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ひみつ基地【ハイダグワイ移住週報#26】

この記事はカナダ太平洋岸の孤島、ハイダグワイに移住した上村幸平の記録です。

2/26(月)

今日から隣のタモの家で大工仕事のお手伝いをする。「セントー・プロジェクト」と謳われる今回のプロジェクトは簡単な銭湯式温浴施設をつくることになる。タモの敷地の一角に五右衛門風呂・水風呂・バレル型サウナとともに脱衣所や畳を敷いた茶屋を作り、ハイダグワイの自然の中でのリラクゼーションを提供する施設だ。施設といっても近隣の友達とともに楽しむためになりそうだが。

ワークパンツとワークジャケットを着て、ワークブーツを履いてタモの家に行く。昨晩あったクリスとタモが誰かと電話を繋ぎ、最終施工図の確認をしている。タモの叔父ハビエルも建築関係の人間らしく、大工のクリスと意見を交換している。

まず着手するのは基礎づくりと整地。風呂を作る敷地には古いスクールバス、巨大の木の樽、そして離れたところに新しい屋根の枠組みがある。薪小屋になるはずだったその大きな枠組みを風呂の屋根にするため、そのまま風呂ゾーンまで運ぶ必要がある。
「今日の夕方に15人ほど友人たちを呼んでおいた。みんなで持ち上げて動かせるはずだ」とタモ。こちらの人間はふつうにキャビンや家を将棋のコマ感覚ですぐ移動させたがる傾向がある。

持ち上げる時に軽いように、屋根のトタン板を外す。枠組を運ぶ際に障害になりそうな木々や枝をチェンソーで刈っていく。パワードライバにしろチェンソーにしろ、半年前には触ったこともなかったものを普通に使えるようになっていることに成長を感じる。

クリスにはタロンと似ているところがある。同じく大工仕事を教える傍ら、自分の敷地でさまざまなプロジェクトを進めている。僕への指示や仕事の段取りを見ていると、この人はやわな大工ではないな、と感心させられる。

「バンクーバーで育ったんだけれど、叔母の住んでいたヘーゼルトンに遊びにいく夏の数週間がたまらなく好きだったんだ。若い頃はオーストラリアやニュージーランドで機械いじりや畑仕事をしつつ放浪して、どこかに落ち着きたいと思った時、叔母のあの田舎町がピンときたんだ」
ランチにアボカドトーストを作りながらクリスはこれまでの経緯を語ってくれた。やはり大工仕事や機械関係にある程度明るければ、どこでも生きていけるものだ。大工、電気技師、配管工といったトレード・ワーカーは一目置かれている。

昨日は凄まじい吹雪だったのに、今日は打って変わって雲ひとつない静かな快晴。外仕事にぴったりだ。とはいえ、風呂予定地は木々に囲まれてあまり火が入らないので、ずっと動いていないと体が冷えてしまう。五右衛門風呂の基礎として砂利を敷き詰め、水平にタンピングしていく。

かくいうタモは先週からコロナにかかっており、その後遺症なのかずっとふらふらしていて朝以降寝ている。大丈夫かな?夕方にみんなが来る前に屋根を動かす準備をしておく。刈り取った木片や枝を燃やし、屋根を据えつける土台部分を整地する。

4時過ぎになると近所の友達たちがぞくぞくと現れる。タロンとルークはもちろん、奥の橋沿いに住むレヴィやアグース、シャーとヴィグラム。日本旅行から帰ってきたミドリとダンも。友達が近くに住んでいて声をかければすぐに集まってくれるこの近所関係がとても好きだ。

クリスが指揮をとり、柱を12人で持ち上げる。12人でぎりぎり持ち上がるといった格好だ。数回休憩を挟みつつ、20メートルほど移動させる。

一仕事終えた後はタモが用意してくれたいなり寿司と味噌汁をみんなで食べる。まさに炊き出しだ。すこしの間、いつもの友達や久しぶりに会う友達と談笑にふける。ダンとミドリは日本をめいいっぱい楽しんできたようでよかった。

そのあと、タロンがクリスに僕らの家やキャビンを見せてまわっていた。大工同士、いろいろと話が弾むようだ。「ここのディティール、どう仕上げたの?」「焼杉の仕上げ方が素晴らしい」など。僕は彼らの仕事ぶりを見て、ああ美しいなくらいの感想しか持てないが、技術があるとその「ああ美しいな」を生み出す背景が見えるのだろう。もっと知恵と技術をつけていきたいものだ。

夕飯にはサーモンでココナッツカレーを作り、タロンとサシャの3人で食べる。サーモンの出汁が素晴らしい。カレーはいつも外さない。明日は早番の仕事。本を読んで寝る。

2/29(木)

