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【短編エッセイ】 1杯の牛丼に救われた話

1杯の牛丼に救われた経験がある人間は、この日本において一体どれほどいるのだろうか。統計データなんかは当然ないのだけれど、きっとたくさんいると思ってる。牛丼は、日本を代表する食べ物なのだから。僕自身も、その一人だ。

その日は、ひどく精神がまいっていた。バイト先の映画館では同じミスを1日の内に3度繰り返し社員に呆れられ、1番楽しみにしていたライブのチケットに関しては"落選"の2文字をバイト終わりに確認。その日はたまたま朝から何も食べておらず極限の空腹で、雨も大降りな状況で傘も忘れ、どうやら朝まで降り続けるらしく、仕方なくずぶ濡れになりながら歩くバイト帰りの夜。これほど嫌なことが重なる1日があってたまるか。天に見放されているのではないか。僕の心の中には土砂降りのようにネガティブな感情が積もりに積もっていた。いつもの帰宅ルートで通る橋を渡っている最中、このまま海に身を投げ出してしまえばどれほど楽なのだろう、とさえ思った。

最寄り駅に近づくと、いつも目にする看板が見えた。派手な赤色が印象的なそいつ。そう、あの超有名牛丼チェーン店"すき家"の看板だ。重い足取りでやっとたどり着いた、赤い看板の見える場所。ずぶ濡れの僕は半ベソをかきながら、目の先にある赤い看板の方向へと一歩一歩、歩みを進めた。今更雨宿りしようなんて一切思わない。空腹が限界を迎えていたので、少し申し訳なさを感じながらも、ずぶ濡れのままドアを開き入店した。

そんな僕を迎えてくれたのは、ワンオペで店をまわしているであろう男性店員の「いらっしゃいませぇー」と、気だるく愛想のかけらもない挨拶。まあ、そうだよな。こんなずぶ濡れの客に対して気持ちよく歓迎してくれる店員がどの世界にいるんだよ。自分は馬鹿なのか。ここでもまた、ネガティブな感情が殴りかかってくる。人間、一度ネガティブに支配されると、なかなか正気を取り戻せなくなるものだ。その時極限の空腹を迎えていた僕は、何を血迷ったのか裏メニューの"キング牛丼"を注文した。普段あまり頼まれることのないであろう裏メニューの注文を受けたワンオペ店員は、とくに煙たがる素振りを見せずに淡々と注文を聞き入れ、厨房に向かう。僕が店員だったら、絶対嫌だ。キング牛丼なんて裏メニューだし、通常メニューとは違ってアディショナルな労力がかかるからだ。作るの面倒くさそうだな。迷惑かけちゃったな、イライラしてるに違いない。頼んでおいて何を今更、とツッコミを入れたくなるが、その時の僕はまだネガティブの深海に沈んでいた。

スマホも開かず、ただ物思いに耽って待っていると運ばれてきたのは、特大の器に盛られた、1杯のキング牛丼だ。デカい、デカすぎる...!この瞬間ばかりは、ネガティブな感情よりも喜びが先行した。これほどまでに山盛りの牛丼を、独り占めできるなんて...!キング牛丼はこれまでに何度か頼んだことはあったが、ネガティブの底に沈んでいた僕にとっては、いつにも増してその特大の牛丼が芸術作品のように美しく、そして輝いて見えた。この1杯がもしかしたら今の僕を救ってくれるかもしれない、とさえ思った。

割り箸を無造作にパキッと割り、飢えたハイエナのようにキング牛丼にがっつく。美味い。美味すぎる。なんだこれは。ジャンキーな味付けの肉、少し硬めに炊かれた白米、クタクタになった黄金色の玉ねぎ。さらには、冷え切った身体にはちょうど良い温めのお冷。どれをとっても、完璧だった。箸は止まらない。先ほどまで僕の神経を支配していたネガティブな感情すべてを置き去りにして、一心不乱に牛丼をかきこむ。気づけば、山盛りの牛丼をわずか10分足らずで平らげてしまっていた。あゝ、ごちそうさまでした。

今日を振り返ると、本当に散々な1日だった。死を選びそうになった瞬間もあった。けれど、今こうして1杯の牛丼を通じて、この上ない幸せを感じることができている。それ以外に何もいらないんじゃあないか。人生は山登りに等しく、谷底に落ちそうになる時もあれば、頂上まで登り切ることで見えてくる景色もある。今、まさにそれを体験している。牛丼を食べて噛み締めている幸せは、頂上から絶景を眺めた時に感じる幸せと等しい。ずぶ濡れだった服も、食べ終えた頃には少し乾いていた。ワンオペ男性店員の、またしても愛想のない「ありがとうございましたァー」にクスッと笑いながら、「また来ます」と呟いて店を出た。何より聞いてほしいのは、これがクリスマスイブの出来事であること。

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