思い出の呪い

人生において、といってもまだ26年程度ではあるがそれでも他人に言われて傷つく言葉というものがあると思う。

例えばブス、チビ、デブ、馬鹿、少し捻ったり拗れてる人には低学歴、成り上がり、田舎者等もいいだろう。

真面目な方は上記の言葉を真に受けてしまい病に至ることもあるので軽々しく言うものではない。
だがこれらの言葉を発する人というのは意外と沢山いる。
というよりもこのような言葉を公に発する機会自体が昨今のSNSの発達などにより増えてしまっているので意識せずに発せられた言葉が誰でも覗ける時代になったというのが正しいかもしれない。

自分が文字通り呟いた一言が人の人生に変な味付けをしてしまう可能性がある時代になってしまったということだ。

僕が他人に言われて一番心に来た言葉は

○○じゃない方

という言葉だ。

僕はまだこれを言われた状況をかなり明確に覚えている。
高校生の頃、素人ながらにカットモデルや芸能活動を触っていた言うならば一般人の有頂天モードだったときにバカにしていた女の子から代々木公園で言われた言葉だ。

当時はTwitter等が今ほど影響力もなく、雑誌やドラマのエキストラ等に映れば勝手に身内での評価が上がっていくアバウトな時代だった。
初めてその子を見たとき黒髪のぱっつんなおかっぱ頭に奇抜なメイクでブスだなぁなどと思っていた。
そのとき僕は当時の高校生なら知ってるであろう雑誌に載ったりドラマのエキストラでも映る位置に配置されててあり得ないくらい調子に乗っていた。
今思えば相当に自分が痛いが16歳の若さと熱は視界をぼやけさせる。

誰々の友達の○△って言います

って言われても可愛くもないし共通の話題もないし話すことはないかと思っていた。
当時僕も知り合いAのつてでその集いに参加してたため特に個人的なエピソードもなく時間と共にその集いにも参加しなくなっていった。

その間にその集いは高校生の中で神格化されていき18歳になる手前で凄い集団になっていった。
僕は学業と芸能活動共にどちらつかずの宙ぶらりであったため、卒業間際の催し事にだけ顔を出すという一番弱い行いをしてしまった。

一年前に馬鹿にしていた女の子と再会する。

どうやら女の子はかなりその集いの中心的な役割をしているらしい。
僕は彼女を覚えていたが彼女は覚えていなかった。
当時から初めましてのやり直しには慣れていたため繰り返す。
そうすると

A君の横にいたよね??
A君じゃない方だ~
と思い出される。

心にざわつきが起きた、不快とか怒りではない沸き立ちが起きているのを感じた。

なんで。

口にだしてしまった。
完全な負け、じゃんけんに後出しをしてなおさら負ける気持ち。

催し事は進む。
ただこの瞬間に時間は止まって、何をこの後話したかはなにも覚えていない。
最後の記念撮影には出れなかった、終わってすぐに着替えて来場者と共に帰った。


誰かにとって思い出の深い人が軸となって覚えていることに同席した場合その横にいる人は思い出の人じゃない方と記憶されてしまう。なにもその人はしていないから。

今までの人生でこんな場面にいくついただろう、他人の記憶に残る人になれているだろうか、"じゃない"方の頭に僕は入るのだろうか。

そんなことを考えるきっかけをくれた彼女はめちゃくちゃ有名人になってテレビCMなどに出る超有名人になって僕は足掛けで入った大学を辞めていた。

以降僕はその考えを常にもつ卑屈な人間になってしまった。
じゃない方というのは見つける気になればいくらでも見つけられる。それまでは仲が良かった人でもよく見れば"じゃない"方として見えてきてしまう。
これはある種の呪い返しだ。
変なブスだなぁという軽い気持ちからの仕返しが10年近く経っても僕を苦しめる。

P.S.コロナ禍で就職活動ポシャってくるしいです。
有料設定のやり方は犬君に聞きました、余りある財力がある方だけで構いません
あとこの事があってから特技に悪口が入りました、優しい悪口をモットーに8年間過ごしています。
仲良くしてください。


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