見出し画像

死者のポール【ハイダ語カンファレンス1日目/日記:2024/1/17】

・早起きをするのも久しぶりだ。7時前に目を覚まし、お茶漬けでさっと朝ごはんをとる。友人がくれた粉末緑茶はあまりお茶漬けには向かないようで微妙な味。急いでかき込む。

・今日から五日間、ハイダ語のカンファレンスが開催される。僕がいつも受講しているマセット村のハイダ語センター主催だが、開催地はなぜかスキディゲート村のハイダグワイ博物館。朝7時半に村を出発するシャトルバスで南部に向かう。

・外はまだもちろん真っ暗、道もところどころ凍結している。バス停につくとすでにデラヴィーナおばちゃんがいた。寒いね〜、と話す。

・シャトルバスが来たタイミングで、レオナおばあちゃんが車を乗り付けてきた。ほんわかなおばあちゃんがフォードの黒いトラックを運転しているのはいつ見ても不思議だ。

・バスは僕とデラヴィーナ、レオナおばあちゃんとハイダ語センターのスタッフ数名を乗せ、夜明け前のハイウェイを一路南に走った。

・スキディゲートまであと少しのところで目を覚ますと、凪いでいるヘケテ海峡には朝日が輝いていた。思わず息を呑んでしまう美しさ。起伏の大きなスキディゲートまでの道のりをバスに揺られながら、暖かな陽の光をいっぱいに浴びる。悪くない1日のスタートだ。

・ハイダグワイ博物館のパフォーマンスルームにはすでに2、30人ほどの人々が集まっていた。見たところハイダのエルダーたちがほとんどで、若めの人間はハイダ語センターのスタッフ数名、あと僕くらい。

・今回で3回目となるというマセット・ハイダ語センター主催のカンファレンス。マイクを握るのは僕の先生でもあるジューサルジュス。前回は2019年だったという。ハイダ語(マセット方言)の保存と教育のため、マセット村からだけでなく、スキディゲート村のハイダ語プログラム「SHIP」に携わる長老たち、さらにはアラスカに点在するハイダ族の村からも数名の参加者が来ている。

・五日間にわたるカンファレンスに先立って、数名の長老たちがスピーチをする。「民族一丸とならなければ、私たちの尊い言語を守り抜くことはできないのです」スキディゲート方言保存の第一人者であるグワーガナドが語りかける。その小さな老いた体からは予想もつかないほど、強い意思を含んだ声で。「父は幼い頃から、白髪の長老たちにハイダ語を教わっていた。長老たちはハイダに伝わる物語が途切れないよう、死に絶えることのないように、彼らの言葉を継承し、記録し、記述した。ある時、テープレコーダーが導入され、父は彼らの語りをドキュメントし続けたのよ」

・1万人もいた人口が500人まで減ってしまったのは、我々の民族が抱える最大の悲劇だった、と彼女は続ける。「多くのクランが途絶え、多くの村が打ち捨てられた。言葉は悲劇を、歴史をきちんと覚えている。そしてこの地とともに生きていくための、数多くの教えももたらしてくれる。ハイダ族の連帯と、ハイダグワイという故郷を未来に繋ぐための知恵をね」

・イルスキャーラスと名乗るおばあちゃんがマイクを握る。博物館や本によくポートレートが載っていたので、見覚えがある。1929年にマセットで生まれた彼女は、その後アラスカハイダの地に移り、1970年代以降に始まったハイダ語保全運動の最前線で戦ってきた。「久しぶりに故郷の地を踏むことができて、本当に嬉しいわ。言葉ではいい表せない力を感じるの」

・クーヤースと名乗る長身で黒髪短髪の男は、前日に9歳になったという息子を連れてきていた。流暢にハイダ語を操る父に続き、少年も挨拶をする。ハイダグワイからちょっと北にあるプリンス・オブ・ウェールズ島のハイダベルグ村からはるばるやってきた。アラスカでも新たにハイダ語教育の資金調達が完了し、ハイダグワイ博物館にインスパイアされた形の総合施設を作るというニュースがシェアされる。わっと歓声が上がる。

・開会式が済んだ後にコーヒーブレイクがあり、大きめの会議室に皆移動する。僕はマセット村の仲のいいおばちゃんたちと同じ席に着く。はじめにハイダ語学習ビンゴ。「ポットラッチで踊ったことがあるか」「ハイダ語で挨拶できるか」「ハイダソングをソロで歌えるか」など。思ったよりできるものが多くて、丸をつけていく。なんと三番目にビンゴ。景品にハイダアートの書かれたティーカップをもらった。