友人たちが5時ごろに電話をかけてくる。東京にいた頃、フリースペースのように入り浸っていた高円寺のアパートから、ついに友人が退去するらしい。懐かしい思い出がたくさんある場所が消えてしまうのは少し寂しい。思い出に浸る。

その友人は3月から福島に移住する。東京の大学時代の友達たちがぱらぱらと東京を去っていく。彼らの新天地での活動にワクワクするとともに、東京に戻っても会えないという寂しさもある。

***

二度寝して8時過ぎに起きる。まだ昨日の雪は残っているが、天気は悪くない。海から聞こえる波の音に耳を澄ませると、テンポよくサーフが立っているように聞こえる。きっといい波だ。隣のルークはそそくさとトラックにボードを積み、ビーチに走っていく。僕は昨日のランニングから膝に違和感があるので今回はパス。

うちの敷地にはまだ雪が残っており、あまり外の作業はできなさそうだ。タモの家の銭湯プロジェクトを手伝いに行く。家で作業するもの楽しいが、やはり誰かと一緒にプロジェクトを進める方がにぎやかでやりがいがある。

銭湯予定地では昨日と同じくクリスとスカウトが作業をしていた。何か手伝うことはある、と聞く。
「風呂桶につながるようにウッドデッキを作るんだ。今日はそのための基盤づくり。コンクリートブロックを水平に埋め込んで欲しい」とクリス。

仕事着に着替えて作業に取り掛かる。ウッドデッキは昨年秋に我が家のキャビンの外に作ったのでプロセスは頭に入っている。今回の銭湯まわりの土台はいわゆるコンクリートを流し込んでつくるわけではなく、表層の柔らかい土を取り払って砂利を敷き詰めて平にし、その上にコンクリートブロックを乗せるという簡易的なもの。とはいえ、ハイダグワイの、さらに辺境地であるトウ・ヒルのコミュニティにおいてはよくあるものだ。だれも建築基準なんてチェックしにこないのだから。

クリスがおのおのに指示を出し、タモと僕がデッキの基盤を、スカウトがデッキウッドを製材する。スカウトは数少ない女性の大工だ。

あっというまに昼下がりになり、ランチにする。今日はタモと彼の同居人であるローラが作ってくれたラーメン。鹿からとった出汁は優しい旨み。炒めたチンゲンサイとキムチの食感がたのしい。

緑茶とお餅の入った最中を食後にいただく。なんて日本的。村で用事があるので、1時過ぎに別れる。

***

さっと着替えて仕事の用意をし、村に向かう。今日は仕事前にロングハウスに向かう。おととい、スフェニアおばあちゃんに誘われたのだ。
「明後日、ドキュメンタリーの撮影でインタビューを受けるの。興味があるなら、1時半にロングハウスにおいで」

ロングハウスにはすでにスフェニアと、ふたりの若い男女がいた。握手をし、僕もとなりで座って話を聞いていいか、と尋ねる。快諾してくれたふたりは南部ダージン・ギーツ村の兄妹。ハイダグワイ・メディア・コレクティブのプロジェクトで、島の長老たちのインタビューを撮影しているのだとか。

スフェニアは幼少期を島で過ごし、その後に本土のレジデンシャル・スクールに送られてハイダの文化を剥奪された過去を持つ。その悲惨な寄宿学校時代について、彼女は静かに語る。
「インディアン・エージェントなる役人が突然村にやってきて、子供達を親から引き剥がすの。私たちはフェリーに乗せられ、プリンス・ルパート(ハイダグワイ対岸にある本土の港町)からエドモントン(カナダ内陸・アルバータ州の都市)まで貨物車に乗せられて連行されたのよ」
子供達は暗い倉庫のような荷台に乗せられ、五日間かけて遠く離れたスクールまで連れて行かれた。ろくなトイレもない車内では、すみっこで用を足すしかなかったという。「あの車内の鼻につく匂い、まだ思い出せるわ」

「シルヴィアという友人のことをよく覚えている。ある晴れた日、スクールのすみっこの林に二人で隠れ、彼女はわたしに故郷のサン・ダンス(先住民の舞踊)を教えてくれた」
カナダ政府とカトリック教会が運営していたレジデンシャル・スクールの目的は、先住民の子供が幼いうちに先住民らしさを殺してしまうこと。スクールで先住民の文化に言及することも、彼ら自身の伝統芸能を行うことも固く禁止されていた。
「わたしたちは修道女たちに見つかり、神父にひどく殴られ、右手の爪を3つも剥がされた。その上、小さな歯ブラシで学校の階段をすべて掃除させられたのよ」
骨がちになった手を眺めながら、彼女はそう教えてくれた。「おかげで、今も家の掃除は歯ブラシでやっているわ」と笑いつつ。

