことに改めて気付かされる。その寿命を終えた木々は横たわり、風雨と菌類の活動によって静かに、それでいて確かに分解されてゆく。その養分は次の若葉たちに栄養を引き継ぐのだ。命のリレーの証をそこらじゅうに見てとれる、特別な森である。

そのあと、さらに林業道路を進んでいく。デラヴィーナおばちゃんが教えてくれた、マセット村に住むハイダ族のマーマン・クランの古いカヌーが置いてある場所を訪れる。トレイルとして特に整備もされていない。きっとクランの子孫たちが代々手入れをしてきた場所なのだろう。

低めの広葉樹の森の奥に、巨大なレッドシダーをくり抜いた掘りかけのカヌーが静かに朽ちる時を待っている。数世紀も前の人の営みを、こんなに深い森の中で目撃できる。

「どこかしら人を寄せ付けない雰囲気のある東北の森とは違って、ここの森はひとを受け入れる土壌があるよね」と彼女はいう。
「やっぱり数千年の間、ここの人たちの生活の土台となってきたからね。森もひとに慣れているのかもしれない」

***

ポートクレメンツ村まで戻ったとき、まだ15時だった。このところ、日照時間が指数関数的に伸びている。もう少し足を伸ばして、湖を目指す。ポートクレメンツ村とティレル村の間にある、メイヤー・レイクだ。
メイヤー・レイクは全長15キロ、幅500メートルほどの細長く特徴的な形をした湖だ。水際まで針葉樹林が立ち尽くしている穏やかな湖は、どこかしら北欧の大地を彷彿とさせるものがある。

ふたりで水際をふらついていると、向こうのほうから一艘のボートが岸に戻ってくる。ふたりの男が乗ったボートはハイダ族評議会の旗を立てていた。

「やあ、素晴らしい天気だね」とひとりの男が声をかけてくる
「間違いないね。君たちは何かの仕事をしていたのかい?」
「ビーバーの罠をしかけてたんだ。この湖にはハイダ族の文化とは切っても切り離せない、パシフィック・クラブ・アップルの木々がそこかしこにある。外来種のビーバーにとってもご馳走のようで、彼らはどんどんその木々を食べてしまうんだ。困ったものだよ」

ハイダグワイに原生の唯一の果実樹木であるという野生りんごの木。その生態を調査し、フェンスで囲ったり、ビーバーを罠で捕獲して保全しているのだとか。
「ビーバーの肉は美味しいって聞いたけど、この湖のビーバー肉はどうなんだい?」
「そこまで褒められたものではないよ。鹿のほうが断然に美味しい」

僕がそう男たちと世間話をしている間も、まりこは水面を突きながらなにかを歌っていた。なぜ彼女は湖に行きたいと言ったのだろう。

***

暗くなる前にマセット村まで戻ることにする。昨日の残りのサーモンの切り身がたくさん残っていたので、サーモンのクリームシチューをつくってもらうことにする。スーパーで食材を買い足す。

マセット・インレット(入り江)の東側に位置するマセット村・オールドマセット村の、晴れた日の夕刻ほど美しいものはない。海岸沿いの道路を走り、村に立ち並ぶトーテムポールを覗く。家たちもポールたちも西陽をぞんぶんに浴び、黄金に光り輝いている。

家に帰り、僕がパンを焼き、まりこがシチューをつくる。サーモンのシチューは魚の出汁がじんわりを美味しく、沁みる味だ。

僕は20時からミーティング。日本のフェールラーベン代理店のかたと話す。日本人初のフェールラーベン・ポラー参加者として、何かブランドの広報などに協力できないか、と連絡していたのだ。

話し合いはなかなかいい感じに進んだ。やはり同じブランドを、バックパッキングを愛するもの同士、話は早い。担当の方と4月、ストックホルムでお会いできることになりそうだ。良いきっかけになるといいな。

ミーティングから戻ると、タロンも仕事から帰ってきていた。ルームメイトのサシャ、オーナーのタロン、僕とまりこの4人で犬と猫たちを囲んで談笑する。僕も少し手伝いながらだけれど、友人も楽しそうにコミュニケーションを取れていたようだ。

2/8(木)

