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「記述」という暴力【24.2.3】

・先週はずっと体調を崩して寝込んでいた。喉の違和感に始まり、鼻水が止まらない。咳も熱もないけれど、皮膚が擦り切れるのではと思うほど鼻を噛み続けなければならないのはつらい。なにより、外を走れないこと、文章を書く気にも本を読む気にもなれないのがしんどい。

・僕は基本的にいつもなかなかエナジェティックに1日を送っているつもりだし、食事にも運動にも極めて気を遣っている方だと思う。週に最低20キロは走るし、15分ほどの軽い筋トレもするし、肉よりも近隣の川や海で取れた魚でタンパク質を取ることを好む。1日3食バリバリ食べ、水もガブガブ飲み、貪るように眠る。

・それでも、半年に一回ほど、スイッチが切れたかのように一週間ほど寝込む。理由はそれぞれだが、今回は原因不明の鼻風邪だ。そのまえは9月の腹痛。一回体調を崩すと一週間は機能不全になる。普段免疫力を高めることしかしていないのに、と情けなくもなる。

・特に書き記しておくほどのことはなかったが、この一週間の出来事をメモ程度に取っておく。

2/3:

・体調がだいぶ回復した。満足に声も出せる。外を走れるほどではないが、日常生活は送れそうな気力はある。

・ジュディに声をかけられて、ルイズおばあちゃんの家に行く。毎週恒例のゲームナイトだ。ルイズおばあちゃんにも他のおばちゃんズにも久しく会っていなかったので、少し顔を出しに行く。プレイしたのは毎度のフェーズ10。この人たちは本当にこのゲームしかしない。飽きないのだろうか。

・ゲーム中、ハイダ族の葬祭についていろいろと教えてもらう。

・とあるファーストネーションにおいては、葬祭をはじめとして、儀式について記述することは固く禁じられている。参列できるのは招かれた者たちのみで、会場では入場者は厳しくチェックされる。そのうえで、儀式が荘厳に、密やかに執り行われるのだという。「カナダ政府が過去に開拓者によって記述された儀式の内容に基づいて、それを法律で禁止にした。書かれることで、文化は奪われてしまったのよ」

・文字にすることで実体を与えられ、搾取と迫害の対象になってしまうものがある。ハイダ語をはじめとして、先住民の言語は文字をもたないことが多い。もちろん文字を使って記述できないということは、ドキュメントされた歴史が残らないという面が現代の僕たちから見ればデメリットとして見て取れる。しかし逆に、文字で記述されずに口承として人々の頭の中に刻まれるのならば、いわば集団的に隠し通すことができる。「記述する」ということ、「記録する」ということが暴力的にもなりうるのだな、とふと思う。

・帰宅後、親友のたばちゃんと電話をする。高校一年生から早10年のつきあいである彼とは、いまでも不定期ではあるがたまに連絡を取り合っている。国際協力NGOの職員で、今ではウガンダ駐在3年目に入ろうとしている彼である。このところ考えていた「加害の歴史について語ること」について、彼ならまた面白い視点をくれるのでは、と声をかけた。

・彼と話していて面白いのは、僕たち二人とも海外で生活し、仕事をしているのに、話題に上がることの多くが日本社会に関することだ。彼はウガンダで食糧生産支援の活動をし、僕はハイダグワイでトラウマケアの仕事をしている。どちらも、その地域の平和とヒーリングに関するもの。ただ、局所的な正義を実現しようと頭を働かせると、否応なくもっと大きな構造というものに行き当たる。食料問題や植民地主義は、環境問題、エネルギー問題、現実の紛争、格差、すべてとつながっている。そして僕たちの問題意識は僕たちが生まれ育った日本という国に帰り着いてくるのである。自分の祖国が異常であるのに、いかに自分たちが今いる場所の平和構築やヒーリングを実現できるのだろう。

・彼と話した内容についてはまた一つの記事にしておきたいと思うので、ここでは詳らかにしないでおく。政治や国際情勢、仕事と生き方といった極めて個人的かつ込み入った話は、なかなか高校時代の友達とはしにくい。自分で付き合う相手を選べるようになる大学以降の友人と違い、高校の同級生というのは自分が好む好まずに関わらず半ば強制的に形成されるものだ。そんな中で、ひとりでもそのような話に真剣に耳を傾け合える友人を見つけ出すことができたのは、僕のささやかな人生におけるひとつの達成と言ってもいいのではないだろうか。

↑彼の最近の記事。やっていこう。

・2/4は頭痛が再発したので特に何もしていません。

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