マツモ

死に損ない

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失って敗ける

自死という言葉を聞いたことがあるだろうか もとをただせば自殺という言葉の世俗的にはびこるマイナスな印象を払拭すべく産み出された言葉であるらしい。 僕からしたら自殺と自死には大きなイメージの差があったがそれについて書いていきたい。 僕の中で自殺とは本当は生きたいがやむを得なく死ぬことを選ばなければならない人の死であり、自死とは他に抵抗する手段が残されていながらも敢えて死を選び行動することを言うと考えている。現在の日本では尊厳死というものを認めていないためこれを迎えるための

    • 思い出の呪い

      人生において、といってもまだ26年程度ではあるがそれでも他人に言われて傷つく言葉というものがあると思う。 例えばブス、チビ、デブ、馬鹿、少し捻ったり拗れてる人には低学歴、成り上がり、田舎者等もいいだろう。 真面目な方は上記の言葉を真に受けてしまい病に至ることもあるので軽々しく言うものではない。 だがこれらの言葉を発する人というのは意外と沢山いる。 というよりもこのような言葉を公に発する機会自体が昨今のSNSの発達などにより増えてしまっているので意識せずに発せられた言葉が誰

      • 歳の数の仕事をしてみたけれど 26歳編

        僕は生まれてから今まで暇と言う言葉が嫌いだ。 何かしてたい、あわよくば誰かと時間を共有したいしさらに言えばお金もほしい。 能力がないゆえに時間をお金にかえる人が非正規雇用者になるということを幼い頃から両親から教えられていたこともあり、今思えば両親は避けてほしかったのだろうがそれが非正規雇用者の醍醐味なのではないかと中学生のときから考えていた。 能力はなくても身体があれば暇も潰せて責任も軽くなりお金ももらえてしまう理想の形態なのではとさえ考えていた時期があるくらいだ。 昔話

        • 坊っちゃんの品格

          僕は貧乏である。 そして同時に坊っちゃんでもある。 価値観がどうなってしまったのか、それは僕にもわからない。ただそれは現象的な坊っちゃんであり、本質的にはみずほらしい存在であったのだ。 このことに気がつくまでに長い時間がかかってしまった。 両親がお金と時間を目一杯かけてまぶした教養というメッキもここ数年間の転がりでめっきりと剥がれ落ちてしまった。 ただ、僕には目一杯のお金をかけられてしまった時間と経験が残ってしまう。それだけは僕の内側にメッキでは済まない烙印として残

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