午前中はゆっくりスタートする。朝に昨晩のシチューの残りと全粒粉ハードブレッドを食べる。

「このお茶が美味しいの」とまりこが淹れてくれたのは、どこか懐かしさを含んだ香ばしさのある緑茶。
「椎葉村の焼畑でとれたお茶よ。こゆきちゃんのところに遊びに行った時に出会って、そのおいしさにびっくりして持ってきちゃった」

こゆきは遠野時代のルームメイトのひとり。今では日本三大秘境のひとつに数えられる宮崎県椎葉村の地域おこし協力隊になり、神楽に関する博物館の学芸員として働いている。

「椎葉村で驚いたのは、彼らの方言が遠野のそれととても似ていたこと。焼畑文化もだし、神楽もだし、不思議なはちみつ農家のかたもいて、とても刺激的な場所だった」
こゆきが椎葉村に移って半年強といったところのはずだが、すでにまりこは2回訪れているのだとか。いいな。毎日が移動式サーカスのような遠野のシェアハウスがすこし恋しい。

お茶を啜ってしまった後、10分ほど車を海岸沿いに東に走らせ、トウ・ヒルに向かう。霧雨が降るトレイルヘッドから20分ほど歩き、丘の上の展望台から眼下に長く広がるノース・ビーチを望む。

すぐ下のアゲート・ビーチに押し寄せる波は穏やかで、かつ心地の良いリズムを刻んでいる。前回8月にトウ・ヒルに登った時には目がつかなかった場所に目が行くようになっている。自分もまた、この場所での生活で自然を読み解く力が養われていたのだな、と素直に実感する。

家に戻り、その足で仕事に行く。まりこには家の周りで好きに過ごしておいてね、といって少しほったらかしにさせてもらう。今日はどちらのクライアントも疲れていたようだ。特に大きなタスクもなく、平和な1日。少し読み書きの練習をして、今日の仕事は終わり。

家に戻ると、まりこが夜食を用意してくれていた。三つのおにぎりと味噌汁、シチューの残り。ありがたすぎる。家に日本食があるという幸せである。

2/9(金)

今日は南部スキディゲート村の博物館を訪れる。15時から仕事があるので、開館と同時に博物館を見学し、元職場のビストロで昼食をとり、その帰り道にクリスタルのギャラリーを訪れるという強行スケジュール。

軽い雨がずっと降り続く朝。博物館に着くまでは、主に遠野での子供時代やヨガスタジオ時代の話を聞かせてもらう。

久しぶり、というほどでもないハイダグワイ博物館。お土産屋さんのリンがドアを開けてくれる。ビストロに行くと、シェフのアーモンドとエリンが僕の顔を見るたび、こちらまで出てきてハグをくれた。

「久しぶりだな、ブラザー!」とアーモンド。
「クリスマスぶりだね。ビジネスはどう?『モウカリマッカ?』」
「『ボチボチデンナ』!あとで寄ってけよ、今日はフライドチキンバーガーが美味いぞ」
「ありがとう。そうするよ」

***

これまで幾度となく見てきたハイダグワイ博物館内の常設展。それを遠野から来た日本人の友達に見せると言うのだから、今回は勝手が少し違う。どの部分を翻訳して伝えれば、この展示が言わんとしていることを伝えられるだろうか。

マセット村で100年ぶりにトーテムポールが建てられた際のドキュメンタリーを見る。迫害の歴史を乗り越え、自分たちの文化を再興しようとする若者たちの姿だ。一度失われた文化に再度火を灯すのは簡単ではなかったはずだ。ドキュメンタリーで語る伝説的ハイダ・アーティストのロバート・デイヴィッドソンの顔に刻まれた深いしわがそう物語っている。
「これって、遠野で言えば鹿踊りが禁止されたり、方言を喋ると体罰を受けたりしていたってことでしょ」彼女は涙ぐんでいた。
「それって、本当に辛いことだと思う」

展示の多くには、先住民が受けてきた思わず閉口してしまう悲惨な歴史が垣間見られる。東北の、遠野の芳醇な文化と伝統的な環境で育ち、3.11を経験した彼女である。何か心の琴線に触れるものがあったのだろうか。二時間ほどかけてゆっくり展示を見る。いつも新しい発見がある、素晴らしい博物館だと思う。