彼女が語るレジデンシャル・スクールの悲惨さには閉口するばかりだった。12歳の時、同じくハイダグワイから連れてこられた幼馴染がある日突然動かなくなり、そのまま亡くなったこと。白人の入れ歯にするために、健康な歯を抜かれたこと。就寝後に神父の気まぐれで足を掴んでベッドから引き摺り出され、殴る・蹴る・性的暴行などが横行していたこと。
「わたしはいつも布団から両足を出して寝ていたわ。いつでも抵抗できるようにね」

スフェニアは今、アルバータ州とカトリック教会を相手に訴訟を起こしている。1200万ドルの賠償金をめぐった民事訴訟だ。
「4月後半にバンクーバーに飛ぶ。わたしのためじゃないわ。スクールから生きて帰ってこれなかった魂たちのため、大きなトラウマを抱えた先住民コミュニティ全体のためよ」
カナダ政府は数年前にレジデンシャル・スクール政策について正式に謝罪をしたが、その補償は十分とはいえない。スフェニアが収容されていたスクールにかかわるアルバータ州や教会は歴史的事実を否認し続けている。カナダの司法の誠実さが問われている。

「わたしたちは今、『島に流れる時間』をテーマにインタビューを撮っています」
インタビューをするのはエリー。スウェーデンとスコットランドの血を持ち、ハイダグワイに移り住んだ両親のもとで生まれた兄妹だ。
「生活が海と、森と、風とともにあるこの島では、すべてがゆっくりと進みます。物事がどんどん加速していく現代において、何かを示唆できるストーリーを探しているのです」

「それは本当に大切なことね」とスフェニアは優しく微笑み、彼女の島での幼少期について語ってくれる。

「まだ私が島にいた頃、フローレンスという友人がいたの。すぐそこの通りの角に住んでいて、私たちは毎日裏の山からビーチに出て遊んでいたわ」
年上のフローレンスは薬草にも、海の動きにも詳しかった。森で木が揺れる音から天気を読むこともできたのだという。
「彼女と遊びに出ている時、日が暮れるまで家に帰らなかった。ビーチでは貝も海藻も取り放題だし、ベリーもたくさんある。外での料理に詳しい友人がいたのもあって、ずっと海や森で生きていたいと思ったわ」
ハイダの伝統的な家屋は海に面するように建てられる。海の潮の動きがここでの生活を規定している。「海とともに生きるということは、人々の生活や精神を穏やかにしてくれると思うの」

レジデンシャル・スクールから解放されたあと、ハイダグワイに帰ってきた彼女がみたのは精神的に疲弊したコミュニティだった。
「ひとびとの精神は卑しさと嫉妬に満ちていた。そんな感情は人々をどんどんと深みに押しやってしまう」
スフェニアがいつも心に留めていたのは、幼いことに祖父が授けてくれた言葉。『自分の中におこった感情を覚えておきなさい。次のその感情と出くわした時、よりよく対応できるようになるから』

「さまざまな人々の尽力もあって、私たちのコミュニティのヒーリングはだいぶ進んできた。人々を支配していた妬みの感情も少しずつ消えていき、今ではお互いに正面から向き合い、励まし合うことができている」
バンクーバーで郵便配達員として必死に働きながらシングルマザーとして7人の子供を育て上げた彼女。19人の孫と12人のひ孫はすくすくと成長している。世代間トラウマの爪痕が今もなお残る先住民コミュニティにおいては稀有な健全な家庭を築いてきた。
「それでも、子供達を島で育てられなかったことは後悔している。島に帰ることができず、バンクーバーの都会で生き延びることに精一杯だったのよ。自分たちのルーツや、伝統的な食事を知ることができないほど悲しいことはないものね」

島に生まれ、故郷から引き離され、都市で生き延びた彼女がハイダグワイに帰ってきた時、すでに彼女は60歳になっていた。『ハイダグワイで生きる』ということを、彼女は人生を賭けて勝ち取ってきたのである。
「この豊かで、質素で、静かな島での生を、私は必死になって取り戻したの。4世代の家族がいて、そこかしこにベリーが花をつけていて、海の幸はいつも腹を満たしてくれる。恵まれていると思うわ」

そのほかにも、スフェニアおばあちゃんは興味深い話をたくさんしてくれた。ハイダの伝統的家屋ロングハウスには時刻を読み取るための隠し窓があったこと、ハイダは十三ヶ月の太陰暦を使っていたこと、昔はハイダ語に10もの方言があったこと(初耳!いまでは三つ)など。ファイヤセレモニーで火に投げ込まれるタバコは伝統的な薬草として大切にされてきたもので、決して喫煙のためのものではなかったということも知らなかった。

ハイダの、ひいては全ファーストネーションのヒーリングのため、80歳になった今もなお戦い続けるスフェニア。家紋であるという「三つヒレのシャチ」か刻まれた帽子のしたの目線には、揺るぎない決意と覚悟が見てとれた。

