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創業ストーリー 【学生時代編】

皆さまこんにちは!株式会社シオンの広報担当です。前回の投稿では、弊社のことをご紹介させていただきました。
今回はシオン創業ストーリー シリーズ第一弾になります!

弊社の代表、井上の経歴やパーソナリティを紐解きつつ、どのような想いでシオンを創業したのかを、インタビュー形式でお届けして参ります。どうぞお楽しみください!



子供の頃

ーまずは簡単に自己紹介と生い立ちについて教えてください。

皆さまはじめまして。株式会社シオン 代表取締役の井上勉です。
埼玉県行田市出身で、歴史深い町でのびのびと成長しました。
男3人兄弟の真ん中で、兄とよくやんちゃしては両親には毎日叱られ…そんな幼少期を過ごしていました。

兄の影響を受けて小学1年生から野球を始め、高校まで野球に打ち込みました。
ありがたいことに六大学からスポーツ推薦も頂けたのですが、「野球で飯食うのは東大に入るよりも難しいぞ」という叔父の言葉で、「プロになれる訳でも無いし、なったところで稼げるほどの能力がある訳でも無いよな…」と、自らの能力を冷静に判断してしまい、野球はここでやめることになります。

野球をやめた当時の私は、別の目標を見つけていたように思います。
私の基本的な考え方として、"いずれその年齢は必ず来るので、背伸びすることなく、今の年齢で出来ることを全力でやる"というものでした。そんな中で、一つの選択肢に惹かれることになります。それは、「海外に行きたい」という選択肢でした。
それも大人と同じことが出来る大学生になる前の"子供の目線と感覚で"世界を見たい、触れてみたい、そして感じてみたい。と思いました。

人生は一度しかないので、今できることをやりたい。そして、自分が大人になり、結婚して子供が生まれた時に、もう一度同じところを巡り、当時の子供の自分が感じたことと、大人になった自分が感じることの違いを経験してみたい。という強い思いに駆られ、両親を説得し約1年間、北米を巡ることになります。
19歳の時に感じたこと記したノートは今でも大切に保管しており、再訪する日を楽しみにしています。

海外での決断

ー素敵な夢ですね。実際に海外に行かれて、いかがでしたか?

この時に見たものや経験は、私には刺激的すぎるくらい印象深いものでした。そして、これまで体験したことのなかった数多くの経験をする中で、新たな気持ちが芽生えてきたのは事実です。
「やはり、将来起業しよう!」と。

実家が自営ということもあり、昔からなんとなく自分も起業するのであろうな。と考えてはいたのですが、様々な刺激を受けた中で強い意志に変わっていったのだと思います。
ですが、この時はやりたい事業など具体的なことは一切無く、ただ「起業したい」というものでした。

埼玉の片田舎から突然飛び出した海外は、とてつもなく広く刺激的で、自らの小ささと可能性知る大きなきっかけとなりました。
そう気づいた時に、"自分は何者かでありたい"と思いました。自分が何者であるかを示すためにもビジネスをやろう、それが起業という選択肢であり自己表現になるのだ。と思いました。

帰国後、大学生時代

―驚きました。高校生が思いつかないような考えや経験をされてきたのですね…!帰国後はどうされたのですか?

はい。起業しようと決断したからこそ、今のままではダメだ。まずは大学に行き、ビジネスの基礎となる知識を学ぼう、と思い大学受験することにしました。

そうと決めたらとことん勉強するぞ、と覚悟を決めて1日20時間近く勉強していました。試験当日に、「俺はここまで努力したんだ」という、何か自らの心の支えになるもの、自信を持てるものを作っておきたいと思い、空のボールペンを山ほどの作るくらい努力しました。

また量だけではなく、受験には戦略も必要だと思い、受験における戦略を自ら立て、自らのプランを実行することだけに注力していました。この考え方は今でも変わってないのだと思います。

―やると決めたら戦略的に、そしてとことん追及するタイプですね。
 その後、大学時代はどのように過ごされていたのですか?