***

腹ごしらえにビストロでフライドチキンバーガーを注文する。元従業員割で25%オフにしたもらったものの、ふたりで47ドル。片手で数えられるくらいしかカナダで外食はしていないが、毎度その金額にはおもわずため息が出る。賄いで思う存分食い散らかしていた頃が懐かしい。

昼食を済ませ、マセット村への帰り道でクリスタルギャラリーに寄る。あまりお目当てのものはなかったようだ。
「やっぱりおととい行った村のギフトショップのものが一番良かった。あそこにもう一度連れて行って」

家に戻ってまりこを降ろし、その足で今日も仕事に出かける。19時から村の劇場でダンスの公演があるようで、クライアントのふたりともそわそわしていた。車椅子をバンに乗せ、ふたりをきちんと席に座らせて、会場に向かう。

公演会場にはすでに村の顔見知りがたくさんいた。僕のクライアントも村では顔の知れた存在であるので、片端から皆に挨拶していく。公演自体も素晴らしいものだったが、こうして定期的に村のおばあちゃんたちや長老たちに会えるのはうれしい。

2/10(土)

9時に起きる。緑茶を飲み、ベーコンエッグで朝食にする。卵はふわふわのスクランブルド、ベーコンはカリカリに焼く。カナディアンなメニューだ。

この世の全てを賞賛したくなるほどに美しい天気だ。日に日に春が近づいていることが感じられる。太陽の光に確かに暖かさがある。

「今夜の食材だ。クルマエビ3パック、ホタテ、カニ、サーモン。寿司パーティには十分だろう」とタロンが大きな買い物袋を抱えて帰ってくる。日本の友達が来る、と彼に伝えた時から、絶対に寿司を作ってもてなそうと話していた。太っ腹な男である。

家の裏の川が陽光に輝いている。外で体を動かすのにもってこいの1日だ。まりこにヨガを教えてもらうことにする。「わたしも混ざっていい?」とルームメイトのサシャ。

3人でヨガマットを持って河原に降りる。太陽を仰ぐ形で座り、まりこの指導に従って瞑想から始める。僕が適宜翻訳してサシャに伝える。

「肌を撫でる風、遠くから聞こえる音、自分と大地が触れている部分。それらに感覚を集中させます。今日こうして十全な身体があり、ともにヨガができることにに感謝します」
彼女の誘導に沿ってゆったりとした呼吸を繰り返す。自然の中にはこの半年ほどずっといたけれど、こうして意識的に自然と自分の関係を見つめることはできていなかったな、と思う。急ぐ必要もないのに、自分はどこかで急いでいたのかも知れない。

いくつかの複雑なポーズをとり、太陽礼拝を行う。太陽と大地の力が、呼吸を繰り返すごとに体内に染み渡っていく感覚。最後の瞑想のあたりでタロンが帰ってくる。ウォーリーも混ぜて欲しそうに、瞑想中の僕たちの周りを駆け回っている。

そのあと、まりことウォーリーとビーチに向かう。僕はトレイルランニングシューズを履いて走り、彼女は砂浜の上で瞑想している。村の人々もこんなに美しい1日を放っておくはずもなく、浜辺にはいつもより多くの人が繰り出し、散歩と日光を楽しんでいた。もとより、いつもこの海岸を走る時にはすれ違ってもひとりくらいなので、見回して3人がいるというのが「多い」ということになるのだが。

明後日が新月ということもあって、潮の動きが大きくなっている。海水はビーチのほとんどを飲み込み、いつものランニングコースは水浸しだ。仕方ないのでビーチ裏のトレイルと波打ち際の砂場を走る。

家に戻ると、川がこれまでに見たことのないほど満ち満ちていた。今日の満潮は24フィート。7メートル以上の潮汐変化だ。水着に着替え、日課の冷水浴をする。ほどよく熱った下半身をクールダウンさせる。

キャビンでは、タロンとサシャ、まりこがランチを食べていた。タロンが作ってくれたのはクルマエビのオムレットとハッシュドブラウン。
「これまでに俺が作ってきたものの中でも最高級のひとつになったよ」と彼は言う。エビの旨味と卵のコクが混ざり合い、オランデーズソースが味をまとめ上げている。たしかに絶品だ。