スフェニアおばあちゃんと撮影している兄妹に礼を言って、仕事に向かう。今日のクライアントはご機嫌斜めだったので、寝かしつけるまでがいろいろと大変だった。帰宅後はずっしりと疲れがくる。シャワーを浴びてベッドに潜り込む。

3/2(土)

冷え込む日々が続く。雪は降っていないが、昨日までうっすらと積もっていたぶんが凍りついている。寒いけれど、天気は素晴らしい。朝ごはんを済ませた後、薪割り作業にかかる。ずっとほったらかしにしていた玉を薪割り機で割っていく。

冬が終わるまでに、次の冬の支度を始める。海岸に流れ着く流木は乾燥したものが多いため割ってすぐに燃やせるが、新しく切り倒した木は少なくとも一夏乾燥させなくてはならない。暖かくなる前に薪小屋にたくさん薪を蓄えておかなくてはならない。

割り切ってしまった後、隣のレイチェルと散歩に出かける。エレーナをベビーカーに乗せ、サルサとタスの二匹の犬は勝手に歩かせる。タモの家を覗いた後、風の吹き付けるビーチを歩く。散歩の間、レイチェルのこれまでを聞かせてもらう。

「看護学校を終えて、ユーコンで数年働いていたの。そこでの辺境地的な生活がとても心地よかった。私もバンクーバー島育ちだし、ハイダグワイに惹きつけられたのも必然的なものね」
レイチェルは24歳のとき、ハイダグワイに看護師としてやってきた。それから10年。ルークという島育ちのパートナーに出会い、僕の家の裏の敷地を買い、2年前には娘を授かった。
「キャンピングカーやおんぼろバスに寝泊まりしながら、ここで生き抜いてきた。なんでもしたよ。ときどき島を離れて都市を訪れることもあるけど、帰ってきた時には毎回『こんな場所に帰る場所があるなんて、なんて幸運なの!』って思うの」

偶然フェイスブックでメッセージをくれたタロンの家に住まわせてもらうことになり、自分の住処となったトウ・ヒルのコミュニティ。ハイダグワイでも最も隔絶されたエリアだが、すぐ裏を流れる川、なんの人工物も見えないビーチがあり、そして素晴らしい仲間たちが住んでいる。
「このコミュニティがとても心地よいの。お互い助け合ったり、食事をともにしたり、ただただ同じ時間を過ごしたり。住む場所は選べても、近所に住んでいる人は選べないのだから、心和むネイバーたちがいるのもラッキーなことね」僕も同意する。彼女のような隣人がいるのは本当に幸運なことだ。

ベビーカーでぐっすり眠りついたエレーナを起こさないようにゆっくりとトレイルを進み、家に戻る。キャビンではタロンがビーフシチューとチーズバゲットのランチを作っていた。タモの家でお手伝いをしていた5人の友人も一緒に食事をとる。太陽の差し込む河辺に向かって大きく開く窓があるキャビンはとても明るく、暖かい。

***

食事後、すこし薪仕事をし、昼寝をする。野良仕事をする土日の午後の昼寝は本当に心地よい。6時前に起きる。夕食はタモの家でタコスを食べようと話していた。差し入れのビールを抱えて隣に向かう。

タモの家には妹のミドリ、彼の同居人のローラ、銭湯大工のクリス、スキディゲートから遊びに来ているヘールとスペンサーもいる。コーンフラワーを練ったお手製トルティーヤにカラフルな具材を挟んでいただく。

銭湯プロジェクトがもっぱらの話題である。タモもミドリも母親が日本人で何度も日本を訪れており、ローラもなぜか日本事情に詳しい。「どんな名前をつけるのがいいだろう?」と小一時間話し合う。

案として出たのは「焼杉湯(杉を焼いてウッドデッキをつくるから)」「長ぐつ湯(ハイダグワイ生活に欠かせないアイテム)」「ちょうん湯(裏を流れるチョウン・リバーにならって)」。みんなのお気に入りは長ぐつだったが、タモは微妙そう。

「銭湯の使い方案内板はぜったいに漫画形式にしたいの!」
ローラは興奮気味に語る。彼女が以前乗っていた三菱デリカの説明書にたくさん漫画が載っていたらしく、その写真を見せてもらった。たしかに、日本の標識なり案内なりには必ずと言っていいほどイラストが描かれている。お国柄なのだろうか。

タモとローラ主導の銭湯プロジェクトはなかなかシリアスなもの。今後畳が3枚と中古の自動販売機も届くのだとか。日本の銭湯の自販機には何が入ってるのと聞かれ、「乳製品とポカリ」と答えるととても笑われる。風呂後に牛乳というのがどうしてもおかしいらしい。たしかに温泉や銭湯以外の自販機で牛乳を見たことってないな。