・アイスブレイクが終わると軽食の時間。ハイダ族のイベントはいつも大量の食べ物が提供される。いつもジャンクなものが多いが、育ち盛り腹ペコ男子にはありがたい。

・エルダーたちがゆっくり昼食をとっているところで外に出てみると、エリカとジェイが火を起こしている。レッドシダーがパチパチを心地よい音を立てて燃えている。ジェイがセージを燻している。そうか、ファイヤ・セレモニーか、と思う。

・ハイダ族(多くの先住民に共通することらしいが)は先祖や精霊と交歓する際、セージの煙とシダーの葉で身を清める。お祓いの要領だ。ジェイがセージを焚き、ワシの羽でできたうちわのようなもので各人の身体全体に煙を纏わせていく。エリカもシダーの葉でほこりを落とすかのように身体をはたいてくれる。

・「自分たちが食べたものと同じものを火にかけて、スピリット・ワールド(精神世界)のご先祖様たちや精霊たちにお裾分けします」ジューサルジュスと妹のグダヒーガンズがふたりで木のお盆に乗ったサンドウィッチや果物を火にかける。エリカが静かに、それでいて確信を持った手つきでドラムを叩く。

・スピリット・ソングが厳かに歌い上げられてから、アラスカから訪れているクーヤースが祈りの唄を披露する。「これは僕のおばあちゃんから授かったものなんだ」

・火に耳を立てるのだ、木々の燃える音が聞こえるだろう、その音はわたしだ、わたしの語りかける声だ。天高く登る火と煙はわたしたちを繋いでいるのだ、そのことを忘れるな…芯の通った声で歌い終わってから、彼は歌詞の内容を教えてくれた。心の琴線に触れるものがあった。何故かわからないけれど、彼の歌声を聞きながらタバコの葉を火に焼香する時、目が熱くなるのを感じた。

・ここまでハイダネームで名前が呼び交わされる空間は初めてだ。博物館で働いていたときからの友人であるグラハムに、クーヤースがハイダネームを聞く。スキルギャーンだよ、と答える彼を見て、クーヤースは興奮した様子だ。「なんてクラシックでハイクラスな名前なんだ!」

・詳しく聞いてみると、グラハムのおばあちゃんのおばあちゃんに当たる人物が、今朝マイクを握っていた95歳のイルスキャーラスだという。ハイダ族のなかでも地位の高い家系に生まれたグラハムは、イルスキャーラスの弟の名前を引き継いだのだとか。ハイダ族内では世代ごとに名前が引き継がれるというのを本で読んだことがあったが、その実例を目の当たりにするのは初めて。

・次のセッションの前に、博物館に常設展示されているスキディゲート村の1870年代の模型をじっと眺めていた。美しい村でしょ、と後ろから初老の女性に声をかけられる。本当に精巧な模型だ。

・「いつもこの模型に魅了されます。不思議ななてものが多くて。ロングハウスの後ろにある小屋、これって何なのでしょう?」
「それはモータリティ・ハウス、『死者の小屋』ね。族長や高名な人物は低めの『死者のポール』の頂点に設置された箱の中に埋葬されるけれど、それ以外の家族は家の裏の小屋に葬られる。」
「死者のポール…?亡くなった人を埋葬するためのトーテム・ポールということでしょうか」
「そう。チーフたちはたっぷりの薬草とともに木箱に入れられ、低めのポールの頂点に据え置かれる。この模型の家の前にポールが数本立っているのが見えるでしょ?大きなポールはそのクラン(家系)の紋章を表すもの、低くて箱の乗っているポールはそのクランの族長を葬るポールなの」

・スケダンス村(十九世紀に廃村・クランは今スキディゲート村に住んでいる)のクラン出身というガッチーワと名乗るその女性はハイダ文化への造詣が本当に深いようで、僕の質問にかたっぱしから答えてくれた。ポールに入った横線はポットラッチを開催した数だということや、尾鰭のついたポールは海難事故で亡くなった人を供養するメモリアルポールだということなど。こんな生の情報を聞けるだけで、朝頑張って起きてバスに揺られてここまできた甲斐があるというものだ。

・ところであなたはどうして今日ここにいるの、と聞かれ、これまでの経緯を話す。確かに、ハイダ族でもカナダ人でもなく、言語学者といったスペシャリストでもない、ただの若いアジア系男性がいるというのは相当不思議な状況だ。前のセメスターからハイダ語を学んでいて、なじみのおばあちゃんたちと一緒にマセットから来ました、と自己紹介する。

・「それは本当に素敵ね。ね、おばあちゃん、こちらの若者はコーホーよ」と紹介されたのは、一番最初にスピーチをしていた長老のグワーガナド。すてきなニックネームね、と握手してくれる。
「あなた結婚しているの?ほらみんな、ハイダの女の子を紹介してあげなさい」とジョークを飛ばす、はつらつなおばあちゃんだ。タモの叔母であるセヴァンの義理の祖母にあたる人物。彼女のハイダ語保存への献身的なストーリーはたくさん聞いていた。こうして挨拶できて嬉しい。

