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"舟を編む"感想・考察 -言葉が現実を紡ぎ出す


たくさんの言葉を、可能なかぎり正確に集めることは、歪みの少ない鏡を手に入れることだ。歪みが少なければ少ないほど、そこに心を映して相手に差し出したとき、気持ちや考えが深くはっきりと伝わる。一緒に鏡を覗きこんで、笑ったり泣いたり怒ったりできる。 -舟を編む p233より引用-


なんと今日から約1ヶ月、日中自由にデスクワークできる環境が与えられ、本を読んだりパソコンをいじることができるようになった。

毎日本を読めば20冊ほど読破できる…と思い、初日は三浦しをんさんの「舟を編む」を読んだ。



この本を読むことになったきっかけは、なんとなく日々の生活に行き詰まったというか、ループ感があって、現状を打破したかったからだ。

映画や小説、マンガやアニメは、自分の思考の枠外から刺激をくれるので、ときに自分の価値観を大きく変えてしまったり、悩みの解決の糸口になったり、未だ見ぬ世界への興味を導いてくれる。

少なくとも自ら行動する場面において、今の現実は今の自分の知識と想像力以上のものをもたらさない。


言葉はとりわけ重要で、知識も想像力も言葉で紡がれる。現実を成り立たせる要素の根幹に言葉がある。言葉を知ることで、より豊かで味わい深い現実を描き出すことができる。

だから、なんとなく、辞書を作る話と知っていて、「舟を編む」を選んだ。
流石にいきなり「広辞苑」を読む気にはならないし、無理して読んでも海馬を素通りしてしまうだろう。

そんな動機で選んだ「舟を編む」だったが、自分が求めていたものに反して、登場人物たちとストーリーに惹きこまれてしまい、何度も胸からこみ上げるものを感じた。

文章のリズムが良くさらっとした表現で読みやすい。物語が展開するテンポもいいし、ころころ視点が変わって飽きがこない。メインの登場人物に感情移入できるし、何より”辞書”に対して物凄く興味を惹かれた。

そんな「舟を編む」の感想を、馬締と香具矢、西岡について書いていこうと思う。書き終えたら自分語りばかりになってしまった。


馬締と香具矢

ふたりは似た者同士だ。社会性より自分の世界を優先してその道に情熱を注ぐ。香具矢は結婚間近の彼氏よりも"料理"の道を、馬締は周囲の人間関係よりも"言葉"の道を優先した。

馬締の内向的で不器用な部分には共感できるが、"言葉"の世界にひたむきな点に関しては羨ましく思う。どこか器用貧乏で、人生をかけたいと思わせる一つの道を見つけられていない点では自分は西岡と同じだからだ。

しかし、馬締も最初から辞書作りの道を志していたかと言われるとそうでもなく、松本先生と荒木さんにその才能を見出され、パズルのピースがはまったかのように自分の世界を作り上げることができた。

その時、馬締は27歳で今の自分と同い年だ。焦りが無いわけではないが、自分探しの旅は探しているうちは見つからない。今は心の向くままにできることをやって行こうと思ってます。


二人は観覧車

ふたりのやりとりで好きなシーンが二つある。

一つ目はふたりが"観覧車"が好きだと言い合うシーン。事実上ここで馬締の告白は成功していたと思っている。

ふたりの性質は観覧車なのだ。独立して存在し静かに持続するエネルギーを秘めた道具。"料理"の道も"言葉"の道も、始まりと終わりがあるわけでも、目まぐるしい興奮があるわけでもない。お客さんや読者のため、よりよい料理や言葉を作っていくため、淡々と、静かに情熱を燃やし続ける。

お互いにその事を十分わかっていた。お互いの告白は水面下で実っていたんだけど二人とも気付かないフリをしてた。だから二人は共犯者になったのだ。何コレ羨ましい!