何はともあれ、自分の文化について語るということはいつも新鮮だ。銭湯プロジェクトもいいものになりそう。僕も手が空いている限り手伝おう。

3/4(月)

午前中は昨日割った薪を仕分ける。昨晩のフライフィッシュをオーブンで温めて、皿いっぱいのサラダとともにいただく。

午後からはまたとなりの銭湯プロジェクトをお手伝いに行く。今日はクリス、タモと自分の3人。風呂桶のなかには薪ストーブが設置され、風呂ゾーンには屋根も貼られ、デッキは焼かれてシャワー室の大枠もできてきている。一週間前までは何もない場所だったのに、なかなかの変容ぶりである。

「この岩、なかなかいいだろ」とタモが嬉しそうに見せてくるのは、苔むす大きな岩。岩石のほとんど存在しないハイダグワイの森で、苔の生した巨石を探して持ってくるのは簡単じゃなかったはずだ。なかなか日本庭園っぽい様式美だ。

クリスが的確に指示を出し、僕とタモはおのおの作業に取り掛かる。大工作業というのはつくづく段取りなのだなと思わされる。よく考えれば当たり前のことなのだが、建築物をつくるのには設計図とプランが必要で、現場では論理立てて、時には即興で作業工程を練っていかねばならない。クリスもタロンもどちらも人に指示を出し、手の動かし方を見せ、フィードバックを与えるのがうまい。

僕はシャワー室の屋根に登り、ガラス窓のはめ枠にシリコンでコーティングしていく。日が暮れる前に、風呂桶ストーブの煙突を据えつける。僕とタモで屋根のトタン板をこじ開け、煙突が突き抜ける穴を作る。

7時前でも明るい。それでも気温はぐんと下がる。飯の後にサウナにしよう、とタモと話しながら家に戻る。

タモの家ではローラが晩御飯を作っていた。鹿と鴨のこってりとした出汁のコクの効いたスープ、レンズ豆の煮込み、そして焼きたてのハードブレッドである。間違いない。僕がパンを口に運んで感嘆の声を出すたび、ローラが大笑いする。「あんた、ほんといい食べ方するよね」

タモの家はローラも含めた5人の共同所有となっている。ローラは母方がハイダベルグ出身でアラスカ・ハイダの血を引いているが、バンクーバーで里親に育てられた。何度も自分のルーツであるハイダグワイを訪れるたび、なんとか島に拠点を持てないか、と思っていたのだとか。そこで同じような状況にあったタモを含めた数人と意気投合し、僕の家のとなりの敷地を買ったのだという。よく喋り、よく食べ、よく笑う快活な姉貴だ。

銭湯スペースに移動されたサウナに向かう。いままで家の前に設置していたサウナは今では森の中に移動させられている。石油ランタンを照らす。

クリスはもう木曜日に帰ってしまうのだという。そこまでにどれだけプロジェクトを進められるだろう。
「ヘーゼルトンに来るなら6月後半がいい。心地よい音楽フェスもあるし、うちの敷地の池にはサウナもある」

周りに面白い友達がたくさん住んでいるおかげで、彼らを訪ねてカナダ本土からやってくる素敵な友達とも出会う機会が多い。カナダ内にも訪れなければならない場所や人がどんどん増えていく。素晴らしい気分で寝床に向かう。

3/7(木)

じっとりとした天気。ハイダグワイらしい雨である。マッシュポテトの残りにチーズを加えて温め、ベーコンエッグとともに朝食にする。

原動機つき薪割り機のスターターロープを再びちぎってしまい起動できないので、諦めて斧で薪割り。あまり多くなければいいエクササイズになる。テンポよく、足をぶった斬らないように注意しつつ斧を振り下ろしていく。まだ新鮮なシラカバの木はなかなか簡単には割れてくれない。根気のいる作業である。

タモの銭湯プロジェクトを手伝いに来ているクリスも今日が最終日。夕方のフェリーで本土に帰る。数時間手伝いに行く。今日は僕とクリスもふくめて5人での作業。

10日前までは何もなかった場所に、五右衛門風呂、大きな屋根と煙突、広々としたウッドデッキ、バレルサウナ、シャワールームと脱衣所が完成しつつある。今日はシャワールームの壁板を貼り、天井に苔を生えさせるための土台を作る。

大工仕事もクリエイティブでとても興味深いけれど、やはり友達たちと外で共に働くというのが最高に楽しい。手を動かしつつ、じわじわと出来上がっていく銭湯エリアを見渡してはお互いにんまりと笑う。ここに自販機があればいいんじゃない?コーヒー牛乳はあり?のれんのデザインは村のどのアーティストにお願いしようか?なんてことを喋りながら。