食べ終わった頃にはすでに3時前。今夜の寿司パーティにはたくさんの友達を呼んでいる。準備にそろそろ取り掛かろう、という話になり、母屋に戻る。今夜のメニューは揚げ出し豆腐、カニの味噌汁、鹿肉ロースの焼き肉、クルマエビの天ぷら。寿司ロールのためにはコーホー・サーモン、カニマヨペースト、ホタテ、エビ、そしてアボカドやきゅうりが控えている。申し分ない。

僕は寿司米を炊き、まりこが味噌汁をさっと作って前菜としての揚げ出し豆腐に取り掛かる。さすがは栄養士、どの味付けも極めて日本的で繊細だ。サシャは寿司のための野菜を切り刻み、僕はサーモンとホタテにナイフを入れる。

しばらくするとタモが犬のモチコを連れてやってくる。なぜかJJも村から自転車で突然訪れてくる。にぎやかになりそうだ。揚げ出し豆腐も好評、寿司もどんどんなくなり、僕とタモで交代でどんどん巻いていく。

「はじめまして。私はクイン。このカニ、私が獲ってきたのよ」
たくさんの寿司が卓上に並び始めたタイミングでやってきたのは、小柄なブロンドの女性だ。
「ようこそ。獲ってきたってことは、君は漁師か何かなのかい?」
「海洋生物学者なの。ハイダ評議会からの仕事で、ハイダグワイの海で海藻の調査をしているのよ。潜るたびにそこらじゅうにカニがいるから、時々お土産に持って帰ってくるの」

先日に湖で会ったビーバー対策チーム同様、ハイダグワイでは環境保全の仕事についている人に出会うことが多い。ハイダ評議会が研究者を雇ったり、国立公園事務局が調査を行なったりしているためだ。海と陸両方において、ハイダ族の文化と結びつきの強い植物や生物を調査し、未来に残すために保存しているのである。

「英語が話せないから、付きっきりで助けて欲しい」とまりこから当初は頼まれていたが、一昨日から仕事の都合上ほったらかしにしていたこともあって、彼女もひとりで僕の友人たちとコミュニケーションを取れている。
やはり外国語を話すということの最大の障壁は、実際に会話するチャンスをつかむことだ。いくら語彙に乏しかろうと、一度コミュニケーションを始めるというハードルを乗り越えてしまえば、あとはどうにでもなるのである。近所の僕の友人たちが、極めて素晴らしい人格を持った楽しい大人たちである、ということも幸いした。

21時ごろにジュディおばちゃんに呼び出しを喰らって、村に顔を出しに行く。毎週恒例のボードゲームナイトである。途中参戦早々に勝ち進むと、「あんたも可愛げがなくなったわよね」とおばちゃんたちに言われる。なんやそれ

23過ぎに帰宅すると、流石に友人たちはすでに帰っていた。まりこがまだ起きていたので、テニスボールでの筋膜リリースのやり方を教えてもらう。ボールで背中をほぐすのはなかなかに痛いが、終わった後は身体が地面に沈み込んでいく感覚がある。心地よく眠りにつく。

2/11(日)

9時に起きると、昨日の寿司パーティの残骸がそこらじゅうにあった。特にお酒を飲み散らかしたわけでもないので僕自身の気分は正常だが、リビングルームはひどい二日酔いのような状況だ。まりこが淹れてくれた緑茶を啜り、残り物の寿司を朝ごはんに食べる。そのあとは手分けして家の掃除をする。

一時間ばかしでリビングはすっかり元通りになった。ハウスパーティのホストは少し大変だが、それでもたくさんの友達を家に招いて同じ時を過ごせることに比べれば後片付けなんて大したことはない。

昨日に続いて、河原でヨガをすることにする。サシャも嬉しそうに混ざる。今日の空気は昨日に比べると心なしかひんやりと感じるけれど、太陽が出てくるとじんわりと暖かい。インストラクターのまりこには簡単なヨガ英語(吸って・吐いて・力を抜いてなど)を昨日教えていたので、今日はよりスムーズに英語で指導ができている。これまで英語なんて全くと言っていいほど使ってこなかったはずなのに、数日の間でヨガを教えられるまでになるのだから、人間の学習能力の凄さを実感する。

感覚を研ぎ澄ませて呼吸をし、丁寧に身体を動かしていく。目の前で川の水が少しずつ満ちていくのが、音で感じ取ることができる。この土地とのつながりを形而上的に理解する。やはり瞑想もヨガも、土の上でやるべきものなのだな、と思う。水面を切る音がして目を開けると、つがいのカナダグースが川に降り立っていた。