・午後のセッションは現在のハイダ語保全プログラムの実態についての調査報告と、それに関する意見交換が行われる。

・第二言語として英語を学ぶのと、第二言語としてハイダ語を学ぶのには根本的な違いがある。言語学習じたいが忍耐と献身を要する本当に難しいものであることはさておき、各々の言語を学ぶインセンティブは全く違う。

・英語を学ぶことで、非英語圏の我々はアクセスできる情報が増え、表現できる方法も増える。海外に友達を作れるという利点もあれば、大学入試や就職といったプラクティカルな動機づけもある。日本人が英語を学ぶことには、目に見える利点がたくさんある。

・それに比べて、ハイダ族の若者がハイダ語を学ぶわかりやすいインセンティブは少ない。ハイダ族がハイダ語を学び、保存する、その背景にあるのは民族としてのアイデンティティというもっと壮大なアイデア。すぐに身につく言語でもなければ、わかりやすい利点をもたらしてくれる言語でもない。その言語は1万年以上の月日をハイダ族とともにしてきた、民族の根本をなすもの。

・「若い人々はこの不確かな現代で、日々を生きるので精一杯なはず。特に若いハイダ語学習者には、なにかしらの奨学金のようなものを出すべきだ」とジェイ。大きく同意する。

・1日目のセッションが全て終了し、早めの夕食の時間。メニューはローストビーフ、ミートソースパスタ、ガーリックトーストにマッシュポテト、シーザーサラダ。「スキディゲートの人間は甘いものには目がないのよ」と同じテーブルのレオナおばあちゃんが言う通り、三つも大きなケーキが運ばれてくる。フードファイターの出番である。

・同じくマセットから参加しているレオナおばあちゃんとアニーおばあちゃん、デラヴィーナと僕の4人でディナー。「わたしとクマの不思議な話、コーホーに話したことあるっけ?」とレオナおばあちゃんがあるストーリーを語り出した。

・今から数十年前のこと。まだ若かったレオナは、大学のサマープログラムで来た学生たちを連れて、自らのクランの故郷であるキウスタ村を訪れていた。ハイダグワイ最北に浮かぶランガラ島の太平洋岸にかつて存在した、ハイダ族最大の集落だ。キウスタ村は十九世紀後半のパンデミックの際に打ち捨てられ、生き残ったレオナの先祖たちはマセット村に移った。故郷の村跡には未だ過去のロングハウスの柱や土台などが残っていて、そのまわりで若者たちと歌い、食事をし、キャンプを楽しんでいたのだという。

・「ある夕方、家々の跡が立ち並ぶキウスタの一角で、全員で夕食を作っていたの。そうしていると突然、大きなブラックベアが私たちの目の前に現れたのよ」突然の巨獣の来訪に、レオナも学生たちも動くことができないまま、クマと対面した。「そのクマは私たちをじっと見つめたあと、まるで日課のパトロールをするかのように、キウスタ村に残った家跡や朽ち果てたポールをひとつひとつ確認していったの。私たちや食料には目もくれずね」

・熊はひとしきり村跡を点検したあと、満足したように森に戻って行ったのだという。「長いこと生きてきたけれど、私が一番自然の不思議さを感じたのはあのクマとの出会いね」

・各クランのメンバーには、彼らの故郷である村跡を訪れる機会が数年に一度あるらしい。先祖たちが住んでいた場所を訪れたとき、人々はどのような感情を抱くのだろう。気になる。

・食事が終わり、バスに乗ってマセットを目指す。村に着いたのは19時過ぎ。僕は木曜・金曜のセッションは仕事で参加できないが、土日にはまた参加するよ、といって別れる。

・夜、シアトルの友人と電話を繋ぐ。去年夏、北米上陸時にとても助けられた浪人時代の盟友であるマオと、彼女の旦那であるトーマス。年末年始に日本に遊びに行っていたのだとか。初めてのジャパン体験にトーマスは興奮していた。よかったね。

・UWでジャーナリズムを学ぶ彼女は英語で記事を書くことになかなか苦労しているようだ。そりゃそうだ。日本語で満足に文章を書くのですら難しいのに、外国語で読者を納得させられるような記事を書けるようになるにはどれくらいの月日が必要なのだろう。

・シアトルとか時差がないから気軽だ。近くに(そう近くもないが)同じく強く生き抜いている友人がいるのは大きな心の支え。6月にまた会えるのが楽しみ。

読んでくれてありがとう!サポート頂ければ感謝感涙ですが、この記事を友達にシェアしてもらえる方が、ぶっちゃけ嬉しいかも。また読んでください!Cheers✌️