ここの敷地を買ってからの兼ねての念願プロジェクトだというタモは嬉しそう。ドキュメンタリー監督・ 財団職員として二足の草鞋を履きながら、自宅のプロジェクトを進めるのは簡単ではないはず。それでも時間とお金をかけ、周りの力も集めながら自分の作りたいものを作っていく。そのためにクリスもわざわざ二週間仕事を休んで本土からやってくるのだから、タモの人望にはつくづく脱帽せざるを得ない。

じっとりと服を濡らす雨の中二時間作業をし、銭湯プロジェクト第一フェーズが終了となる。

タモたちの家ではローラが鹿スープとガーリックトーストのランチを作って待ってくれていた。外で長いあいだ作業をした後はスープが沁みる。仕事に向かう前にクリスにお別れを言う。

クリスは本土に帰り、タモもドキュメンタリー上映ツアーのため三週間アラスカを転々とする。僕も北欧に少し出ているので、プロジェクト再始動は少し先になりそう。

3/9(土)

「いいサーフが立ってそうだ。ビーチで焚き火を焚いてスープとパンを作ってランチにしよう」
朝起きたあとのコーヒーを啜っていると、同居人のタロンが興奮気味にやってくる。今日の満潮は12時過ぎ。10時過ぎに出かけることにする。久々のサーフ・デイ。

トラックにダッチオーブン、水筒、スープとパンの材料、焚き火用の薪、ウェットスーツを積み込む。アーセナルの試合は後半途中でスコアはドロー、最後まで見られないのは惜しかったが勝ってくれることを祈って助手席に乗り込む。

こうしてタロンとふたりでトラックに乗り込み、外遊びに出かけるのも久しぶりだ。彼も僕もここ二ヶ月ほど仕事で忙しく、昨年夏や秋のように魚釣りや狩りに出かけることも減っていた。

家からビーチづたいに東に10分ほど走ったところにタグワールというサーフスポットがある。11時前に着くと、すでに海には真っ黒の分厚いウェットスーツを着たサーファーたちがそこかしこに浮かび、波を待っていた。60キロ向こうのアラスカの島々が望める晴天、風もほとんどなく、波もいいサイズのものがテンポよく押し寄せている。シーズンのなかでも特に素晴らしいコンディションだ。

ファイヤピット(焚き火口)でも子供達と犬が遊んでいた。近所の友達に挨拶をし、いい波に乗った仲間たちに口笛を吹いて冷やかす。長い木の棒を3本建てて即席の囲炉裏を作り、そこにダッチオーブンをぶら下げる。チキンと野菜を炒め、スパイスを加えて鴨の出汁で煮込む。

スープを煮込んでいる間、海に入る。ウェットスーツをぎこちなく着込み、ロングボードを担ぐ。波の小休止をぬってパドリングして沖に出る。

久しぶりのサーフィンということもあったのか、それとも今日の波は初心者には大きすぎたのか、なかなかテイクオフすることができなかった。波を掴んで立ち上がるのが遅いのか、ボードごとひっくり返されてしまう。30分ほど波に流され巻き込まれ、海から上がった。今日はむずかしい。

ファイヤピットには二時間以上も海に入っていた友達たちが暖をとっていた。生粋のサーファーであるタモとラヴィは興奮気味。僕と交代でタロンがハンナと海に入る。スープ番をする。いつもの小さなサーフコミュニティの友達のほか、サーフ旅でハイダグワイに二ヶ月ほど来ているというカップルもいる。

ハイダグワイ北浜は特徴的な形をしている。半円とまでは言わずとも、ゆるやかなお皿のように湾曲しながら長いビーチが続いている。そのため、風の吹く方向によっていい波が立つ場所が変わる。遠浅の砂浜は素晴らしいサーフを生み出し、その日の時間によって好きな場所を選んで波に乗ることができる。水温が年中10度台ということを気にしないハードコアなサーファーにとってはたまらない環境なのだ。

タロンたちが海から上がってきたタイミングで小麦粉に水を加えて練り、簡単なビスケットを焼く。スープの付け合わせだ。チキンスープをコリアンダーと塩で味を整える。

焚き火の横のベンチでサーフ上がりにビールを傾けながら、鴨の出汁の効いたチキンスープをいただく。素朴な味が身に染みる。ビスケットも上出来だ。つくづく料理のうまい同居人がいてラッキーだと思う。3歳のタリアとサシャも嬉しそうに方張っている。

「夕方、潮が引いたらスピットまで行かないかい?」とタモ。スピットというのはハイダグワイ東端のローズ・スピット(岬)だ。ビーチを30分ほどドライブした先にあるサーフスポット。サーファーの皆はにんまりとして頷く。