「地球の中心には、それはそれは美しいクリスタルがあるといわれています」最後の瞑想で、まりこが続ける。
「息を吐いて自分自身の根っこを地球のコアまで伸ばし、息を吸ってクリスタルの美しいエネルギーを取り込みましょう」
彼女がヨガを教えるときに語ることが、正しいか正しくないかなんて僕にはわからない。ただ、その物語が僕の意識を少し開いてくれるという感覚は確かにある。東北のイントネーションもどこか心を落ち着かせてくれるものがある。

***

ヨガを終えたときには、潮がすぐそこまで上がってきていた。あと一時間で満潮なのだ。午後にはタモのカヌーを借りて遊ぼうと話していたので、パドリングウェアに着替えてカヌーを取りにいく。

まりこを前に載せて、ウェーダーをきた僕がカヌーを水中に誘導し、後ろに乗り込む。カナディアンカヌーに乗るのも、シングルパドルでパドリングをするのも、僕は初めて。潮の動きがゆっくりになってきた裏のチョウン川を下っていく。

裏の川や河口の潮汐の変化は、近くで半年ほど暮らして体感的に頭に入っている。ゆったりと潮が変わっていくタイミングでまた川を登っていく。
「こんなに美しい水面の散歩道がすぐ裏にあるなんて、幸運なことね」と彼女は呟く。その通りだと思う。

「最後にお願いがある。初日に行ったゴールデン・スプルース・トレイルと、村のアートショップにまた連れて行って欲しいの」カヌーから降りたあと。彼女は明日午後の便でバンクーバーに飛び、明後日には日本に帰る。
「もちろん。ショップだったら今からでも行けるよ」

***

カヌーをタモの家に帰し、着替えてから村の奥にあるアートショップに向かう。「サラのロングハウス」というお店で、お土産物屋でもありつつ、地元の人々がプレゼントとして現地アーティストの作品を買いに来るようなお店だ。

まりこは最初からアージェライトのペンダントにしか興味がなかったようだ。アージェライトは世界でもハイダグワイのとある山でしか取れない、貴重な鉱石。ハイダのアーティストのなかにはアージェライトを使って彫刻をする人々もおり、彼女はそれらの作品に釘付けだった。

「この『三日月』のペンダント、見せてもらえますか」と彼女が店主に聞く。店主がガラスケースからペンダントを取り出し、箱を開ける。それはそれは美しい彫刻だった。
「月はハイダにとって大切なモチーフ。ワタリガラスが世界に散りばめた光のひとつね。暗闇を照らす存在として、逆境のなかで導いてくれる光でもあるわ」
店主がそう教えてくれる。

「ワタリガラスのペンダント、ありませんでしょうか」とまりこがさらに聞く。もともとお目当てだった月のペンダントは手に入れたはずなのだが。「数点あるはず。ほら、これはワタリガラス。素敵な彫刻ね。なかなか高価だけど」
そう店主が最初に見せてくれたものは、確かに逸品だった。アワビの貝殻であしらわれた目が印象的で、仕上げの研磨も群を抜いて巧みだ。アージェライトの持つ質感が存分に発揮されている。

そのワタリガラスのあとにも店主は数点のペンダントを見せてくれた。ただ、最初に彼女が手に取ったワタリガラスのものに比べれば、凡庸とまではいかないまでも、直感に訴えかける何かが欠けていた。少なくとも、彼女のまなざしからそう感じ取ることができた。

「わたし、これも買います」まりこが言った。「お金なんてあとでまた稼げばいいから」目を丸くする僕にそういって、彼女はクレジット・カードを差し出す。

店を出たとき、目の前の入江の向こうには夕陽がこれでもかと輝いていた。水面はガラスが敷き詰められたかのようだ。
「よくそんなに大きな買い物を即決できるね」
「石ってそういうものなの。どんな場所で、誰の手から手に入れるか。今日この場所で、このお店の方において、この村のアーティストの石と巡り合った。そのことが一番大切で、そこにお金は惜しまないようにしているの」
ふたつのアージェライトを迎え入れた彼女は満足げだった。
「まあ、この石たちが私の元に留まってくれるかもわからないんだけどね」

