希望は時には、残酷で。
「希望」
辞書で調べると
1 あることの実現をのぞみ願うこと
2 将来に対する期待。また、明るい見通し。
とあります。
とても素敵な言葉。
でも、それと同時にとても残酷な言葉でもあると私は思います。
これは私が何年も前に聞いた話なのに今でも引きずっているくらいショッキングな話なので読みたくない方はここで読み終えてください。
大丈夫でしょうか?
マウスを使ったある実際の実験のお話です。
足のつかない高さまで水がはられた容器にマウスを入れ、強制的に泳がせるという実験。
休もうとするとシャワーで水流がおき、強制的に泳がなければ死んでしまうという環境です。
ほとんどのマウスは15分ほどで泳ぐ力を失って死んでしまうそうです。
そのマウスを15分経つ直前、もうダメだとあきらめる直前に水から上げ、身体を拭いてやり、温かくして餌をあげて十分休めてあげる。
そして体力が十分に回復した後、再度その実験を行うとどうなるのか。
どうなると思いますか?
私は5分程度で絶望して死んでしまうのではないかと思いました。
以前つらい経験をしてその苦しみを知っているから。
一度幸せを感じた後はもう二度とつらい思いをしたくないし、幸せを知ったからこそ、知る前以上に苦しみに耐えられないんじゃないかと。
結果は、何分か。
結果は、60時間。
一度助けてもらった経験があるから、またその救いの手を信じて待ち望んでそれだけの時間頑張ることができるのだそうです。
辛すぎる。
死ぬときは想像を絶するほどの絶望だと思います。
そしてそこへ向かうまでの長い悲しみと苦しみ。
想像しただけで辛すぎる。
一度泳ぎだしたら途中でリタイアできないその状況はまるで私たちの人生の様だと思います。
一度、自分の力ではコントロールできない、思いもよらない評価や待遇を受けたとき、私たちはまたその経験をしたい、その時の幸せな気持ちをまた味わいたい、そしてその状況がずっと続いてほしいと強く願います。
けれどそれは私たち自身の力ではコントロールできない出来事。
この先、救いの手は差し伸べられるかどうかはわかりません。
「希望をもって」
「あなたならきっと大丈夫」
「先のことなんて誰にも分らないよ」
「行動し続けることが希望につながるから」
たくさんの寄り添ってくれる素敵な言葉。
けれど「希望」という言葉は本当は残酷でもある。
逃げることのできない心の足かせ。
幸せを知る人にとり憑くまやかしのようなもの。
ただ。
裏を返せば希望をもつ人は辛いことも長く頑張ることができるとも受け取れます。
あなたがもし、辛い、夢を叶えたいのに先が見えないと思って苦しんでいるのならそれは、あなたが希望をもって長く頑張っているからなのではないでしょうか。
泥水に浸かって、うまく泳ぐことができずに泥水を口いっぱいに含んでいるのはあなたが希望を信じている証。
「希望」は本当は残酷で辛い。
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