明治大学に進んで、マーケティングのゼミに入り一生懸命取り組みました。
一方、アルバイトでは「実家の中古車販売店の手伝い」と「塾講師」にも熱中していました。

実家で学んだ「商売の面白さ」

実家の中古車販売店では、"自分がお客さんだったらどうしてほしいか、逆にどうされるのが嫌なのか?どうやったら儲かるか?"ばかり考えてました。

例えば、免許取りたての初心者なら、「ぶつけても、乗り潰しても、気にならない」安い車が欲しかったりするんですよね。
敬遠される事故車でも、騙されて買わされるのなんて嫌ですよね?
事故車の中でも状態の良い車を厳選して仕入れ、事故車であることを隠さずきちんと説明し試乗してもらい、納得したうえで買って頂けるならビジネスになるであろうと。
常に"顧客目線、顧客側の立場でニーズを捉えること"を大事にするようになったのは、この頃からかもしれません。

また、資金も知名度も無い田舎の中古車屋がどのように勝っていけるのか?限られたリソースをどのカテゴリーに絞って戦うべきか?というところにも知恵を絞っていました。今考えるとベンチャーの戦い方の基礎みたいなものを自然と考え、身につけられたフィールドワークだったように感じます。

―しっかり市場・リソース・顧客視点をベースに戦略を立てた上での戦術ですね。

そうですね。中古車の市場を徹底的に調べて、視点を変えてみたり、特定の顧客をあぶりだし戦略を考えるなど、何度も試行錯誤を繰り返しましたね。
ただその時の"どうしたら勝ち筋を見つけられるのか?"と考えている過程が楽しく、商売の楽しさを知りました。

授業をやらないのに成績が上がる?

一方、小さい頃の夢は教師だったものの、その道は起業の方を選んだことで選択しないことになります。
しかし、やはり教師という人を育てる仕事には魅力を感じていたので、地元の塾講師を始めたものの「授業をやらない先生」ということで、生徒の中でも親御さんの間でも(悪い意味で)有名になってしまいました。

―授業をしない先生、どういうことですか?

そのままです。授業をしないですぐに脱線する。
公式を1つ、英単語1つ教えるよりも"なぜ勉強しなければいけないのか?"を伝えることが何より大事と思っていました。私は、授業より大事なことがある。生徒の心に火をつけることが何よりも優先されるものだと思っていました。

そこで、難しい話を簡単に、生徒が興味ありそうな話題に転換して話していました。面白くなければ興味が湧かず、興味が無ければ頑張れず続かない。
結果的に、"なぜ勉強しなきゃいけないのか?"ということと、"勉強って面白んだよ。勉強は義務じゃなくて権利なんだよ"ということばかり話していました。
僕も生徒たちに本気で向き合っていましたし、アルバイト代は、参考書を買ってあげたり食べ物を買ってあげたり、頑張っている生徒の為に全て還元してましたね。

生徒が心の底から本気でやる気になると、言われなくても自ら勉強し始めます。勉強すると新しいことを知り、覚え、問題が解ける。そうなると楽しくなる。楽しんで勉強するようになると、結果として成績が上がる。結果が出ると更に勉強楽しくなる。これが一番大事だと思っています。

つまり、やらされているうちは上手くならない。本人がやる気になり、自らの意志で行動し、勉強を楽しいと思ってもらうことにフォーカスしていました。
この考え方は、"今のシオンの大事なDNA"の一つになっています。

こんないい感じに話してますけど、生徒が帰宅してからご両親に「今日は、井上先生がこんな面白い話ししてた。」と毎回言うので、親御さんから「授業しない先生らしいので先生を変えてほしい」というクレームは何度もありましたよ。
塾長さんは大変だったろうと反省していますし、私のやり方を信じてやらせ続けてくれた塾長には感謝しています。
ここには、単に勉強を教えるよりも、私自身が授業を楽しんで出来る&やりたいという、私自身のやらされてない「意志」があったのでしょうね。

―ゴールに向けて工夫したり過程を楽しんだりと、学生の頃から既にビジネスを実践されていたのですね!
そしてなにより「やらされているのではなく、自分の意志でやる」井上社長の大事にされているこの考えは、これまでの経験があってこそですね。


さて、そんなビジネス感覚と人間力を兼ね備えた、一味違う学生時代を送ってきた井上は、一体どんな就職活動をしていたのでしょうか。

起業への第一歩へ繋げるために選んだ会社は…!?

「就職活動編」へ続きます!