***

帰り道、タモからメッセージ。「家でスーパーボウルを見ないかい?ゲームの後、サウナにしよう」昨日のパーティの残り物を持ってタモの家に行くことにする。

彼の家に着くと、ゲームはすでに始まっていた。初めて観戦するスーパーボウルであり、人生2度目のアメリカンフットボール観戦である。相変わらずため息が出るほどの広告の量でうんざりしてしまうが、ゲーム自体はとてもエキサイティングなものだった。いわば「アメリカ性」というものを数十倍に凝縮したかのようなイベントなのである。そんなものから遠い場所にいることがとても嬉しい。

改めて広告という概念が存在しない島にいられていることに感謝してし尽くせない。広告がない世界はこうも美しいのだ。

タモがまりこに2年前の日本旅行のアルバムを見せている。妹のミドリとふたりで半年間日本を旅した時の記録だ。がっしりとしたアルバム本にたくさんの写真がコラージュされている。アルバム作るのっていいな、と思う。

延長線までもつれ込んだゲームが終わった後、3人でサウナに入る。まりこは初サウナだという。じっくりと全身を温める。今日は外で運動している時間も長く、体が冷えていたのだ。

サウナからあがった後、タモの家にあったカレールーを使ってサーモンのカレーライスをつくる。まりこに手順を指示してもらいつつ、玉ねぎとにんじん、じゃがいもを炒め、サーモンを混ぜて火を通す。水を入れて煮込む。この段階でサーモンの出汁がしっかり効いていて美味しい。ルーを贅沢に入れて仕上げる。
鮭カレーの出来は言わずもがな。どこかしら懐かしい味に舌鼓を打つ。

「ハイダグワイに来ていちばんの驚きはなんだった?」とタモがまりこに聞く。
「新しいものが見つかったというより、自分の遠野での生活とここでの生活が想像よりも相当似通っていることがびっくりだった」
僕もハイダグワイに最初に着いた時、言いようのない懐かしさを感じたのを思い出す。

カレーを平らげ、タモにおやすみを言って別れる。
「素敵な兄貴分ね」帰り道の河原で彼女が言う。
「そうだな。タモみたいな男が隣人なのは本当に幸運だったと思う」
「ここの大人たちは皆、本気で遊んでいるのが素敵」
寝る前にクラフトビールを半分こにして飲み、また筋膜リリースをして寝床につく。

2/12(火)

昨晩の残りの鮭カレーを温めて朝食にする。朝に食べる二日目のカレーほど素晴らしいものってあまりないのではないか、と思う。

一週間ほどハイダグワイまで遊びに来ていたまりこも、今日の便で本土に戻り、明日日本に帰る。サンドスピット空港を15時に出発する便だ。サンドスピットまでは三時間ほどかかるので、昼前に家をでる。

最後に少しビーチに行きたい、と彼女が言うので、隣のサルサも連れて外に出る。遠野の友人が僕のいつもランニングコースにいるというのがやはり不思議だ。

潮が大きく引いている。ビーチは昨日の満潮線から300メートルほど後退し、海水がゆっくりと引いていく砂浜はまるで鏡のようだ。サルサは何度も木の枝を投げてと走り回り、少し離れたところでまりこが歌いながらついてくる。

「はじめての海外旅行は10年前、おばあちゃんと家族とベトナムにいった」と彼女は言った。
「そして今回が初めての海外一人旅だったんだけど、おばあちゃんが一緒に来てくれているような気がするの」

遠野では故人は山に還ると語られ、ハイダの人々は人は死ぬ際にカヌーに乗り、引き潮と共に海に旅立つと教えられる。生まれ育った遠野盆地の山を越え、太平洋を渡ってきた彼女は、その引き潮に何を見ていたのだろう、と思う。水平線はあくまで白く、遠くに見えるはずのアラスカは今日は望めなかった。

***

マセットからサンドスピットを目指して車を走らせる。道中のポートクレメンツ村で、もう一度訪れたいと頼まれていたゴールデン・スプルース・トレイルに寄る。

「やっぱり二月の、この新月のタイミングでここに来れて、本当に良かった」
おもむろにブーツを脱ぎ、彼女は裸足で苔むす森に踏み出す。裸足で森を歩くことの大切さを教えてくれたウプサラ時代の友人のことをふと思い出す。