馬締の卒業式

二つ目は言わずもがな。香具矢が恋文をもらってしばらくして、馬締の布団に乗っかってくるシーン。馬締の卒業式のシーンだ。

トラさんの鳴き声をbgmに月明かりの下で…こんなシチュエーションある!?ってくらい、ドキドキして神秘的で読みながら心臓飛び出そうになった。この時の香具矢は女性らしい大胆さがあってとても可愛らしい。

ちなみに今晩から明日にかけて満月なんですけど、香具矢さん是非うちにもお願いします。↓さっき撮った



西岡

さっきも書いたが、西岡の器用貧乏で仕事も適当にこなしている様子に共感した。自分も馬締みたいな人を見ると羨ましく思ってしまうし、かといって目の前の仕事にも、趣味の一つにも情熱を傾けることができない。

西岡と違って恥ずかしいからではなくて、まだ色んなジャンルに可能性を見出したいのかもしれない。自分でコレだ!と一つのものを選べる日が来るのか、それとも馬締のように世界の方から導いてくれるのか、わからない。

何にも本気になれない部分には共感できたのだけど、性格的な部分については西岡のような人には嫉妬してしまう。


宝石は自身の輝きを知らない

実は自分も大学生の時に、西岡のような友人に出会ったことがあって、その人は何もかも持っているように見えたし、自分のことは察しの悪い奴くらいに思ってるだろう、と感じていた。

でも違った。卒業真近のある日、自分がポロっとそんなようなことを口にしたら、相手も自分に対して同じ様なことを思っていたのだ。これには驚いた。

自分の良さは自分ではわからないし、同じように相手も相手の良さには気付いていないのだなと実感した瞬間だった。

自分の中でそんな経験もあって、西岡はその人と重ねて読んでしまったし、馬締の西岡を見る目は痛いほどわかったつもりだ。


三角関係のこころ

西岡とのエピソードで印象に残ったのは香具矢との三角関係になるならないの下りだ。

西岡が香具矢のことが気になっていたのは、香具矢のことが好きだからって訳ではなくて、馬締に対する嫉妬と劣等感からだった。

こういう経験も大学生の時によくあった。でもそうして好きに偽装した嫉妬や劣等感って、いざ女の子となんかあるっていう時に強烈に自覚されて、ものすごく惨めになるんだよな。

香具矢に限ってこうはならないと思うけど、香具矢が馬締に振られて西岡に言い寄ってくるパターンって言うのもあるあるな気がする。この場合、惨めさは自覚しつつ状況と相手によっては気を許してしまうことがある。

ちょっと夏目漱石の「こころ」読み直してくるか…。


かぐや姫

四十になった西岡は持ち前の要領の良さでサポートする側に情熱を傾けているのだろう。彼自身が自分の良さに気付けたのは馬締のお陰であり、四十になっても変わらない、むしろ濃くなった彼自身のキャラに安心した。

好きな奥さんがいて子煩悩のパパになったみたいだし、もしかしたら一番平和的な人生を歩んでいるのかもしれない。

それに比べて月日が経ってからの香具矢は少ししおらしくなったように見えた。しおらしいを通り越してどこか元気が無いような印象すらあった。

自分の世界が最優先である香具矢と馬締にとって、やはり子供を儲けるという選択肢は無かったのだろうか。未だに早雲荘に住む二人の時間は27歳のまま止まっているようにも感じられた。

子を儲けることが女性の幸せだと一概に言うことはできないが、香具矢もその辺りについての葛藤があったのかもしれない。香具矢の店が"月の裏"に到るまでの事情も気になるところだ。


言葉の箱舟

この物語の根幹にあるのは”言葉”だ。

言葉への情熱が松本先生に辞書作りの道を歩ませ、松本先生の魂に感応した荒木さんが伴走した。二人は社会にうまく適合できずにいた馬締に辞書編集の才能を見出すことで、彼に活躍できる社会的な居場所を与えた。

水を得た魚のような馬締を見て、西岡も自身に情熱を見出すことができたし、そんな馬締に香具矢は惹かれ二人は結ばれることになった。

岸辺も馬締の静かな情熱に徐々に染まっていき、宮本も馬締の期待に応えていくうちに製紙に情熱を注ぐことができた。

"言葉"が、"辞書"が、彼らの人生に輝きもたらし、"大渡海"と言う舟を編む過程で、彼らは"言葉"という巨大な箱舟に運ばれていた。

そして、舟を編むという小さな言葉の舟に運ばれた私は、仕事帰りブックオフで広辞苑を買いました。

この大きな舟に未だ見ぬ世界へ連れて行ってもらえることを期待して。

そして、日々の暮らしに用例採集と言葉の血肉化を。

解説の岩波書店の平木さん!広辞苑買いました!ブックオフだけど!



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