焚き火を囲んでのんびりとしていると、どこからともなく色んな人がビーチにやってくる。タロンも誰彼構わずスープを勧め、いっしょに火を囲んで食べる。親子連れがおり、カップルがおり、孤高のサーファーがおり、散歩に来たおじさんがいる。犬たちもたくさん。世界の隅っこのすばらしい週末である。

「先週はレノ湾(ハイダグワイ西海岸)でダイビングをしてきたんだ。世界が変わったよ。地球の表面の七割ちかい海の下に、まだ知らない世界がたくさんあるんだ、って」
素晴らしい波を数本乗って満足げなジェフが、妻のクララが海に出たのと交代で子供をあやしながら語る。潜って美しい場所もあれば、波に乗って楽しい場所もあり、漕いでしか辿り着けない場所もある。こんなに小さな島なのに、すべてを味わい尽くすには人生がいくつあっても足りないよな、と笑い合う。ハイダグワイだけで1ダース人生が必要なら、世界の全てを見るには一体いくら命があればいいというのだろう?

焚き火を片付け、一度家にジャケットを取りに帰る。猫も連れていくか、とタロンがサミーをトラックに乗せる。後部座席には我が家の犬のウォーリー、そしてサミーが行儀良く座る。待ち合わせ地点には数台のジープとトラックに友人たちが乗っている。窓ガラス越しに頷き、ビーチを東に直走る。

「こんなに飛ばしたことねえよ!」
タロンは興奮して叫ぶ。アクセルをベタ踏みしたトラックは、潮の引いたビーチを160キロで走る。タモたちのジープも追走する。マッドマックスの世界線のように、数台のトラックがショックウェーブにも似た水飛沫を立てて爆走していく。

川を渡り、ビーチを走り、また川を渡り、ビーチを暴走してスピットに着く。家の前のビーチは北向きだが、スピットまでくると西向き、ちょうど太陽が沈んでいく様が見える。心なしかアラスカの山々も近く見える。いくつかの島は白く雪を抱いている。あそこでスノーボードしてえな、とダンがスーツに着替えながら言う。

スピットの波はタグワールの波とは比べ物にならないくらい早く、大きい。上級者向けのサーフスポットである。僕はそんな波に打ち勝てるほどまだ上手くないので、浜で焚き火をしてサーファーを眺める。10人ほどが浮かんでいる。

そういえば、スピットに着いてすぐ猫を離したんだっけな。猫をビーチに連れて行ってもいつもすぐ走ってトラックに戻ってくるから、放っておいていいだろう、とタロンが外に出したのだ。

僕らのトラックを探してみても、どこにもいない。周りの車の下を覗いても、いない。これはまずいことになった。猫が家から飛び出して二週間帰ってこないことはあったが、あれは家の周りだからよかった。今回は島の東端、流木と草っ原しかない遠隔地中の遠隔地である。隠れる森もない。外にはイーグルもたくさん飛んでいる。

皆が海で波乗りに耽っている間、浜では僕とタロン、そして海に入らなかった友達たちで必死にサミーの名前を呼ぶ。手がかりはない。「犬も人間もたくさんいるし、隠れる場所もないし、どこかで息を潜めてるんじゃない?みんなが帰れば出てくるよ」とローラ。

日が沈み、どんどん暗くなり、焚き火がどんどん強くなる。海に入っていた勇者たちも体を震わせながら暖をとり、ソーセージを焼いて食べる。ミドリが鮭おにぎりを持ってきてくれた。2個ほどいただく。ごま油が香る絶品。

焚き火を囲んでいつもの友達や久しぶりに会う友達を話す。焚き火は最高の談話室をつくってくれる。

真っ暗になるに連れ、どんどんと車が去っていく。そのたびに猫が飛び出してこないか確認しつつ、失望する。最後に残されたのはルークたちと僕らのトラックの2台。「明日、猫のおやつの袋を持ってきて探そう」とがっかりしたタロンが言う。

ルークたちが去り、最東端のビーチには焚き火とタロン、寒そうに丸まるウォーリー、そして僕だけ。もう少し名前を読んで帰ろう、と声をかけようとすと、タロンの携帯が鳴る。さっきまで一緒にいたサーファーのピートだ。

「うちのトラックの助手席の下に猫がいたんだけど、君たちの猫?」とピート。僕とタロンは愕然として顔を見合わせる。サミーはビーチについて外に放り出されてすぐ、隣の車に忍び込み、ひとりで昼寝していたのだ。君たちの家の近くまで来ているから、家に帰しておくよ、とピートが言う。ひっくり返って笑い叫ぶ僕たち二人を無関心そうに見るウォーリー。

勝手にヒッチハイクして先に家に帰ってしまった猫。そんな話ある?爆笑しつつ、安堵しつつ、真っ暗なビーチを爆走して帰る。

家ではサミーがソファの上で丸くなって待っていた。よかった、心配したよ、と餌をあげると、やれやれと言わんばかりにサミーは夕食にありついた。僕たちはサーフと料理、ドライブとたくさんのビールで完全に疲れ切っていた。シャワーを浴びる気力もなく、溶けるようにベッドで眠りについた。

