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"対岸の彼女"感想・考察 -なぜ人との繋がりは尊いか


男にとって女は謎だらけだ。

繊細なパワーバランスのもと目まぐるしく変わる女性特有の人間関係。
急に連絡が来たり来なくなったりする掴み所のなさ。
ふわふわ悩んでるかと思えば、物凄く現実的で強烈な一言を放ってくる。

女性を理解したいと思っているが男には一生叶わぬ願いなのかもしれない。

今日の本はそんな気持ちで手に取った。


専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めるが…。結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く傑作長編。
-裏表紙より引用-


裏表紙を読んで

「この本を読めば女性の一面が少しは理解できるかな」

と思っていた…。

予想に反して内容は高校生と30代の女性の青春物語。

性別問わずいくつになってもここでは無いどこかへ身を焦がし、一人でいる寂しさと人と関わり傷つく恐れの間で葛藤するのだなと思わせる小説だった。


物語は専業主婦の小夜子と女社長の葵の話と、高校時代の葵とその友達ナナコの話を行ったり来たりして進行していく。


葵とナナコ

憧れとは理解から最も遠い感情である

憧れとは理解から最も遠い感情だよ -漫画BLEACHより-

葵はナナコに憧れていた。

ちょっと天然だけど天真爛漫で、誰の輪にも無邪気に入っていける。「いじめはいじめる側の問題だし、自分にはもっと大切なものがある」と言い切れる強さを持っている。

そんなナナコのことを葵は、さぞかし優しい家庭で育ち幸せに生きてきたのだろうと思っていた。

が、実際はまるで違った。

ナナコの家は廃れた県営住宅で、家具・家電も無い生活感のない部屋に住んでいた。薬中と噂される父と、売春婦と噂される母、窃盗を繰り返しているらしい妹。

最後まで真相は定かではなかったが、葵はナナコの心の闇を覗き見てしまったがために、これまでのどこか投げやり的な言動を理解する。結局ナナコの家の様子以上のことを知ることはなかったし、詮索する気にもならなかった。


ハリネズミのジレンマの先に

葵は、ナナコの家を見て、リゾートバイトから帰ろうとした時のナナコの「帰りたくない 帰りたくない 帰りたくない…」を聞いて、憧れから理解へ、さらには恐怖すら感じただろう。

だからそれ以上踏み出せなかった。具体的なことは何一つ聞かず、ナナコは対岸にいるままだ。それがふたりが傷付かない距離感で、人と人とが本質的にわかりあうことができないことを葵は実感したんだと思う。

それでも、共にリゾートバイトで充実した日々を送り、ホテルやクラブを転々として家出でも埋まらなかった虚無感を共有し、飛び降り事件があってなお切実に再会を願っていた。

わかりあえなくても体験は共有できる。感情は分かち合うことができる。他人を信じることができる。

こうして葵の性格は以前とはまるで違うものになっていた。



小夜子と葵

人は5人の友人の平均である

人と出会うということは、自分の中に出会ったその人の鋳型を穿つようなことではないかと、私はうっすら思っている。 -p328 森絵都さんの解説より

小夜子と出会った時の葵はまるでナナコだ。天真爛漫で男にも物怖じしない気の強い女社長。葵は物語の最後まで昔のような姿を見せることはなかった。

解説で森絵都さんが、「出会いはその人の鋳型を穿つこと」と言っていた。その人が側にいる間はその穴を埋めてくれるが、出会いと別れを繰り返して人は穴だらけになっていくと。

これには半分納得、半分は同意しかねる。人は他人の鋳型を自分に穿ったのち、その鋳型を自分自身で埋めてしまうことができると思う。

その結果が35歳になった葵だ。葵はぽっかりと空いたナナコの穴を自らで埋めてしまった。

と勝手な予想ができるのも、自分も同じ様な経験が何回かあるからだ。高校生の時の友達のいいところを大学生で真似してみたり、大学生の時のまるで自分と正反対で憧れていた友達の笑い方が今うつってたりする。

そうして人と関わることで人は作られていくんだなあと不思議に思っている。


子は親の鏡

小夜子は昔の葵のように傷つくことを恐れる引っ込み思案な性格だ。

そんな自分を変えようとママ友たちの輪に入ろうとするも失敗。せっかく"あかり"と名付けた娘もうまく友達の輪に入っていけず、そんな娘を見てもどかしく思ってしまう小夜子。

なんとか人と関わろうと就職した先で葵と出会う。

清掃業は小夜子の真面目で細やかな性格と合っていたようで、会社で"ボス"と呼ばれ仲間から頼りにされるようになる。

少しずつ自己肯定感が養われ葵とも仲良くなり、お互いの距離が近づいていった矢先ふたりは衝突する。


理解してから理解される

あかりの運動会に押しかけた葵は強引に小夜子を旅行へと連れ出し、日頃のしがらみから解放された小夜子は「楢橋さんと一緒だとなんだかなんでもできそうな気がする!」とまで言ってのける。

気を良くした葵はもっと遠い所まで行こうと提案するが、急に家庭のことを思い出し冷静になる小夜子。さっきはあんなこと言ってたのに「葵にとって親しさを意味するのは、連れ立ってトイレにいく女子高生みたいなものではないか」とさっきとは真逆の発言を葵に放つ。

もう完全にハリネズミのジレンマ。ちょっと距離が近づいて閾値を超えてしまっただけでここまで捉え方が変わってしまう。

小夜子視点でしか語られていないけど、葵はさぞ傷ついたことと思う。でも以前「ナナコと一緒ならどこにだっていける気がする!」と言い小夜子の立場に立ったことのある葵は何も言わなかった。

小夜子は葵のことを、「家庭を持つ人の大変さを何もわかってない」と言ったが、小夜子だって葵の事情のことを思いやったシーンはなかった。でも葵は本質的に分かり合えないことを知っていたから何も言わなかったんだと思う。ただ小夜子のことを信じて待ってた。

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。 

そうして小夜子は葵に再び会いにいく。葵は以前と何も変わらない態度で迎え入れる。

再び葵に会いにいく選択をした小夜子は、相変わらずママ友の愚痴を聞いているだけのポジションだがそんな自分を受け入れることができ、娘のあかりの事も受容できるようになった。


光が多いところでは、影も強くなる

"対岸の彼女"というタイトルの通り、人は本質的にはわかりあうことはできないし、距離が近づけば傷つくこともあるけど、だからこそ人と繋がる時間は尊い。

この物語で一番キラキラしてるのは、やっぱりナナコと葵のリゾートバイトのシーンと、小夜子と葵の熱海の浜辺のシーンだと思う。

物語全体にどこか鬱屈した空気が漂う小説だったけど、だからこそ輝きに満ちた瞬間があって、人との繋がりに温かみを感じた小説でした。

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