「日本でハイダの神話は生まれなかったのと同じように、この地で『もののけ姫』が生まれることもなかっただろうね」とまりこが言う。
「その地の自然が人間に訴えかけてくるメッセージというのは、いくら植生が似通っていたとしても全く違うものなの」
ハイダグワイにいる一週間、彼女は自身が自然から感じたことの多くを僕に伝えてくれた。その真意のほとんどを、僕はなんとなくでしか理解できていないと思う。ただ、それほどまでのメッセージを自然が僕たちに伝えているということは、かろうじて感じ取ることができた。

サンドスピット行きのフェリーのゲートが閉まる寸前でなんとか乗船し、南島に渡る。二匹のワタリガラスが何か意味ありげにフェリーの管制部の上で声をあげていた。

「言いたいことは大体伝えておいたはずだから」とまりこは助手席で旅を振り返り、一仕事を終えたかのごとく言った。
「去年の夏に遠野に来た時、丹内山神社に連れて行ったでしょ?その時に、君はある荷物を持たされてこっちに来たのよ」
「荷物?」
「君は土地に呼ばれて二年前遠野に来たのだし、今回もこの土地に呼ばれて君はハイダグワイにいる。私も同じ。そうでなきゃ、こんなところには行きつかない」

本当に大切なことは目には見えない。その目に見えない何かに対して、どれだけ感覚を澄ませることができるか。太陽を、月を、海と風を読み、どれだけ自身の野生を呼び起こすことができるか。そんなことの大切さを、今回の友人の訪問で再認識した。

彼女はサンドスピット空港の出発ゲートをくぐり、にこやかに、そしてまるで何かのしるしのように手を挙げ、消えた。小さなプロペラ機はささやかな騒がしさを残し、2月にしては珍しく雲ひとつないハイダグワイの空に飛んで行った。

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サンドスピットに来ることは当分ないだろうと思い、近くのトレイルを歩く。ドーヴァー・クリークというトレイルがフェリー乗り場までの道のりにある。昨日タモに教えてもらったものだ。

すぐそこの湾に流れ込む小川が心地よい音を立てている。じっとりと生命の香りを含んだ空気が支配する空間だ。傾きつつある陽光が木々の隙間から差し込み、苔だらけの地面をパッチワークのように彩っている。滑らないように気をつけつつ、森を歩く。友人が日本から持ってきてくれた言葉を消化する、ひとりの時間が必要だった。

都会でひとりぼっちでいることは孤独だけれど、自然の中でひとりぼっちでいることには寂しさは存在しない、と彼女は言った。自分が住んでいる場所に友達が遊びにきてくれるということは、大学を卒業して東京を後にして以降、度々あった(大変ありがたいことに)。友人が帰って一人残された時には、心にぽっかりと穴が空いたような、そこはかとない寂寞を抱えたものだった。ただ、今回友が去った後に自然の中にひとりで立ち尽くしていると、何かしら諦観のようなものを得た感覚があった。

人はある時に現れ、そして時がくれば去っていく。それが理というものだ。僕たちは結局のところ、この地球において、ひとりで自分の生と対峙せねばならない。そんな半ば諦めにも似た感情である。

フェリーでスキディゲートまで渡り、マセットを目指してひた走る。何か物語が欲しくなって、オーディオブックで村上春樹の短編集「女のいない男たち」を聞く。この短編集に収録されている「イエスタデイ」が気に入っている。

帰宅して、残りのカレーライスを平らげてしまう。なかなか長い運転だった。一缶残っていたビールを飲む。その夜、別の友達と電話をする。つい最近会社の登記を済ませたというので、どんなビジネスをやっていくかについて聞かせてもらう。外国人観光客向けの食事オプションを増やすことや、いわゆる観光ランドマークではないローカルな場所に案内するようなアイデアを練っているらしい。

その土地や人々のあいだにあるコンテクストをいかにリスペクトするか、という主題で面白い会話ができた。UAEに留学経験があるその友人とは、日頃頻繁に連絡を取り合うわけではないけれど、数ヶ月に一回まとまった時間話し込むというのが恒例になっている。いる場所や仕事内容がここまで離れていても、コアにある部分で話し合えるのは楽しい。

まりこが置いて行ってくれたテニスボールで筋膜リリースとストレッチをし、心地よい眠気に誘われてベッドに潜り込んだ。

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