3/11(月)

久しぶりの大荒れの天気。ストームシーズンも終わりに近づいており、11月の天地をひっくり返したような嵐ではなく、いつもより少し雨足と風が強いくらい。それでも本土行きのフェリーは欠航になった。今日から島の対岸のプリンス・ルパートで研修を控えていたタロンも足止めを喰らう。

こんな天気で外でできることもなく、家で作業をする。ハードウッドを燃やしてリビングルームを温め、溜めていた作業にとりかかる。確定申告もそろそろ取り掛からなくては。一応個人事業主なのである。

このところ、「難しいがぜひ読みたい本」を1日1章ずつ読んでいくことにしている。今読んでいるのは「マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険」スザンヌ・シマードである。

原文で一月から読んでいたが、森林生態学関連の単語が難しすぎて心が折れていた。先週に翻訳を電子書籍で手に入れてから、ある程度読み進めてこれて嬉しい。

BC州の林業に関するノンフィクションである。渡航前にも読もうとしたが、バックグラウンドが分からなさすぎて諦めていた。半年以上森に囲まれて過ごし、ある程度地理的感覚や歴史を掴んできたからこそ、するすると読み進められるようになった。

ある場所を訪れる時、事前知識はあるに越したことはない。特に自然と強く結びついた先住民コミュニティにおいて、神話や精神世界について知ろうとする時、その背後にある環境・自然の知識があるかどうかではその理解度に大きく差が出てくるはずだ。

だがやはり事前知識を頭にいれるのにも、ある程度の土壌が必要なのだ。感覚を得る、というほうが正しいかもしれない。実際のフィールドで五感を使ってなんとなく感覚として掴み、その上で整合的で精錬された知識を取り込む。そのことで、「こんな感じがするな」という漠然とした認識から「なるほど、そういうことね」という確かな知恵を得ることができる。

語学学習でも同じで、いきなりテキストブックにあたり、文法と単語を頭にいれる、ということは僕の好むところではない。その言語の会話や音楽を聞き、実際のコミュニケーションで使われるようなセンテンスを口にだす。文法構造や単語の正確な意味など、最初の段階ではどうでもいい。僕は何を学ぶにあたっても、バランス感覚や空気感のようなものを先に掴んでおくことを求める傾向がある。

上記の本を、現地で八ヶ月の時間を過ごした上で読んでいると、これまでの体験にさも注釈がつけられていくかのように、経験知が実際の知識と変わっていく。今この段階で、じっくりと腰を下ろして読書をすることが必要なのだと思う。

本日の章を読み終え、確定申告にうつる。会計アプリに情報を同期し、昨年の事業利益などをまとめていく。本当に無駄な仕事である。

「旅の前に最後のサウナセッションはどう?」とタモにメッセージを送る。「いいね。パッキングを早く片付けるよ。火を入れたら連絡をする」と返信。

タモも今日のフェリーで本土に向かうことになっていたが、あいにくの嵐でキャンセルとなった。明日のフェリーは予約の返上分でいっぱいで、もともと乗っていく予定だったバスで乗船できなくなってしまったのだとか。改めてパッキングするのは大変そう。

彼は明日から三週間のアラスカ・ツアーだ。BC州北部イスクートの先住民らの土地保全運動を八年間かけて撮影したドキュメンタリーをおととし発表した彼は、去年からBC州のさまざまなコミュニティで上映イベントを開催している。今回はイスクートの長老たちをつれてアラスカで上映ツアーを行うのである。

「まずはイスクートで長老たちを拾い、そこからユーコンを北上する。ホワイトホース、ドーソン、そしてアラスカのフェアバンクスだ。そこから南東アラスカ諸島部に南下し、船でジュノーに渡る予定だよ」
サウナストーンに水をかけながらタモがいう。室内の体感温度が一気に上がる。

なかなかの長距離ロードトリップである。そのうえ各町での上映会のセッティングなどを考えると、休む暇もないツアーになりそうだ。
「しんどそうだけど、訪れる先々のコミュニティで待ってる友人たちのことを考えると、楽しみでしかないよ」

銭湯スペースには簡易的水風呂が設置された。タモとミドリと3人で頭からバケツで水を掛け合い、その冷たさに叫ぶ。作品を作って終わりにはせず、作品の伝えるべきメッセージがきちんと伝わるように動き続ける。誰にでもできることではない。いつか一緒にツアーに参加したいな。

彼とは入れ替わりで僕も3月末にスカンディナヴィアに飛び立つので、タモとはしばしのお別れ。お互いの旅の幸運を祈っておやすみをいう。

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