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誰でも2つの性格を持ってるらしい(役割性格・本来の性格)

性格には、「役割性格」と「本来の性格」があるらしい。
これを知って、自分のことをより深いところで理解できたし
他人のことも「この人は、本来はどういう性格なんだろう?」と一歩踏み込んで見るようになったので
ここでまとめてみます。

自覚していた「私の性格」

新卒で就職活動をする際、「自分の強み、自分らしさ」を考えたことがあり、
当時の私は、「周りの人たちの和(調和、繋がりの輪)を大切にすることである」という考えに至り、その方向でエントリーシートを書きまくっていた。
そのときは、
強み=自分にとって自然にできる得意なこと。居心地のいい状態、私を形容する特徴。他の人に良く言われること
と思っていた。
そしてその強みが、私のどういう経験や価値観からくるものかなんて考えたこともなかった。
それが22歳のころ。

「私の性格」の成り立ちに気づく


その後社会に出て10年以上が経ち、その理由に合点がいくようになった。

理由1:小学校のころの兄弟との関わり
思い出されたのは、小学校のころの話。
私は兄と弟に挟まれた3人兄弟で、小学生のころ弟が兄にゲームや競争で負けてケンカになりそうなとき、
 するりと明るく間に入って、私と弟との対戦を提案し、ひそかに私は手をぬき、あえて私が負けてることで弟の気持ちを整え、その場を収めていた。

・自分が負けることにはこだわらない
・無関係なのにあえて割って入ってでも調和を保とうとする
・それが苦では一切なく、自然でむしろ心地いいことだった

理由2:学生時代の部活での行動
長いこと吹奏楽部に属し、練習に熱心に明け暮れていた。
その集大成ともいえる高校最後のコンクールで、実は入賞できなかった。

原因のひとつは曲選びにもあったと思う。
その曲は当時の部員みんなで一番練習してきた大好きな曲で、
一番みんなが活き活きと自信をもって楽しく演奏できる曲だった。

一般的にコンクールではこういう曲は好まれない、この曲では入賞はできないと
いろんな人に言われたけれど、
部員みんな、この曲でやりたいって言ったし、私もその気持ちだった。

当日その演奏は全力を出し切れたし、とても楽しかった。
参加していた他校の生徒から頂いたアンケートもおおむね好評で、楽しかったと。
音楽は楽しむものだ、楽しい音楽をやれた。
このメンバーが望んだ、この曲だからこそできた演奏だと思った。

・みんなが最善を尽くせたということが心から嬉しかった
・相対的評価や入賞結果は全く悔しくなかった
・聴いた人が楽しんでくれたというリアルな感想が嬉しかった


これら2つの理由から、私は物心就く前からその性格であったのだ、確かにそれは私の性格であると確信していた。

でもそれ、「役割性格」らしいよ


心理学を少しずつ勉強するうち、
それらが実は役割性格であったと気づいた。

当時を思い返しても、そのときの状態はごく自然であったため気づかなかったけれど
「兄と弟を持つ女児」としての役割(環境)がそのような私を作ったといえるとも。
それがごく自然であったため、その後の部活動選択では競うような部活を選ばず、「副部長」としての役割を得たときには”人の和”に最も価値を感じたのだと。

役割としての性格であったとしたなら、私の本来の性格は何だろうと改めて見つめなおしたところ、
もっとセンシティブなものがいくつか思い当たる。
私はわりと明るく人の輪の中にいることが多い人生だったように思うけれど、
その実、本当はまあ結構な臆病者。
親しい友人に「実は私、けっこうビビリで…」と打ち明けても
「意外!」としか返ってこないくらい、できるかぎり他人には隠している一面。

でもどれだけ他人に隠そうと、
昔仕事が辛くて休職したときの理由はそれ。
実際、明確に私の人生に影響を及ぼす一因として確かにそこにある。

こうありたい、これが私らしさだと確信して実際に他人の前で自然にそうふるまっている「人の和を大切にする」私
にとって、その臆病さは恥ずかしいことであり、なるべく見ないよう、見せないように努めてきた。
でも、その臆病さ(言い換えれば慎重さ)は「私の本来の性格」なのだと、気づくことができた。

必ずしも人に見せる必要はないけれど、
「臆病」という自分の性格を、自分自身が認めてあげることができた気がする。

あの人にもこの人にも、きっとある


この気づきは、対人関係でも活かされている。

私の同僚は、仕事の責任を極力取りたくない、評価に響きたくないと常々明言していて、その部下たちの意欲も低下する一方。
そんな同僚について私は辟易としており、わが身可愛さで組織(部下)の向上心や発展を妨げるようなことがあってはならないと内心で反発していた。

でも「性格には2種類ある」と学んでから、
「これは、この人が見せている役割性格(もしくは仕事においてのスタンス、価値観)である。本来の性格はなんだろう?」という見方で観察してみた。
すると、今までは気づかなかったけれど、小さなサインのように、行動の端々にその人本来の性格のようなものが垣間見えるようになった。
(もちろんそれは勝手な推測ではあるけれど)

人に見せている姿だけがその人の性格ではなく、その人の本来の性格は何だろう?というふうに一歩深く相手のことを見ようとすることで
少しずつだけど、前向きな関係になれている気がする。
何だろう、人間味を感じるとでもいうのかな。

まとめ


大人になってから出会う人というのは、何かしら利害のある関係の人が多いと思う。
資本主義だからそもそも競争関係にあるということもあるけれど。

評価する側、される側。
部署内での縦ラインだけでなく、他部署との横ライン。
上司、部下。
横一列で社歴を積み上げる同期。
顧客、エンドユーザー。
取引先、子会社、親会社。

そんな中、多く開示しあっているのは「役割性格」なのかもしれない。
大人になってから友達を作るのが難しいのは、きっとそれも一因。

「本来はどんな人だろうか?」とより一歩深く相手のことを考えながらかかわる、
そんな視点を大切にしたい。

せっかく出会ったんだし、いいところを見つけたいな。

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キャリアコンサルタントの かい です。
新卒入社した会社で勤め続け、妊娠出産。
マミートラックに陥ったことから、育休中にキャリアコンサルタントを取得しました。

現在は、4歳と2歳の男の子を育てるワーママです。
IT企業での時短勤務にくわえ、キャリアコンサルタントの複業に挑戦中!

子どもの人生と同じくらい、自分の人生にもワクワクしましょ。
妻でも母でもない、"自分らしい"生き方を応援します。

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